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【N型】MBTIの心理機能の違いから見る八神太一・本宮大輔・高石タケルという三種の「主人公」の違い【S型】

最近、すっかりデジモンのキャラクターをMBTIに当てはめて見ることにどハマりしていますが、中でも最近のもっぱらの関心事は太一・タケル・大輔の3人の内面と劇中での表象についてです。
というのも、『デジモンアドベンチャー02』が企画段階では本宮大輔ではなく高石タケルを主人公として始めようとしていたことを作り手が公言しており、実際タケル視点で始まりタケル視点で終わっています。
だから、表面上は大輔が主人公であるにも関わらずタケル史観論としてまとめられた(悪く言えば史実が個人視点で歪められていた)のが原作の無印と「02」の話というわけです。
まあそれは置いておくとして、ファンから似ていると言われる太一とタケル、そしてその2人と本質が似てなくて石田ヤマトや太刀川ミミと親和性の高い本宮大輔について思案しています。

そう考えていたところ、最新のMBTIの動画でN(直感型)とS(感覚型)の違いについて、ものすごくわかりやすくまとめられた動画が上がっていました。

この動画で解説されていることはまあ以前から私も言ってはいるのですが、N(直感型)の人は抽象概念や漠然とした未来志向を持っていて、具体を超えた深いところで物事を考え哲学する傾向が強くあります。
一方でS(感覚型)の人間はそういう抽象概念や漠然とした未来志向はなく、常に地に足着いた現実型の人が多く、あまり哲学とかはせず具体的な形でそれを示す傾向があるのです。
もちろんこれはどちらが良い悪いの話ではなく、あくまでも「心理機能と傾向」の話なので、決してN型が正しくてS型が間違いあるいはその逆のような決めつけをしたいということではありません。
ただ、現実問題としてN型とS型の決定的な違いは「抽象概念や哲学的な深いところで話ができるか?」というところで、やっぱり人間色々関わっていると、いわゆる「深い話」ができる人とできない人がいます。

MBTIでそれを当てはめると大体「深い話」ができる人はN型に多く、逆にそれができない人がS型に多いというのはあって、だから私は人付き合いをしながらどちらのタイプかは見極めるようにしています。
当たり障りのない話をしながら「この人S型かな」と判断したらあまり難しい話はしないようにしていて、逆に思考の抽象度が高いところで話ができる人には積極的にそういう話を振っているのです。
逆に言いますと、私があまり難しい話をせず他愛ないことばかりを話していたとしたら、その人は私に無意識のうちに「深い話」ができない人だと判断されていると思った方がいいでしょう。
S型のめんどくさいところは抽象概念のな話をすると「具体例を出してくれませんか?」「ピンと来ない」と言うし、厳密に意味が違う話をしても「いや一緒でしょそんなの」と否定されることもあります。

だからS型の人とは基本的に仕事で支障のない範囲のみで関わり、プライベートで深い話をするときはやはり周囲はほとんどN型です。
要するに抽象のレイヤーで物事を考えられるか、それとも具体のレイヤーで形にすることに重きを置くのかという違いであり、実はこれが決定的な八神太一・高石タケル・本宮大輔の厳密な違いになっています。

是非とも無印組と02組のMBTI分析と傾向を再度ご覧いただきたいのですが実は「02」でセリフや物語のテーマとして言語化されていることは無印だと殊更に言葉としては語られていません。
例えばタケルが言う「デジモンにはね、生命があるんだ!生きてるんだ!ぼくたちのかけがえのない、大切なパートナーなんだよ!」「命にはね、いいも悪いもないんだ。命はただそこにいるだけですばらしいものなんだ」がそうです。
これらのセリフは無印ももちろん「内包」はしていたかもしれませんが、それが「思想」「哲学」であるかのように大上段から語られたことはほとんどありません。
大輔が賢に語りかける「お前がいなくなったら悲しむ人のことを考えろよ!俺はここでお前を行かせて、それでお前が帰ってこなかったら一生後悔する!だから絶対行かせねえ!お前がいいと思っても俺は嫌なんだ!生きろ!」もそうでしょう。

タケルにしろ大輔にしろ、語り口と態度は違えど02組の主人公ズが語るセリフはなんとも抽象度が高く、共感できる人はできる反面できないに人には全くピンと来ない話になっています。
タケルや大輔が口にしているこれらのセリフを太一が無印で言っていたかというと一切言ってないし、むしろそんなクサいことを太一は鼻白むでしょうね。
太一は基本的に具体に基づく正論しか言わないし、だから43話冒頭で大輔がいつも以上にリーダー風を吹かせて「明日に備えて休もうぜ」的なことを言うと呆気に取られて「たまにはいいこと言うじゃねえか」とか言います。
まあ大輔の場合はタケルと違って「無自覚にクサいことを言ってしまう」というENFP(運動家)なので、土壇場でそれが出るとめちゃくちゃハマるんですけど、平和な日常で言うと浮いてしまうのでしょう。

