見出し画像

ショートエッセイ:アナログゲームで作れる「ちょうどいいつながり方」

アナログゲームでつながる?

 「北海道ボドゲ博勝手に応援企画」でボードゲームを遊んだり、TRPGをしていたりすると、ボードゲームやカードゲーム、TRPGを含めたアナログゲーム、特に複数人で遊ぶアナログゲームって、何か共通の魅力を持っていると感じるんですよね。

 大前提としてゲームプレイそれ自体こそもちろん面白いんですけど、面白さって当然作品ごとに違うものですよね。その面白さもありつつ、内容に関係なく共通する「アナログゲームっていいなぁって感覚」があると思うんですよね。
 で、月並みですがやっぱりそれって「人と人とのつながり」なんだろうなと思ったんですよ。やはりりデジタルゲーム以上に「対面」ゆえの魅力をオフラインでもオンラインでも感じます。コラボ配信をした時もアナログゲームコラボの方がアフタートークが盛り上がるような感じがするような…
 また、デジタルゲームと比べてゲームの「回転」が遅いことも、一ゲーム一ゲームの重みがあるという効果があるように感じています。逆にデジタルゲームは回転の速さ、あるいは大量の情報や入力をコンピュータが管理してくれるのが楽しいですよね。

でも、つながりってもういらなくない?

 正直、ここまでだったらわざわざnoteの記事にするような話ではないでしょう。おそらく何度も繰り返された言葉です。
 ただ、「そういえば…」って思ったことがあるんです。

 現代って、「つながり過剰」って言われるじゃないですか。

 twitterやLINEなど、SNSやそれに準ずるものを通じて24時間何かと繋がりつづけることに追われているような状況は多くの人が感じているでしょうし、僕もそうなんですよね。また、仕事・家族・趣味・学校・オンラインなどなど人間関係が多重かつ複雑になっている傾向もあり、最近はむしろつながりを断つところはちゃんと断つことを促したり、どう断つかの記事やツイートが求められるような時代かもだったりします。
そう考えたときに、じゃあそんな状況でなぜ「アナログゲームのつながり」をさらに求めたくなるんだろうって考えた時に、

「アナログゲームが作るつながり」って「ちょうどいい」んじゃないか?

って思ったんですよね。

「ちょうどいい」つながりを僕らは求めている

 アナログゲームを遊ぶことを「卓を囲む」などといいますが、それは同時に「卓を挟む」「卓で分けられる」という面もありますよね。ゲームを挟んで人と対面する、それは「ゲームの分だけ距離を取って人と向き合う」と同時に「ゲームの分までは距離を自然と詰められる」ということなんだと思います。「どのくらいまで距離を詰めていいのかを間違える」という事態が人間関係のトラブルではとにかく多いと思うのですが、その距離の指針にゲームがなってくれるところがあるんじゃないかと思います。その距離ゆえにとりあえずいい感じに仲良くなれて、同時にいい意味でさっぱりした、心地よいつながりが作られるきっかけになりうるんじゃないかなと思っています。デュエルスペースで知らない人と対戦した後、カードを片付けつつもだらだらと喋るのが楽しかったり、TRPGをしているとシナリオや自身のキャラクターというフィルターを通しながら一緒に遊ぶ相手のことを理解していくという感覚を覚えるといった経験を思い出します。
 また、アナログゲームの特徴として「デジタルと違い、プレイヤーがルールを守り、相互にそのゲームの維持をする必要がある」というところがあります。それゆえに対戦型・協力型に関わらずみんなで協力してこのゲームを守っている部分があり、それが人と人とのつながりを担保してくれる面もあるのでしょう。
 もちろん、だからこそ、卓の維持がうまくいかなかったり、関係性が卓を超えて近くなったりしてしまうと本当に辛くなることもありうるのもアナログゲームでしょうし、ソロプレイでゲームやその向こうに見える作者と向き合うタイプの作品もあるのですが、私が「楽しかったー!」と感じるようなアナログゲーム体験とは、このような「ちょうどいいつながり」によって支えられているのかなぁと思います。だからこそ、そういうつながりのきっかけをくれる作品には感謝しないとなりませんね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?