見出し画像

豊玉戦が不人気な理由を徹底考察!監督と選手たちの確執に垣間見る豊玉の闇とは?前監督・北野が残っていた場合も解説

「スラダン」のライバル校コラムも残すところ大阪の豊玉高校と秋田の山王工業のみとなったが、山王工業は最後に取っておくとしてまずは豊玉戦から見てみよう。
豊玉戦は読者の間で相当に毛嫌いされており、他の試合と比べてもあまりファンの評価は高くないのだが、その理由は端的に言えば読んでいてまるでカタルシスがないからである。
まず豊玉高校自体が初登場の時からほとんどいいところがなかったし、またそのマイナスの印象が試合終了後も覆ることはなかったというのも大きく影響している。
豊玉戦を見た後に読者がいい印象を持つことができたのは精々安西先生の動機である北野先生と流川の左目を潰してしまったエースキラー・南くらいであろうか。

私自身豊玉戦はスラムダンクで描かれる試合の中でも一番つまらないし一番嫌いなのだが、そういう私情を別としても全国大会初戦という割には盛り上がりに欠ける展開ではあったと思う。
そこで今回のトピックは大きく分けて3つ、豊玉戦が不人気である理由、監督と選手たちとの確執に垣間見る豊玉の闇、そして前監督の北野が残っていた場合についても考えてみよう。
本考察に関しては少なからず私情というかネガティブな感情を排して語りたいのであるが、それでも辛辣な物言いをするかもしれないことは予めご了承いただきたい。
果たして、この「スラダン」の中でもとりわけ不人気でいまいち面白みがないと言われる豊玉戦から得られるもの、見えてくるものは果たして何なのであろうか?

豊玉戦がつまらない理由は出来レースだから


全国高校の湘北VS豊玉がつまらない理由は全体的に言って出来レース、すなわち最初から湘北高校が勝てるように物語の構造として仕組まれているのが前段階から見えていたからである。
どういうことかというと、豊玉高校はそれまでに出てきた陵南、翔陽、海南、武里らと比べて明らかな「悪党」として描かれており、まず礼儀礼節を欠いたチンピラとして描かれていた。
陵南の彦一が偵察に行った時から仙道を見下す罵詈雑言に偉そうな態度の彦一の旧友、さらには新幹線内での湘北に対する煽りなど一触即発のような空気感を醸し出している。
そして試合が始まってもその無礼は止まらずに湘北を煽る下品な挑発に審判が見えないところでの陰湿なラフプレー、そして最後まで埋まることのなった選手たちと現監督の確執。


品性が感じられない豊玉

どこを切り取ってもほとんどいいところがなく、これではスポーツ漫画というよりも単なる勧善懲悪もののバトル漫画でしかなく、読後感のカタルシスというものがまるでない。
豊玉以前に出てきた湘北のライバル校は実力の差や戦術・戦略の成熟度の差はあれど、いずれもがスポーツマンシップに則ったフェアプレーをモットーに戦っていた。
テクニカルファウルを取るのがうまい牧や審判と喧嘩して退場になった魚住のような例もあったが、あれらとて十分にスポーツとして許容できる範囲のものである。
何かと暴れがちだった桜木にしても抑え役となる人がいたし、本人もきちんと自制をしているので決して印象としては悪くなく、試合終了後にはカタルシスがあった。

また、実力面においても同様のことが言え、全国大会前の湘北が戦ってきたライバル校は武里などのモブ校を除ければほとんどがその時点での湘北よりも総合力で上回っていた。
練習試合を含めて2度対戦した陵南にしたって、1回目と2回目では明らかにメンバーの層も実力も桁違いに上がっているし、湘北も2回目の時には安西先生不在というハンデを設けている。
つまり、県大会で戦っていた時の湘北はライバル校に比べて不足しているものや超えるべき壁があり、そうしたハードルの設定とその乗り越え方の描写が非常によくできていた。
だからこそ、湘北が勝つとわかっていても十分に試合展開そのものに夢中になれたし、力及ばずで敗北を喫した海南戦にしたって様々な教訓がそこから得られたしラストまで目が離せない展開になっている。

しかし、この豊玉戦はそもそも豊玉自体のチームカラーが品性下劣な上に試合展開も全体的に大雑把、前半で湘北が苦戦した理由が赤木と宮城が冷静さを欠いてしまったからという自業自得なものだ。
唯一苦戦する理由として納得できるのは流川の左目が見えなくなったというハンデを背負ってのものだが、これにしたってエースキラー・南の怖さよりもむしろ流川の引き立て役にしかなっていない。
終盤で逆転されそうになったのも湘北側が慢心したせいで負けそうになったからという初歩ミスであり、負けそうになった理由が自軍が墓穴を掘ったからというのでは物語として盛り上がりに欠ける。
つまり、チームとしての総合力では完全に湘北が豊玉を上回っていることは明白だったわけであって、豊玉の脅威というものがエースキラー・南以外には特に感じられないまま終わってしまった。

