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関東氷帝S1で手塚が左肩を犠牲にした時の心理とは?

今回の話は先日跡部視点で語った関東氷帝S1を今度は青学サイド、手塚国光の心理を考察していきます。
あの記事で私は「手塚はこの時大和部長の約束を果たそうとしたわけですが、これには実は自己犠牲だけではなくもう1つの意味があるのですが、それはまた後の機会に」と書きました。
今回はそれについて書いていきますが、結論から言えば手塚にとってあの試合は手塚に匹敵する2人の天才・越前リョーマと不二周助に己のテニスが何かを見せたかったのではないでしょうか。
基本的にテニプリにおいて自己犠牲は決して安直に肯定されていないのですが、手塚が単に青学を勝利に導き先へ進むためだとしても左肩を故障してまで戦い続ける必然性はありません。

実際、手塚はあの試合で僅差とはいえ敗北して越前が日吉に勝利することで青学は先へ進めるわけですから、あの試合は別に手塚が棄権負けしても良かったわけです。
まあ手塚の不器用な性格ではそれは出来ない相談なのかもしれませんが、個人的に引っかかったのは越前リョーマが手塚に「俺に勝っといて負けんな」と声をかけたシーンでした。
その後越前はウォーミングアップをしに桃城と出ていき、戻ってきて手塚は「越前、2ヶ月前に高架下のコートで言ったことを覚えているか?」と言います。
そこで改めて「越前、お前は……お前は青学の柱になれ」という言葉が出てきますが、実は許斐先生があの試合で描いたものの意味はここに帰結するのではないでしょうか。

以前もキャラ考察したように、元々の手塚はとてもバイタリティーに溢れており「俺たちの代では青学を全国に導いてやろうぜ」と言っていましたが、それは決して利他的な視点からではありません
登山で高みを目指すように、手塚はおそらく中学テニスの高みとしてある全国大会へ行きたいという思いがあって、全国がどんなステージかを夢見てワクワクしていました。
しかしその後先輩たちの反感を買った手塚は左肘を故障した挙句一度は青学テニス部を辞めようとし、大石の説得と大和部長との約束によって青学に留まることになります。
そしてそこから2年もの間手塚は自分本来のテニスが出来ず楽しそうな感じがしませんでした、何故かって自分を隠してチーム向上に勤しまなければならなかったからです。

ぶっちゃけあの跡部との試合は手塚にとっては苦しそうでした、何だか暴走機関車のように歯止めが効かない状態になっている手塚が怖く見えましたし、それは跡部も同じように感じていました。
そんな辛い傷を押してもなお戦い続ける最大の理由は、自分が青学の柱を託した越前リョーマに本気のテニスを見せることで、それを発奮材料にして更なる高みを示したかったのでしょう。
実は越前は既に跡部に対して「猿山の大将さん」と因縁をつけており、思えばこの時点で既に越前と跡部様が全国氷帝S1でぶつかるという構想はある程度出来ていたと思います。
ましてやテニプリは「悪人が更なる悪人を倒す物語」である以上、この時の手塚に跡部を倒させる構想は最初からなかったのではないでしょうか。

思えば手塚がそれまで1年生を校内ランキング戦に入れるなんてことをしなかったのに、越前リョーマだけは特別待遇で入れて「越前と試合をさせてください」と申し出ました。
この時点で手塚は青学の柱を越前に託すことを視野に入れており、きっと越前が入ったこの青学なら全国大会No.1も夢ではなく目標となることを悟っていたのでしょう。
そんな越前に自分が青学の部長として、そして1人のテニス選手としてできることはとにかく楽しいという次元を超えた遥か高みにある死闘を見せることでした。
これによって越前に「お前ならこの高みへと登れるはずだ」ということを示し、関東大会決勝の立海とのS1を不二周助ではなく越前リョーマにしたのです。

