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聖書・白石蔵ノ介が抱えていた二重の罪とその精算

今回は四天宝寺の聖書・白石蔵ノ介についての考察ですが、ハッキリ言って私は白石のこと大嫌いでした、世界大会のフランス戦を見るまでは。
理由は色々ありますが、一番は左腕の包帯に隠された純金のガントレットを外さず不二を相手に舐めプをかましていたからです。
まあこれを「不二もそこそこ舐めプしていたじゃないか」と言われてしまえばそれまでですが、それでも白石が最後までガントレットを外さなかったのは擁護できません
これが勝敗が大きく影響しない関西大会(?)の準決勝あたりならまだしも、チーム全体の勝利がかかった全国大会準決勝で外さなかった意味が理解できないです。

まあこれに関しては許斐先生が白石の包帯の中身を隠していたために無理な後付けとなってしまったといえますが、よくよく考えたら白石は二重の罪をこの時に抱えていたのかなと。
1つが青学のことを手塚のワンマンチームと見做して他の選手層を甘く見ていた部長としての罪、そしてもう1つが不二を軽んじて舐めプをかましていた罪です。
そして「新テニスの王子様」ではそんな白石が自分の罪を清算というか、罪滅ぼしをするための物語なのではないかと考えています。

四天宝寺テニス部部長としての罪と罰

以前にもキャラ考察で書きましたが、白石の部長としての罪は何だったかというと青学を手塚のワンマンチームだと思い込み他を甘く見ていたことです。
その見通しの甘さが自分以外のチームメイトが3連続で負けてしまい、部長として望んでいた決勝戦進出と全国大会優勝に繋がらないという罰に繋がりました。
不二との対戦の中で「どんなにええ試合をしようと3勝せなチーム敗退や」と独白していましたが、そのためにまず自分が勝つ必要があったのです。
しかしその思いは決して報われることはなく、皮肉にも自分が勝って他が負けてしまうことになったのです、D-1なんて勝つために謙也と千歳を入れ替えたのに。

「勝ったモン勝ちや」というスローガン通り、四天宝寺のスタイルは勝つためだったら何でもするというスタイルから来ていますが、奥底にあるのは「負ける怖さ」でした。
負けるのが怖いから確実に勝てるようにするために基本に忠実なプレイスタイルを選びチームを導こうとしていたわけですが、見方を変えればそれは臆病ともいえます。
手塚とはここが大きく違っていて、手塚はもうこの時既に「自分が負けてもチームが勝てばいい」という覚悟ができていて、それが決勝S3での「勝つのは俺たち青学だ!」になりました。
この時の手塚はイップスを克服したこともあって既に「負けるトラウマ」を克服しており、また将来プロ入りするという全国優勝した後のことも見据えています。

そういう「自分が負けてもチームが勝てばそれでいい」という覚悟・度量がこの時の白石には足りず、手塚と比べて既に部長としての器で負けていたのではないでしょうか。
「テニスの王子様」では「勝つことの尊さ」だけではなく「負ける悔しさ」と同時に「負けても次勝てばいい」という覚悟もまた各キャラクターに試されているものです。
白石がなぜ派手なプレイスタイルや特殊な技に極力頼らない基本に忠実なプレイスタイルを選ぶのかというと、本人が天才肌ではない秀才であるという適性の問題だけではありません。
確実に勝てる戦いしかせずに自分を試す覚悟が足りなかったからこそ、それが手塚以外を甘く見たり既に退部したはずの者を呼び戻したりといった戦略の一貫性のなさにつながったと思います。

また、これは白石が初めて部長に就任した時のことを描いた「アノトキノボクラ」で描かれていますが、白石はチームを強くしようと基本に忠実なテニスを押し付けていました
しかし、それでチーム全体としての基礎力の底上げには繋がったものの、実はチームのみんなの個性を大事にして伸ばすという原点を見失うことにも繋がってしまったのです。
こうした失策を踏まえつつ成長して行くのが白石なのですが、そんな白石が部長として抱えていた罪は母親が抱えがちな「自己保存」にあったのかもしれません。
要するに「可愛い子には旅をさせよ」が白石はなかなか出来るタイプではなく、そこが手塚や幸村に比べて足りないところであったかと思われます。

テニス選手としての罪と罰

そして2つ目にテニス選手としての罪と罰ですが、これに関しては2段階かけて我が身に跳ね返ってきており、2回に渡る因果応報が白石には巡ってきています。
1つ目は天才不二を「所詮関東レベル」「カッコええけど無駄多い」と見下して否定する言い方をしたことにあり、それに対する罰もしっかり描かれているのです。
それが5-0マッチポイントから来た不二の反撃であり、自分には到底真似できないトリプルカウンターの進化と百腕巨人の門番を編み出したことにありました。
どんな球を打とうと全てネットを越えなくなってしまうというのは白石にとってどれだけのトラウマだったでしょうか?

