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奢り奢られ論争に対する個人的見解〜お金とは「信用」である〜

なんかまたもや「奢り奢られ論争」なるものがSNS界隈を賑わせているらしいが、今回のこれに限らず、私は「男が女の食事代を全部出すべき」という意見に全く賛同できない。
そもそも「食事代を奢る」と「男は女に優しくすべき」とは本来別物として考えるべきことであるのに、なぜだか混同されてしまっておかしな議論になってしまっている。
件の記事でおかしいのは明らかに奢られること前提のバカ女たちであり、「港区では男が女に出すべき」というわけのわからない風潮があるらしい。
港区というのはどうやら男が女に奢るべきであり、そういう飲み会・食事会が頻繁に行われているらしいので、私は今後一切港区には近づくまいと固く心に誓った

そんな「クレクレ厨」を体現したような品性下劣な女どもが跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)している、「男は女に全額出すべき」という勘違い女たちに向かって私が言いたいのはこれだけだ。

あなた方が男性陣に奢ってもらえないのは単純に「信用」がなかっただけなのでは?

お金とは所詮「信用」であり、その人に対する信用を数値化したものでしかなく、それは男女の奢り奢られ論争に関しても例外ではない。
これは英単語”credit"の語源を調べれば簡単にわかることであり、元々はラテン語の”crēdō”(信じる、自信がある、託す)が語源である。
もっともわかりやすい例はクレジットカード=信用残高であり、適切な使い方をしていれば、そのクレジットカードで使える額の枠が増えていく。
それだけの信用がその人にあるということの証明がクレジットカードであり、まずこの基本をしっかり押さえておく必要がある。

また、仕事でもらう給与なども労働者に対する信用の数値化であり、「今あなたはこれだけの働きをしてくれているので、対価としてお金をこれだけ支払います」という意味なのだ。
お金は天下の回り物、だからこそ「所有する」ものではなく「預かる」ものと考えるのが妥当であり、今一時的にそのお金を会社から給与という形で預かっているに過ぎない。
なぜこんな話をするのかというと、奢り奢られ論争という低次元なる諍いに躍起になっている世の男女はそもそもの「お金とは何か?」の前提がわかっていないことがほとんどだからである。
人が人に対してお金を出すときは決して「男だから」「女だから」といった生物学的な性差別ないし社会的な性別(ジェンダー)によって行われるのではない。

「この人に対してならお金を支払ってもいい」「この人の貴重な時間と情報に私は投資をする」と想うからこそ、男女を問わずその人の「人間性」に対してお金を支払うのである。
つまり、男性陣に奢ってもらえなかったことで文句を言ってる世の女性たちはそもそも自身の人間性に何らかの問題があって魅力を感じられないから出してもらえないということだ。
本当にお金を出してもらえるだけの人間力という名の信用がある人たちはそんな細かい金勘定なんか一々気にしないし、本当に有意義な時間をその人と過ごせたなら自然とお金を出したがるものである。
お金が動くかどうかはあくまで結果であって、そこに対してどうこう文句を言ったところで始まるものではないし、お金でしか繋がれないような人間関係など最初から持たない方がいい。

私の場合でいえば、私は基本的に信用できる身内、具体的には家族や親友に対して、以外にプライベートでお金を出して奢るなんてことはない
大して仲良くない赤の他人とのデートの時は基本的に割り勘であり、それこそ女性とのデートで奢られた経験だってゼロではないが、そのことを気にしたことも、それでトラブルに発展したことも一度もない。
あくまでも本人が「私が出すからいいよ」と自由意思に基づいて行ってくれているので、そういうご好意はありがたく受け取っておかないと逆に失礼かなと思う。
ただし、その奢ってもらった分に関しては何らかの形できちんとリターンはする、あくまでも相手が与えてくれたものに対してはきちんと相応の返しをするのがマナーだからである。

男性陣にデートで奢ってもらいたいというクレクレ厨の女性陣には「Give & Take」(与えて取る)の「Give」がなく、「Take」しか頭の中にない
いかに相手からお金を奪い取ってやろうかという考えしかなく、まず自分が相手に対してきちんと与えてから相応のリターンを得るという発想がないのである。
だから奢るのが当たり前なんて心根のさもしい意見しか出ないのだと思うし、そのような人に対して支払うお金なんて私はビタ一文も持ち合わせていない
相手から奪う思考でいる限りお金はどんどん離れていくし、「金金金」とお金に執着してしまうことで逆に金運が下がっていく負のスパイラルに陥ることに気づかないのだ。

何が言いたいかというと、割り勘にするか男女のどちらかが奢るのかというそれ自体は瑣末な問題であり、自分たちの好きなようにすればいいだろう。
大事なのは自分自身が他者にお金を出してもらえるだけの人間力・信用があるかどうかであり、普段から金払いをきちんとよくしておけばいいのである。
他人に期待して見返りを求めてしまうようになるし、そういう思考の人には同じような波動・思考の人間しか残らなくなるものだ。

人の振り見て我が振り直せ、まず自分が奢ってもらえるだけの信用があるか、今一度胸に手を当てて考えるべきだろう。

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