だから越前も手塚もおそらく跡部には勝てないことがわかっていたはずで、だからあそこでの「俺に勝っといて負けんな」「俺は負けない」は形式的な試合の勝敗ではありません
強敵を目の前にして我が身可愛さに逃げて辛いことから逃げてしまいそうになる自分に負けないことであり、これが手塚があの試合を最後まで続けた理由になっています。
そして越前はその後の日吉との戦いで初めてベストテンションの試合を見せるのですが、この時初めて彼は青学の柱を背負う最初の入り口に立ったのではないでしょうか。
それは正に先輩から後輩への伝統の継承でもあり、また越前が更なる高みを目指すため、そして手塚が自分と向き合うために必要なことだったのです。

そしてもう1人は勝敗に執着できない男・不二周助であり、これはどちらかといえば結果論で決して手塚が意図したわけではありませんが、不二がこの試合で手塚への認識を大きく改めました。
立海との赤也の戦いの中で不二は自分が手塚と同じ人種だと思っていたその認識を大きく覆されたのがこの試合であり、越前だけではなく不二にとっても影響の大きい試合です。
越前と「戦いたくなった」と思いながらもあの試合で不二は越前に対して本気で勝ちに行くことが出来ない自分の精神面の不安定さに葛藤していたことを手塚に吐露します。
しかしテニスが大好きな手塚にとって不二の「勝敗に執着できない」という気持ちは理解できず、ずっと不二が手塚に依存し続ける形なのかと思ったら矢先の跡部戦でした。

ぶっちゃけ私は不二が言う「僕と同じ人種だと思っていたよ」の意味がいまでもよく分からないのです、だって明らかに手塚と不二は違う人種じゃないですか
考え方も性格もプレイスタイルも違うし考え方もテニスに対する姿勢もまるで違いますが、不二は手塚が自分と同じで本気を出さなくても勝てるという意味で同類だと思っていたのでしょう。
でもそんな手塚が怪我を負ってもなお最後まで歯を食いしばって戦い続けることで不二に「勝ちへの執着とはどんなものか?」を示す意図があったのです。
しかしこの時の不二は越前と違ってまだテニスに対して後ろ向きでしたから、越前のように手塚のメッセージを感じ取って実践することが出来なかったのではないかと。

手塚は別に不二を救おうとかやる気にさせようとか思っていなかったと思いますが(越前とは違い不二への心理描写がないので)、彼の取った選択が結果てに不二の琴線に触れたのです。
ここで越前が青学の柱を受け継いでいくことを日吉戦で証明し、そして不二は赤也戦で「勝ちへの執着」を手にするきっかけをもらって成長していきます。
手塚が青学の中でも目をかけている2人の天才が更なる高みを目指すことで手塚の心理的な負担が幾分減っていったのではないでしょうか。
そのように考えれば、どちらにしてもあの試合は手塚が最後まで戦う他はなく、あそこで棄権負けをしていたら全てが不完全燃焼となり青学は先へ進めなかったと思います。

実際に全国大会前に九州でリハビリを済ませて戻ってきた手塚は百錬自得の極みを取り戻して真の青学の部長として蘇り、少しずつ自分のために戦うようになります。
そして越前が青学の柱として大きく成長し跡部様・真田・幸村と悉く悪人を倒して青学を全国優勝に導くことで手塚はようやく笑顔になるです。
最終的なテニプリのテーマが「テニスを楽しむテニス」だとするなら、手塚が左肘を故障したことで失ってしまった「テニスを楽しむ心」を取り戻すのにはあの試合は必要なことでした。
しかしそれを考えると、本当に怪我も治って天衣無縫の極みまで会得してドイツでプロになるために楽しく溌剌とテニスを楽しんでいる手塚の苦労が漸く報われた感じですね。

手塚VS跡部が手塚国光という人物の物語のスタートならば、新テニのドイツ戦の手塚VS幸村は手塚の物語の完結を意味する試合だったのだなと思います。

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