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前原一輝と西岡竜一朗は本当に役のままだった!?金子昇との鼎談の中で見えた2人のレッドの違い

「ギンガマン」「ゴーゴーファイブ」の両作品をリアルタイムで見て思い入れのあるファンからすると、この動画は非常に見応えのあるもので、いかにもな戦隊役者の対談動画より遥かに価値があった。
コメントでも書かれていたが、この動画は今からちょうど3年前の2020年10月末にあった「ゴーゴーファイブVSギンガマン」のトークショーの前日に前原一輝・西岡竜一朗・金子昇の三者で撮ったものだ。
東京国際映画祭のトークショー本編も下に貼っておくので気になる人は見てみるといい。

この動画で改めて前原一輝がなぜたった8年で芸能界から姿を消したのかの真相が語られていたが、いわゆる引退の時の文言と違う前原一輝自身の肉声で語られる動機が面白かった。
2003年4月に引退の決意を綴った文言では、前原一輝は引退の理由をこのように語っている。

私、前原一輝は平成15年4月30日をもちまして芸能界から引退させて頂くことに致しました。
ご報告が遅れてしまいましたが、悩み、考えた末に、引退という答えを出しました。
そもそも私はこの仕事を始めるにあたり、「役者」も生活を支える上でのひとつの「職業」だと考えておりました。
しかし仕事をこなしていくにつれて、「役者」というのは生活の手段にはならないということに気が付きました。たぶん、人生そのものなのでしょう。
当初考えていた人生設計からすると、一定の糧を得ることよりも「役者」のみに没入していくこの世界に少しずつ違和を感じ始め、不安にさいなまれるようにもなってしまいました。
もちろん私なりにこの仕事を選んだ以上貫こうと自分に言い聞かせ、努力してきたつもりですが、自分を取り巻く現実の生活に目を向けなければならなくなりました。
その葛藤にあった時、「壁」が邪魔をして前に進みづらくなった時、くじけそうになった時、常に前原一輝を応援して下さっている方々からたくさんのお手紙などを頂きました。
出演した作品の感想、舞台上の私への励ましの数々、そのお手紙に勇気付けられ、支えられ、なんとか前に進むことが出来ました。
どんな言葉も陳腐になってしまう程感謝でいっぱいです。
しかし、自分が自分であることを私はどうしても優先したいと考えて今回の決断に至りました。

この文言では本動画で語られているような「当時おつきあいされていた女性との結婚」に関することは一言も匂わされてすらおらず、オブラートに包まれている。
それはおそらくファンの方々ならびにお付き合いされていた女性の方を慮ってのことだろうが、この文章から何処と無く彼の中で「役者」として大成するイメージが見えなかったのだろう。
「「役者」というのは生活の手段にはならない」「一定の糧を得ることよりも「役者」のみに没入していくこの世界に少しずつ違和を感じ始め、不安にさいなまれるようにもなってしまいました」も間違いではない。
役者に限らないが、芸能界で生き残るには何よりも「需要=人気」と「運」が大事であり、きっと役者という仕事をこなす中で10年も20年も続けられるとは思えなかったのだろう。

その後、2011年に『海賊戦隊ゴーカイジャー』で一度きりの「炎の兄弟」を実現させた後、彼は再び一般人に戻ったのだが、その時高寺プロデューサーとも再会を果たし芸能界引退の理由を改めて語っていた。
「純粋に演技が楽しめなくなった芸能界の現状に限界を感じた」「『ギンガマン』放映当時に知り合った女性との結婚を機に引退を決意した」と初めて「結婚」という言葉が出てくる。
そしてそれを踏まえての今回の動画に繋がっているわけだが、口ぶりなどから察するに「生活に困窮するほど稼げていないわけではない」が「超売れっ子というわけでもない」という微妙なグレーゾーンだろうか。
前原一輝が語る言葉も顔つきもいわゆる「芸能界に対する未練」が全くなく、もはや「過去の思い出」として綺麗に消化しており、現在の静岡県での車のセールスにとても前向きに励んでいるようだ。

対して、西岡竜一朗は語る言葉の端々や顔つきなどにまだ「芸能界に対する未練」があって、機会や運があれば芸能界にまた戻って役者をしたいという執着を捨て切れないでいるらしい。
別にこれはどちらが正解というわけではないが、見ていて興味深かったのは役と素は別物とはいえ、根っこの部分で割と前原一輝も西岡竜一朗も役とリンクする部分があったのではないかと思う。
西岡竜一朗に関しては「気合だー!」も含めて自分のアドリブが大半含まれていて、むしろ当時の自分をほぼそのまま反映していた方だと公言しているので問題はない。
しかし、前原一輝が演じたギンガレッド・リョウマは前原一輝の素という面があまり見えず、どちらかといえば小林靖子や髙寺成紀らスタッフのカラーの方が強かったと思う。

そんな風に長年思ってきたのだが、トークショーでの「男たるもの、勝ち続けたい、どんな些細なことでも」発言から見るに、実は西岡竜一朗よりも前原一輝の方が思い切りがいい男前なのでは?と感じた。
「ゴーゴーファイブVSギンガマン」を見ても思うのだが、あの作品も一面的に見ればグイグイ主導権を握って引っ張るマトイ兄さんに翻弄されながらも熱さを出していくリョウマという構図に見える。
しかし、奥底の本質的な部分で見ていくと、実は覚悟を決めた時に振り返らない芯の強さを持っているのはリョウマの方で、マトイ兄さんの方が意外と優柔不断というか芯が脆い部分があるのかもしれない。
例えばビルに突っ込もうとするところで、リョウマたちギンガマン側は最短距離で本拠地まで突っ込んでいこうと考えているのに対して、マトイ兄さんたちは先にホテルの人たちを避難させる作戦を取った。