現監督と選手たちの確執から見えてくる豊玉の闇


上記したように豊玉はその精神性と実力面の双方においておおよそスポーツマンシップに溢れたチームであるとは言えず、はっきり一言で言ってしまえばただのクズである。
桜木花道のコラムのタイトルで桜木のことを「"ワル"ではあっても"クズ"ではない」と書いたが、その桜木がギリギリのところで踏み止まった人としての一線を超えてしまったクズが豊玉高校なのだ。
豊玉は"ワル"を通り越した"クズ"として描かれており、最初の悪辣な印象が最後まで覆ることはなく、少なくとも私は最後までスポーツマンシップを欠いた品性下劣なチームを好きになることはできない。
しかし、豊玉がこうなってしまったのには彼らの人間性の問題もさることながら、何よりも現監督と選手たちとの確執という根深い断絶にあることが物語の中で示されている。


金平監督のとんでもない発言

事の発端は北野監督がきちんと成果を出せずに豊玉高校バスケ部の監督を降ろされてしまったことにあるのだが、現監督が来た時に彼らにとんでもない言葉をかけてしまった。
そう、「ラン&ガンを捨て」という一言が余計だったのであり、それまで自分たちが売りにしていたプレースタイルを何も知らない新参者の監督に否定されたのではたまったものではない。
これでは谷沢への指導を間違えて未来を潰してしまった時の白髪鬼・安西、そして福田と仙道の扱いを誤って育成に失敗した田岡監督と大差ないミスであり、エリート主義の悪いところが出ている。
ここで大事だったのはまず豊玉高校の長所であるラン&ガンをしっかり尊重しつつ、弱点・欠点であるディフェンス力を克服していくことへ選手たちの意識を向けさせることだ。

そして何より豊玉のプレーが今ひとつ跳ね上がらない理由を選手たちに分からせるようにするためには、実戦のなかでそれを浮き彫りにすることで選手に自覚を促すしかない。
白髪仏・安西率いる湘北が非常に良くできていたのまさにここであり、単に上から桜木に基礎の重要性を説くだけではなく、まず桜木に敢えて実戦の中で恥をかかせることも行っている。
わかりやすい例が海南戦後の練習試合で三井を使ってゴール下の課題点を浮き彫りにしたり、またミドルレンジのシュート2万本の特訓でもまず桜木に自分の下手さを自覚させていた。
下手くその 上級者への道のりは 己が下手さを 知りて一歩目」という言葉通り、桜木の指導法は実は根性論の押し付けではなく桜木をうまく上達させるように意識を向けさせている。


豊玉を去っていく北野監督

豊玉の現監督は北野監督に比べて若く指導経験が不足していたのも手伝って、このように選手の性格やプレースタイルなどの適性に合ったオーダーメイドの指導法が確立されていなかった。
その上で選手たちの求心力だった北野監督の退任であり、引き継ぎもまともに行われていなかったであろうことが伺え、これではまとまるはずのチームがまとまるはずもない。
それでも湘北と戦うまでその問題点が確執となって表面化しなかったのは現監督が理性が強い人だからであって、これが田岡監督や白髪鬼・安西だったらとんでもない問題になっていただろう。
豊玉高校の闇とはお互いのバスケに対する考え方や温度感、方向性が全く噛み合わずにそれぞれがバラバラの考えで戦っていたことになり、それが試合後半で爆発する。

豊玉高校とは「ダークサイドに陥った湘北高校」だが、うまくいっていない



表面化する豊玉の確執

そうしてずっと燻り続けた現監督と選手たちの確執は試合後半で起こってしまい、とうとう監督がキレて生徒に手を上げるという最悪の展開へと突入してしまう。
それまで辛うじて堪えて来た怒りが爆発し、遂に監督は「オレはお前らが憎くてしょうがないんだよ!」と存在そのものを全否定するような発言をしてしまった。
余程腹に据えかねていたのだろうが、正直な話この場面に関しては私は豊玉のメンバーよりもこの監督の方にわずかではあるが共感・同情を禁じ得ない。
自分たちの元を去ってしまった北野監督への未練を吹っ切れずにいるのはわかるのだが、それを拗らせてああまでスポーツマンシップにあるべき言動・行動を取るのは許されたものではない。

