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「成長」と「進化」の関係から見た『デジモンアドベンチャー』『デジモンアドベンチャーLAST EVOLUTION-絆-』の破綻

昨日に続き「進化」と「成長」に関する記事です。
さき姫さんのコメントに物凄くいいことが書かれていて、「成長とは大人になろうがなんぼでもレベルアップが可能である。しかし、そこに「進化」が持つ「高度化」「複雑化」「抽象化」の概念はない」という趣旨の意見です。
私が抽象的な物言いで書いたことをさき姫さんがより具体的な言葉で噛み砕いてくれましたので、今回は実例を挙げて「成長」と「進化」の違いに関して説明して見ましょう。

「デジモン」「ポケモン」以外でわかりやすい「成長」と「進化」の違いについて述べるなら、私が以前にプレイした「コトダマ勇者」やその大元となる「ドラゴンクエスト」が分かりやすい例でしょうか。
RPGに例えるなら「成長」とは戦闘経験値を積んでのレベルアップ、そして「進化」とは「転職」、すなわち職を変えることでキャラクターのステージや戦術・戦略の幅そのものを変えることなのです。
コトダマ勇者の記事をご覧いただければお分かりですが、「コトダマ勇者」では「成長=レベルアップ」よりも「進化=転職」こそが最も重要であり、そのステージ毎に適した転職をしなければまともに戦えません。
実際にコトダマ勇者の攻略体験記の記事の中で私はこのように書きました。

また、裏のラスボスである暗黒界に関しては次回以降具体的に述べていきますが、ここである程度語ると本当に勇者・賢者ですら雑魚扱いされます
大袈裟ではなく「魔王なんて所詮は序章に過ぎなかった」というレベルで敵が大幅強化され、一般怪人であっても序盤のボスよりはるかに強いのがゴロゴロ出るのです。

そうなんです、「コトダマ勇者」の魔王を倒す段階であれば勇者・賢者に転職(進化)して魔王を倒すのに十分なレベルアップ(成長)をすれば比較的簡単に倒せます。
しかし、その勇者や賢者ですらも完全に雑魚扱いされてしまうのがクリア後の暗黒界であり、ここに入ると更にその上の救世主・トリックスター・魔王のいずれかに転職しないと戦いの土俵にすら立てません。
「コトダマ勇者」には下級ジョブ、上級ジョブ、超上級ジョブ、そしてレジェンドジョブとありますが、デジモンに例えるなら下級ジョブ=成長期上級ジョブ=成熟期超上級ジョブ=完全体レジェンドジョブ=究極体です。
転職(進化)することで何が変わるのかというと「潜在的ステータスの上昇」「使える魔法・技の選択肢の増加」「戦術・戦略の高度化」「思考の抽象化」という風に「戦いの土台そのものが変わる」のです。

これを単なるRPGだけの話だと思うなかれ、現実世界の仕事でもそうで「成長=レベルアップ」とは1つの仕事について長く勤めることで経験値を積むことであり、「進化=転職・出世」とはそもそもの役職が変わるにより仕事のステージそのものが変わることですよね。
だから平社員→管理職→経営者という風に役職が変わるたびに仕事の内容も思考の抽象度も上昇していき、経営者になるともう完全に「人を雇う・使う」という次元の話になってくるので、経営者と正社員・非正社員では話が噛み合わないのも当然です。
そもそも立っているステージそのものが違うわけですから見えてくる世界も視野も全く違うわけで、その差分を正確に把握していないと今自分がどのステージにいるのかという自己分析すら的確に出来ないことになってしまいます。
日本人は特にこの「成長」と「進化」の違いがきちんと理解できていない人が多いから、RPGだと普通にできるはずの転職=進化がなぜか悪いことであり成長=1つの仕事の長期勤務が偉いということになるのです。

そしてこれが同時にアニメ版の『デジモンアドベンチャー』やその延長線上に敷かれている『デジモンアドベンチャーLAST EVOLUTION-絆-』における「成長」と「進化」の定義が破綻していることにも繋がります。
「ラスエボ」で唐突に「大人になったら成長が止まるから、エネルギーを失い、デジモンと一緒にいられなくなる」というクソみたいな後付け設定が出ましたが、よくよく考えると「02」を外して無印と繋げると意外に矛盾はしません
何故ならばそもそも無印において「デジモンの進化」と「子供達の心の成長」を一緒くたにしているからであり、「ラスエボ」の後付け設定がおかしいのではなくそもそもの土台となっている無印がおかしいということになるのです。
私が無印に対して初見から一見して否定的だったのはまさにここであり、単純に「ウィルス種=闇=悪」という価値観のみならずそもそも「進化」と「成長」を混同してただの変身バンクみたく安売りしたことに強烈な違和感を覚えています。