最終的に何とか攻略して勝ちはしたものの、とても自分の実力で勝ったなんて思っていないでしょうし自分の才能がいかにちっぽけなものかを痛感させられたことと思います。
だからこそ不二を「強い」と認めたわけですが、ここだけではなく決勝の不二VS仁王では何と仁王にイリュージョンの素材として使われ、しかも引き立て役にされてしまいました
遠山から容赦なく「白石ってのも意外と使えない」と突っ込まれてしまいましたが、こんな風に自分が勝った相手に勝つための餌にされてしまった時の想いは複雑でしょう。
仁王に真似されたこと以上に不二が易々とコードボールを打った時のカウンターまで編み出してしまうというその圧倒的な天才のセンスに打ちのめされたのです。

白石個人のテニス選手としての罪は不二を煽って愚弄し眠れる力を引き出したことにありますが、その罰は不二からの思わぬ反撃と決勝での当て馬にされたことにありました。
もしかすると白石は今でも不二のみならず、世の中にいる「天才」が嫌いなのかもしれません、何故ならば四天宝寺は白石以外天才が揃っているからです。
もっとも、この時はまだ左腕の純金ガントレットを隠したままなので全力を出していたとはいえず、辛うじて彼の選手としてのプライドは保たれています。
その選手としてのプライドすら粉々に打ち砕かれてしまったのが新テニの世界大会編ですが、そう考えると改めて白石こそ自分に自分で制限をかけていた選手だとわかりますね。

千歳が言っていたように「テニスの王子様」では実力や才能以上に「意識の差」が大きく影響するので、自分で自分に制限をかけてしまってはそこで成長は止まってしまいます。
白石が抱えていたテニス選手としての罪と罰の本質は「停滞」であり、旧作の白石のテニスは青学と戦い敗北を知るまでは停滞して先へ進めなかったのではないでしょうか。
だからこそそれがチーム全体にも影響を及ぼしてしまい負けて決勝へ進めず、個人としてもまた試合に勝って勝負に負けたという感じになってしまったのです。
そしてこの白石が抱えていた個人としての問題は続編の「新テニ」の世界大会編において逃れようのない形で本人に突きつけられています。

四天宝寺戦の不二と全く同じ状況に陥ったフランス戦のダブルス

そして新テニで発覚したもう1つの白石の罪は不二を相手に純金ガントレットを外さなかったという舐めプをかましていたことであり、本人は「忘れていた」と悪びれない様子です。
しかもその試合では赤也を悪魔化から救い天使化させて勝ってしまいますから、自分がいかに不味いことをしたかという自覚がなかったのではないでしょうか。
私はこの舐めプ発覚で白石を大嫌いになったのですが、それは許斐先生も自覚があったのか世界大会編ではとうとう白石個人にその罰を受けさせます
白石の聖書テニスが君島と組んだフランス戦で崩壊していき、それまでの戦術が全く通用しないという局面に追い込まれてしまうのです。

これ、実は四天宝寺戦の不二周助と酷似した状況に追い込まれたわけで、不二が自分のカウンターを全て返された時と同じで聖書テニスが返されてしまいます。
しかし白石は不二のような天才タイプではない秀才、本気になってブーストをかけてカウンターを進化させるなんて器用な芸当などできるわけがありません。
そこで出た答えが種子島先輩のアドバイスから生まれた星の聖書、すなわちステータスを1球ごとに全振りするというものでした。
一点突破の術を切り開いたわけであり、やっと器用貧乏の秀才という自分を縛っていたものから解放されて進化することができたといえます。

そんな進化を遂げた星の聖書ですらも届かずに負けてしまうのですが、ここも不二が白石に惜敗を喫した状況とほぼ同じ図式になっているのです。
白石も自分の限界を突破して全力で戦ったものの、それでも負けてしまう瞬間があることを知って初めて敗北の悔しさを知ったことになります。
舐めプをかました因果応報を受けさせるだけで終わるのではなく、ここからが本当の白石のテニスを作り上げて行くスタートとなったのです。
聖書テニスから星の聖書へ進化させ、さらに負けを受け入れることによって更に伸びていくのではないでしょうか。

赤也と金太郎の成長を後押しすることが使命

そしてもう1つ、四天宝寺テニス部部長という経験を活かして、白石はまた師匠(メンター)としても活躍を見せていくことになります。
それが立海の柳から頼まれた赤也の救済と最近の練習試合で描かれた金太郎の成長の後押しであり、どちらも白石の魅力が出ているエピソードです。
シャッフルマッチではまず悪魔化した赤也の暴走を止め、赤也の髪型を褒めることで気持ち良くさせて自己肯定感を高める展開を入れました。
こうすることで上手いこと赤也の心の救済に大きく貢献したわけであり、赤也が天使と悪魔を融合させる青目モード開眼の支えとなっています。

赤也の悪魔化が神の子・幸村=イエス・キリストによって開眼したものならば、天使化は聖書・白石=聖母マリアによって覚醒したものです。
そういう意味で白石の聖書は赤也にとっても、そして四天宝寺にとっても「大いなる福音」であるといえ、これもまた白石の使命の1つだといえます。
だから幸村と白石が合宿所で同じ部屋であることには大きな意味があって、イエス様とマリア様が同じ部屋にいることで交流が生まれているのです。
まあここに天才不二がいる意味が今ひとつわかりませんが、とりあえず植物繋がりということにしておきましょう。

そして金太郎の成長の後押しですが、旧作では単に上から母親のようにして「こんなことをやったらダメ」と叱るだけでした。
それが新テニに入ってからは金太郎を押さえつけるのではなくのびのびとやらせるようにし、更に最近のダブルスでは試合を通した技術指南をしています。
天衣無縫に覚醒した金太郎に不足しているもの、それは対戦経験だけではなく徹底したテニスの基礎を積み上げることです。
星の聖書で天衣無縫に対抗できるようになったことで部長としての威光を取り戻し、器も大きくなっている気がします。

こうして見ると、越前・不二・遠山・徳川だけではなく白石もまだまだ「これから」の人ではないかと思うのです。
罪と罰の清算をしっかり行っている今、白石がどんな風に成長していくかもまた新テニの見どころの1つかもしれません。


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