上記したように、若さゆえの過ちでは済まないレベルの品性下劣さであり、これはもはや北野監督への未練や恩義というものではなく、むしろここで表面化しただけマシだと言えるだろう。
安西先生は湘北に思考を切り替えるように促すわけだが、ここからもわかるように豊玉高校は「ダークサイドに陥った湘北高校」として描かれているが、それが上手くいったとは言い難い。
おそらく作者・井上雄彦先生の意図としては「湘北も一歩間違えれば豊玉のようになったかもしれない」と伝えたかったのだろうが、湘北と豊玉は似ても似つかない。
まず湘北には赤木・木暮・彩子姉さんが知性派というか優等生として仕切っているし、仮に指導者が安西先生ではなかったとしてもそれを引きずるようなメンバーたちではないだろう。

安西先生への恩義を感じて湘北に入学したのは三井だけであり、他のメンバーはぶっちゃけそこまで安西先生に対して強い恩義を感じていたわけでもなく、信頼はしても盲信はしていない。
この時点で既にメンバー全員が北野監督の信者みたいな感じで宗教化していた豊玉とは大きく異なるところであり、豊玉高校は一言でいえば「北野教」とでもいうべきである。
もっとも、ここで終わるわけではなく、南が覚醒したことでもう一波乱生み出すわけだが、それでも現監督と選手たちの確執が完全に埋まったというわけではない。
結局はそれぞれが自己主張をした結果でしかなく、チームとしては元から破綻していた奴らが窮鼠猫を嚙むように火事場のくそ力を見せつけただけのことであろう。

だが、「SLAM DUNK」という作品において、そのようなラストになって急激に発揮する底力が試合全体の形成をひっくり返すに至ることなどほとんどない。
実際に赤木のワンマンチームだった時代の湘北はずっと負け続きだったわけだし、後半で藤真を引っ張り出した翔陽戦にしたって最終的には流川と桜木のルーキコンビにしてやられた。
海南戦からは桜木もいざという時の切り札のようにして描かれているが、それは桜木というキャラクターが個性として持っているものであり、陵南との練習試合から山王戦まで一貫している。
湘北はあくまで赤木を中心としたチームの総合力によって戦い勝って来たわけであり、豊玉高校は結局のところほとんど最初のマイナスイメージを覆せずに終わってしまう。

前監督・北野が残っていた場合、豊玉は湘北に勝てたのか?


さて、ここで読者の誰もが疑問に思ったこととして、前監督の北野が残っていた場合、豊玉はスポーツマンシップに則ったプレーをして湘北に勝てたか?がある。
結論からいえば、少なくとも私はたとえ北野監督が残り続けたとしても湘北には勝てなかっただろうし、礼儀礼節を欠いた言動・行動が多い時点で元々勝てないと思う。
どれだけ実力が高かったとしても人間性がきちんとしていないチームは信用や信頼なんて築くことはできないし、豊玉のあのメンバーはそもそもガチャガチャうるさいだけだ。
湘北における赤木、海南における牧のようにチームの精神的支柱となって「この人がいればチームは安泰である」という大黒柱のような存在が豊玉にはいない。


流川に謝罪に来た南

また、これは完全なる私情だが、あれだけのラフプレーをはじめ好き勝手にやっておいて湘北側に対する謝罪と反省が全く見受けられなかったのもいただけないところだ。
唯一試合終了後に安西先生と飲み山王戦のビデオテープを渡した北野監督、そして流川に目の腫れを治す薬を渡したエースキラー・南くらいはまあ認めてもいいだろう。
だが、他の奴らは自分たちの落ち度を反省し改善していく様子も見られないし、南にしたって流川を怪我させたことへの謝罪はしても自分のプレイヤーとしてのあり方を反省したかは怪しい。
それに北野監督が残ってラン&ガンを続けていたとしても、彼らは自らのプレースタイルの欠点を自覚・改善することもなくそのまま現状維持を繰り返すだけではないだろうか。

そもそもプレースタイル以前の人間性に難がある時点で豊玉は湘北はもちろん海南にも山王にも負けていたであろうし、真面目にしっかりやっている奴にはどんなズルをかましても勝てるものではない。
むしろこんなボロボロのチームがよくもまあ全国大会へ進むことができたものだと思うが、ただまあこの反省点があったからこそ山王戦はあれだけの名勝負になったのではないだろうか。
強いていえば豊玉戦の見せ場は桜木の2万本合宿シュートの披露と流川のブラインドプレーくらいのものだが、その他はほとんど印象に残らないほどの中身の薄い試合だった。
ある意味では翔陽と武里以上に悲惨なかませ犬として湘北の当て馬にされてしまった悲劇の産物、それが私が感じ取った豊玉高校である。

過去の記事も併せてどうぞ。

湘北のコラム

ライバル校のコラム


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?