この違いをMBTIの心理機能からもう少し掘り下げて考えられないかを調べていたのですが、そうしたらESTP・ENFJ・ENFPのそれぞれに関して割と面白い心理機能が記載されていました。

まずはESTPの太一から。

https://wikiwiki.jp/16types/ESTP TiとFeの葛藤、折衷、そして統合

若い頃は特に、交流関係は広くなるものの、信頼関係をきちんと築くことができず、 仲違いをしてしまうことも多いかもしれません
それでも、徐々に礼儀をわきまえ、他者の必要としていることや、他者の能力を見抜いて、何をすべきか理論的に考え、目標達成のために協力関係を結ぶことができるようになります。
そして、共に働き協力して成果を出すことが出来る機会を得れば、信頼できる仲間が増えてゆきます

次にENFJのタケル。

https://wikiwiki.jp/16types/ENFJ Fe-Seループ

ENFJは、エネルギッシュで積極的に人々に関わり、外界をよく観察し、現実的な世界を楽しもうとします。
しかし、あまりにも積極的に注意を外界に向け、内省が疎かになったまま、Fe-Seループに陥ってしまうことで、エネルギーを浪費してしまうことになります。
特に、若く発達途上のENFJは、このループにはまりやすい傾向にあるので注意が必要です。

そして最後にENFPの大輔。

https://wikiwiki.jp/16types/ENFP FiとTeの葛藤、折衷、そして統合

若い頃は特に、人間関係や社会について抽象的な疑問を抱き、 何が本当に正しくて、何をすればよいのか、ひとり考えます。しかし、納得の出来る答えを見つけらず、苦しみ悩むことになります。
とりあえず、アイデアはふんわりとしていて、未知のことが多くても、実際に計画し、皆に働きかけ共同して働くことで少しずつ形にしてゆき、現実味を帯びた理解が得られることに気がつくようになります。

とても面白い指摘であり、太一は無印もアドコロも共通している特徴として「交友関係は広いが信頼関係を築くのに時間がかかる」こと、そしてタケルは「外側に意識を向けすぎるあまりに内面の葛藤が疎かになりがち」という特徴があります。
そしてENFPの大輔は「漠然とした抽象的な疑問を抱きながら考えるが、なかなか具体的な方策が得られずに苦悩する」というのがあって、だから初期はどうしても報われないというか空回りしがちなんですよね。
本質を発揮し始めた後半でもその立ち位置はあまり変わりませんでしたし、ENFP(運動家)は本質ではものすごく深いところまで考えていて直感レベルで相手の本質まで見抜いてることがわかっています。
ただ、それをきっちり言語化できるほどの賢さや頭の良さがないから「バカ」と思われがちなだけで、少なくともESFP(エンターテイナー)のミミに比べれば全然バカではないです。

逆に私に言わせれば、無印太一や02タケルの方がよっぽど深みがないように見えてしまうし、彼らと友達や仲間になりたいかと言われたら私は断固拒否します(笑)
まず太一に関しては以前に「ESTP(起業家)の悪いところばかりが集まっている」と書きましたが、私が彼をファンが口々に言うような「カリスマリーダー」として崇められないのはそこなんですよね。
太一って基本的にパソコンを叩いて直そうおしてフリーズさせ事態を悪化させた戦犯ですし、無印でも色々とやらかしが多かった(特にヤマト・ミミ・丈の離反は間違いなく太一が元凶)ので。
それにESTPは「人の資質・才能」は見抜けても「内面の本質」までは見抜けない上に物事の危険性を過小評価しがちというのがあって、本来であればチュートリアルレベルの冒険をややこしくしてるのは大半太一が元凶です。

理想のカリスマリーダー?とんでもない、その場の思いつきで無茶苦茶やらかすようなESTP(起業家)なんて危なっかしくてついてく側は大変です
以前にESTP(起業家)は「創業」には向いていても「経営」に向かないと書いたのはそれが理由であり、思考の抽象度が低いから自分のやっていることに「再現性」がありません
これは特に最近メンターから教わっていることなんですが、S型の人間は「仕組みに従う」ことはできても「仕組みを生み出す」ことはできません
つまりどこまで行こうと「プレイヤー」でしかなく「マネージャー」「リーダー」とは程遠いので、太一みたいなのを模範的なカリスマリーダーと崇めるのは大変危険なのです。