この辺りは星を守るために力を純粋に研鑽してきたギンガの森に住む戦闘民族と国家公務員として救助活動することで社会貢献を果たしている救急チームとの違いなのだが、それだけではないだろう。
リョウマは決してヒュウガやマトイ兄さんの用にオラオラと先輩風を吹かせて引っ張るタイプではないが、自分が「やる」と決めたことは最後までやり遂げる、そのためなら「振り返らない」ことができる強さを持つ
なかなかこの辺りは言語化しにくい部分だったのだが、今回前原一輝が芸能界を引退した理由とそれを受けての西岡竜一朗の反応を見て、この2人はリアルにギンガレッドとゴーレッドなのだなと思えた。
むしろ東京国際映画祭のトークショーよりも遥かに深いことを語っているし、私もそんな生き方ができるとはと衝撃を受ける程、前原一輝という人の生き方に驚いている。

これは全くの個人的な印象だが、ギンガレッド・リョウマというヒーローと前原一輝という個人が本質的に共通するのはこの「覚悟を決めた時に後ろを振り返らない」という潔さ、決断の早さだろう。
単純に剣術やアースをはじめとする戦闘力だけではなく、第三章で「俺たちはもう振り返らない」と言っていたように、二者択一の状況で選ばなかった方を切り捨てる判断力に優れている
だから芸能界を引退することと引き換えに当時お付き合いしていた女性と結婚することを選んだ前原一輝とそこが深く繋がっていて、少なくとも今の生活に後悔や迷いを感じたことがない
むしろ彼女と一緒に行った静岡という住んだこともない土地で自分が生きた証を残し、彼女のために尽くせるといういい意味での他人軸な生き方ができる彼は芯の部分がとても強いのだ。

普通、役者としてそこそこに売れたら天狗になってもおかしくないし「もっと上を目指そう」となるであろうし、その為なら交際していた女性と別れるということをしてもいいはずである。
しかし、彼はそうしなかった、まるでそれは星獣剣を本来の資格者であるヒュウガに返上せずに自分がギンガレッドとなって星を守る戦士たることを選んだリョウマの生き方そのものだ。
何が凄いと言って、芸能界を引退することに一切後ろめたさや暗さがなないことである、リョウマも前原一輝も「方法」「過程」に葛藤したとしても「目的」と「判断」は決してブレない
ファンの贔屓目ということを抜きにしても、実は歴代の戦隊レッドの中でこの「ブレない強さ」は歴代屈指であり、それがギンガマンの気高き戦士の自負心にも繋がっているのではないかと。

それに対して西岡竜一朗ならびに彼が演じたゴーレッド・巽マトイはそれとは逆で、何かを成し遂げるために切り捨てることや決別することに関しては割と不器用で迷いがあるように感じられる。
今でこそ芸能界を引退してバイク屋を営んでいるが、根本的に芸能が好きだし可能ならまだ戻りたいという未練を捨て切れずにいるという思いも率直に明かしていた。
何せオーディションで「マトイという男を演じ切ることができるか?」という質問に対して「僕、元々熱いんでできないわけないと思います」という強い二重否定の言葉を語っている程である。
だからこそ、命をかけて「人生そのもの」と思い込んでいた芸能の道で、役者として食べて行くことが厳しくなっている自分の現状に対して忸怩たる思いがあるのかもしれない。

これはマトイ兄さんもそうで、巽家の中で彼は「兄」であると同時に実質の「父」でもあり、弟たちを引っ張っていく苦難の道を最初から宿命づけられていた。
そんな彼にとって個人的動機のためにチームや家族を捨てるという選択など到底行えるとは思えず、だから今の「役者ではなくなった自分」が「ゴーレッドでなくなった自分」なのだろう
しかし、そんな彼が前原一輝の「今お付き合いしている女性のために芸能活動を引退して静岡に行きます」という決意を聞いて衝撃を受けたというのは語り口などからして相当ショックだったはずだ。
西岡竜一朗は役者という道を極めるために必死に頑張る「24時間戦えますか?」を体現するような人だからこそ、芸能界並びに役者に対する執着が未だにあるのかもしれない。

これはもちろんどちらが良いとか悪いとかいう話ではないが、「1つの選択のために他のあらゆる可能性を潔く捨て去る」者と「全てを抱えてでもあらゆる可能性を模索しようと執着する」者。
そう考えると「人見知りでなかなか他者を受け入れるのに時間がかかる」ということも含めて、西岡竜一朗並びにマトイ兄さんは根っこの部分で意外と繊細なところがあるのかもしれない。
男らしい親分肌の性格だからこそ、前原一輝とは違い他者の目が気になったりメンタル面にあまり余裕がなく精一杯だったりするのかもしれないと一連の流れを見て思った。
そしてそれを楽しそうに俯瞰して聞いている金子昇もどこかでガオレッド・獅子走っぽいというか、当事者意識のようでいて実は外から2人の話を聞いている感じも見ていて面白い。

何気ないおじさんレッドのトークだったけど、こういうのこそが本来の「飲み屋談義」「飲みニケーション」の良さだなあと思った。
それぞれに素敵な歳の取り方をしていて、いかにもYouTubeに合わせて作った感じもないから素直に見ていられるし、こういう役者のカラーの違いが役の違いに繋がっていたのかと納得する。


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