『辛い』#157

からいのとつらいのとはどちらも痛覚的である、として共通しているのだよなと思い込んでいますが合ってますか。
辛い食べ物、とても好きでたぶん得意か得意じゃないかでいえば得意なメンタルなんだけど許容か許容かじゃないかといえば許容じゃないのが内臓。初歩的にキムチやビビンパ、赤い韓国料理は全般的に好きだしタイ料理や近辺諸国の緑の東南料理も好きだ。沖縄のこーれーぐーすーは焼酎の香りでちょっと難あり。家の冷蔵庫に必ずキムチが入っていることで慣らされたのか、あるいは舌バカで痛覚が狂っているのかいや辛さの痛覚は機能しているからそういうことではないな神経伝達の問題かな。それでも「辛さが旨い」っていう感覚はよくわかっていない。辛いことは辛いことで刺激であって、複合的・総合的に旨いなとまとめられるかもしれないが不思議なことだ。とはいえ辛くないキムチはただ漬物であるのみで、辛くないホルモン焼きは物足りないし、サムギョプサルでキムチを入れてなぜ旨いかって豚バラの甘い脂との相性抜群なわけだからで辛いってのは何かしらのバランスをとる働きをしているのかと思えば「旨い」の一要素として考えても難は無い。旨味、とは別の、旨いという感想。
辛い出来事。味覚のほうの辛いというのは痛覚への刺激として考えたら事象を言葉にして定義できている気になるけれど、感情のほうの辛いというのはどう言葉にしたらいいのだろう。何かしらの具体例で挙げれば共感はできる。共感はできるけれどそもそも私たちは何を絶対的感覚として辛さを認識しているのだろう。悲しいということも同じだし怒りというのも同じで、具体例抜きに言葉だけで「あぁこういう感情の作用ね」とわかることはなかなか難しい。感情論という言葉が別の意味に、別の内容になってもおかしくない。むしろ感情についての論だとして学術用語になっていそうなものなのに。そういえば仏教の伝承には経と律と論、この3つで成っているのだったな。たしか。知識がうまく、定着していない。辛い。最近のSNSとかで見るところ、ネットスラングのようでもあるがひらがなで「つらい」と書いてあるのをよく見る。ほかに「つらたん(これはちょっと前だな最近は見ない)」や「つらみ(最近の「◯◯み」の隆盛はおそろしく感じる)」など見かけるけれど中身は同じで辛いということ。悲しさと切なさと愛しさと、あれ。

#辛い #180524

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