基本が経験則な太一の思考は哲学でいうところの「帰納法」であって「演繹法」「弁証法」ではないから、いいとこ「前線の突撃隊長」であって特別な「リーダーシップ」「説得スキル」といった「人心掌握術」を持っているわけではありません
そんなのが初代主人公だというわけですから、デジモンシリーズがなぜポケモンに長期的に見て勝てなかったのかというとここなんですよ、だって無印の冒険や太一のカリスマ性って「再現性がない属人化したもの」だからです
それすらもわかっておらずに作品だけを見てファンが太一をカリスマリーダーだの讃えている様を見るとちょっと怖いというか近づきたくないというのがありますね。
まあ「Tri.」ではESTP(起業家)の不健全時が描かれていたのをファンは「こんなの太一じゃない」とか言ってましたが、私に言わせればあれは「化けの皮が剥がれただけ」です、別に不思議でもなんでもありません。

じゃあ二代目として据えようとされた思考の抽象度が高い高石タケルはどうなのかという話ですが、以前にも書いたようにENFJはENFJで言ってることがあまりにも抽象的すぎて中身がない、一言で言って「空虚」です。

以前にこちらの記事で炭治郎の例を挙げてENFJを「THE出来ラッシャー」と書きましたが、実際に高石タケルを「02」の主人公にしていたらおそらくは炭治郎と同レベルかそれ以上に「嫌なヤツ」になったでしょう。
精神科医・斎藤環は自身の記事で炭治郎のことを「「優しさ」はあるが「共感力」には乏しい」「空虚な中心」と述べていましたが、これは決して炭治郎固有のものじゃなく、不健全なENFJの心理機能に見受けられる傾向なのかもしれません。
実際高石タケルにも炭治郎のような「優しさ」はあっても「共感力」がなく、頭の中を幼稚な「ウィルス種=闇=悪」という価値観に汚染されているため、その価値観以外の可能性を想定し対処する力に欠けています。
だからヒカリに対して「いつまで太一さんに頼ってんだ!」とかカイザーじゃなくなった直後の賢に対して「デジモンには生命があるんだ!」なんて言葉を平気でかけて人の心の柔らかい部分を無自覚に踏み躙ってしまうのです。

10年ほど前に私はタケルの吐くそうした空虚な綺麗事や幼稚な正義を「どこぞの道徳の教科書にでも載ってそうなレベル」と書いたことがありますが、これはもしかすると不健全なENFJの特徴なのではと最近思うようになりました。
大事なことなので何度でも言いますけど、私が「鬼滅」の炭治郎を見た時に心底好きになれなかったのは「02」のタケルにも通じる「空虚で幼稚な正義」に対する欺瞞を感じていたからです。
INFPとENFJは理論上の相性がいいと言われますが、それはあくまで健全時のみであって、不健全な状態のENFJは「ニコニコ笑ってるけど何考えてるかわかんない奴」ですし、その正義が少なからずウザい時もあります。
そんな彼が太一に代わる二代目主人公になったらそれこそ作風全体が「鬼滅」のように空虚な狂気じみた正義でデジモンカイザーと悪デジモンをぶっ倒すだけの胸糞悪い話になっていたでしょう。

結果的にとはいえ「02」の主人公が太一でもタケルでもなくENFP(運動家)の大輔だったのは僥倖だったとしか言いようがありません、そりゃあ「地上最大の希望」「奇跡の輝き」「ロイヤルナイツの始祖」になれるわけです。
大輔の造形ってデジモンシリーズだと異質ですが、同時代の作品群を見ると決して特別ではなく、00年代初頭の作品群は「ONE PIECE」のルフィ、「NARUTO」のナルト、「タイムレンジャー」の浅見竜也と全員ENFPでしたから
世間全体が疲れていて何を目指して生きていけばいいのかわからない複雑なあの時代に必要だったのは太一やタケルのような主人公ではなく大輔のような柔軟に判断しつつも悪の本質を見抜いて倒せる主人公だったのでしょう。
思考や感性の抽象度は高く、その上で更に安易な判断基準で相手を罰するのではなく、その本質を見極めようと向き合う心がなかったら「02」の物語はああも優しいものにはならなかったと思います。

まあこれは私がアズマケイさんと同じように無印ではなく02を先に見たからこそ、太一やタケルではなく大輔視点で彼のフィルターを通してあの世界を見ていた、というのが大きいのですけどね。
ただ、アドベンチャーシリーズにおいて主人公力の高いこの3人の性質をMBTI上から細かく分析していくと、より解像度高く無印や02の世界観やお話が見えてきて面白いところです。

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