無印並びにその続編である「ラスエボ」では「紋章=選ばれし子供たちの心の個性」や「エンジェモンの希望の矢とエンジェウーモンの光の矢」といった外的要因によって進化させていますが、これってはっきり言ってしまえば「チート=ズル」なんですよね。
「Vテイマー」や「02」の古代種デジモンとは違って現代種デジモンは決して進化のハードルが低いわけじゃないのだから、純粋に戦闘経験値をたくさん積んでいけば別に紋章がなくても進化できますし、現にエイリアス3の3人はそうしています。
独力で究極体に育て上げているため技の精度やスキルも含めた「強さ」ではタイチとゼロマルよりも上なのですが、まあこのコンビが大輔とブイモンに匹敵するレベルの規格外だったので負けてしまうのは仕方ないでしょう。
これに対して無印組はどうかというと、エイリアス3がきちんと順当に育成に時間をかけて究極体まで育て上げた力を紋章の力やデジヴァイスの聖なる光、天使デジモンの矢などの外部の力で無理矢理引き出している状態です。

だからパートナーデジモン自体は確かにステータスアップこそ果たしているものの、そこに戦闘経験値が全く追いついていないためエイリアス3よりも実力的にはるか下のはずのダークマスターズごときに苦戦することになります。
そして何よりも当の太一たち自身がそのように「ズルイ方法で進化する」ことしかしてこなかったため、心の成長が一旦のカンストを迎えてしまったダークマスターズ編で彼らの成長も進化も打ち止めになってしまったのでしょう。
これがRPGであれば一度上がったレベルが下がってしまうことはそうそうありませんが、実際の人間やデジモンはそこから戦闘技術を磨くなり何なりせず何もしないでいるとレベルはどんどん下がってしまうものです。
無印組のパートナーデジモンの進化自体がそのようにろくな戦闘経験値を積むことのないまま外部イベントだよりで強くなってしまう方式だったため、その後の弱体化も早かったということではないでしょうか。

「大人になったら成長が止まるから、エネルギーを失いデジモンと一緒にいられなくなる」というメノアの仮説は無印組に限定すればその通りです、何故なら彼らの心はダークマスターズ編でカンストし、そこから更なる成長をしようとしないから。
そもそも「大人になったら成長が止まる」というのは単なる「肉体的な若さのピーク」のみをいうのであって、精神面は向上心・好奇心さえ持ち続けて行動し続けていればナンボでも上を目指せますし、実際02組がそうじゃないですか
「02」で太一たち無印組は「紋章がないから一緒に戦えない」という設定でデバフさせられていましたが、そんなのはただの言い訳であって、紋章がないから進化できないなら戦闘経験値を積んで鍛えて独力で究極体に進化させればいい話です
でも無印時代にそういうズルをかました進化しか経験せずに、外部イベント頼りだったから自分たちで何とか強くなろうという意識が根本的に欠落してしまっているのが「02」以降の無印組の扱いということなのかなと思います。

大輔たち02組が「ラスエボ」「ビギニング」で別れすら経験せずに常に心が若々しくいられてパートナーデジモンとの別れを経験しないで済むのは何と言っても彼ら自身が自分の目標に真摯に向かって頑張っているからでしょう。
特に大輔とブイモンは本当に太一とヤマトが若々しさを失って悪い意味で大人っぽい「諦め」を覚えているのに対して大輔とブイモンは何歳になろうが、何なら「02」本編の頃よりも若々しく輝いていますよね。
それって何より彼ら自身が常日頃から体を動かし鍛えて、滅多に強くなれないことを知っているからこそ進化できることや仲間がいることのありがたみを痛いほどにわかっているからではないでしょうか。
だからインペリアルドラモンをはじめ02組は続編に入っても若い心を失わずに戦い続けることができるし、何年経ってもジョグレス進化や通常進化の姿を維持できてチームワークも抜群だということだと思います。

「成長」にしても「進化」にしても別に「子供だからできて大人だからできない」ということではなく、「何歳になろうが本人に向上心があって常に上を目指し続けて行動していれば成長も進化も可能」ということでしょう。
太一たち自身その発想に至らなかったというだけで、その意味では「ラスエボ」の後付け設定がかえって無印時点でそもそも「成長」と「進化」の関係性と定義が破綻していたことを裏付けてしまったようなものです。


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