この国の息苦しさの正体
都知事選が終わってこの方、落ち込んでいる。応援していた候補が負けたこと自体よりも、マスコミやネットを総動員して敗者を鞭打つような風潮に心を痛めている。
その現象について比較的に整理された形で記事にしているのが弁護士JPニュースの上記記事だと思う。
特に「もの言う女性」に対するバッシングをミソジニーを「女性に対する処罰感情」として指摘している点がよい。勝者である小池百合子にこの攻撃が向けられないのは、記者クラブや都議会を支配し電通に業務を発注している現職たるゆえんだと思う。さらに、小池百合子はもともと「男性社会に逆らう女性」ではなく「男性社会の紅一点」という立場を利用してのし上がってきたし、同性を同じ土俵に登らせないことで自分の地位を守ってきたから、ミソジニーの対象になりにくいという点も指摘しておきたい。
自分だったらとても身の置き所がないと感じる蓮舫さんへのバッシングがなぜ起こるか、ずっと考えてきた。そして、今辿り着いた仮説が、日本という社会が「勝ち組になれなかった男性のルサンチマン」でできているからだと考えるようになった。
ポツダム宣言を受け容れる無条件降伏で「敗戦」といわずに「終戦」と言ってきた戦後日本の社会そのものが、アメリカという勝ち組に服従することで日本を統治してきた与党・財界・マスコミの集合体だ。その屈辱感や敗北感を紛らわす(または、有耶無耶にする)手段として掲げてきたのが「アメリカの押しつけ憲法でない、自主憲法を制定する」「憲法を改正する」というお題目だ(そして、その内容は、国民主権を否定し、支配層が国民を支配する装置、憲法ですらない「憲法」なのだが)。
失われた30年からこの方、新自由主義を進めた結果、中産階級がどんどん少なくなり、「勝ち組」と「負け組」の差が益々開くようになった結果、日本社会で「勝ち組」になれなかった人々の中に、ルサンチマンが拡がった。しかしそれは、「勝ち組」を否定するのではなく、羨望すべき存在、それどころか、「殿に忠誠を尽くせば自分もその恩恵にあずかれる」「殿の敵を排除すれば愛い奴と言ってもらえる」という期待を向けた。そして、自分が負けた競争の仕組みや環境や条件について不満を漏らしたり問題を指摘することは、「文句を言うな」「自己責任」「出る杭は打たれる」として忌避された。そして一方、女性、貧困家庭、外国にルーツを持つ人々などマイノリティが保護や支援を受ける仕組みを「ずるをしている」「公金チューチュー」などと攻撃の対象となっている。
その心性を一言でいうと「奴隷根性」としか呼びようがないのだが、どうやら、この奴隷根性、あるいは負け組のルサンチマンが、日本社会を息苦しくしている「同調圧力」の正体ではないかと思う。
まだ日本社会論として整理しきれてはいないのだが、私は直感型なので、まず感じたことを言葉にしてみて、それを肉付けしたり検証したりすることで、考え方を整理してくタイプなので、とりあえず言葉にしてみた。後日、ゆっくり時間をかけて、検証したい。
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