人生で大事なのは「夢」「希望」ではなく「目標」「目的」である
『ドラゴン桜』のファーストシーズンに出てきた桜木弁護士の名言だが、最近は特に強く思うこととして、「夢」「希望」のような「感情論」ではなく「目標」「目的」のような「実利」こそが最も大事だなと。
よく「会社は学校ではない」と言われる(そんなタイトルのドラマがAbemaにあったなそういや)が、学校も実は会社経営と共通していることが1つある。
それが「偏差値」「成績」「進学実績」といった「数字」で最終的にその学校のランクがわかるということであり、「理念」「夢」「希望」「個性」「人間性」なんてものは所詮美辞麗句でしかない。
実際、私がいた高校も進学校としては大した実績も出せないような片田舎の二流・三流の自称進だったから、浪人するまでは自分のいた学校がいかにぬるいところかなんて知りもしなかった。
未だに「大事なのは学歴じゃない」「人間の評価は成績で決められるものじゃない!」という人がいるが、本当にそうか?
夢だの希望だの愛だの、そんなものは所詮1円の価値すらない弱者を正当化する綺麗事であり、現実の厳しい競争社会の原理の前には何の役にも立たない。
確かに成績「だけ」ではその人の価値はわからないかもしれないが、それでも数字は基本的に嘘をつかないし、学校でも会社でも生まれてから死ぬまで人は常に「数字」と向き合わざるを得ないのだ。
だから、数字を無視したような感情論には何の興味もないし、そんな曖昧なものでうまく行った物事など一つもない。
わかりやすい例を出すなら、それこそ近年では「予祝」で有名な阪神の矢野燿大元監督がそうだった。
予祝をわかりやすく説明すると、古来日本に伝わる「豊作や子だくさんを願ってそうなるように予め祝う神事」という立派な行事のことをいう。
しかし、これが2018年辺りからの一時期、ひすいこたろうや鴨頭嘉人らによって「前祝い」というハッピーでポジティブなイメージだけが先行してしまった。
とにかく努力も何もしなくても前向きな未来をイメージすることでうまくいくという一種の「呪い」であるかのように、スピリチュアルや引き寄せの法則と同列に語られていたのは記憶に新しい。
そんな彼らはもう今や見る影もない、当たり前だが確固たる目標・目的に基づかない=数字で定量化されない上辺だけの薄っぺらい予祝でどうにかなるほど世の中は甘くない。
阪神が去年優勝したのは岡田監督に代わってから徹底した勝つための戦略・戦術で目標・目的を数字で定量化してゴールを明確にしたからである。
最近私に刺さった言葉が「「愛」だの「夢」だの「希望」だのといった感情で行動してはダメ。常に目的優先で数字で考えなければ」だった。
実際その通りで、感情優先で行動して物事が好転したことなんか一度もない、結局は確固たる目標・目的を明確にしてそれに沿って行動するこどが一番に求められる。
9/21にまだ心の中にこびりついていた負の感情が全て洗い流されて自分の目標が具体化してから、本当に清々しいほど人間関係で悩まなくなった。
おかげで、波動を下げるような人間はどんどん私から離れていき、むしろ自分を成長させてくれるような素敵な職場・人間関係に感謝している。
自分の日々の目標・ノルマをしっかり数値化しそこから逆算して戦略・戦術を割り出し、終わったらフィードバックを頂いて自分の失敗と向き合う。
結構言われたくないようなきついこともズバズバ言われるが、でも「痛み」を伴わなければ人は成長できないからと割り切って日々を充実させている。
でもそれはネットのSNSでありがちな民度もレイヤーも思考の抽象度も低いような誹謗中傷や悪口とは明らかに種類が違うし、心底納得できるものだ。
数字で定量化できない目標・目的はそれがどんなに立派で高尚でも決して達成されることはないし、事実ベースで主観を交えずに物事を考えられない人と話すのも面倒くさいし関わりたくもない。
最近は世の中の98%の情報はほぼ全て遮断して、残り2%の自分が身近に頂ける一次情報だけを大事にして、それに沿った規則正しい生活習慣に自分を合わせているから、ストレスを抱えなくて済む。
そういう意味ではこの数ヶ月ですっかり「悩む」ことをしなくなったし、悩む暇があるんだったら自分が今なすべきことだけをやっていく方が遥かに有意義であると思う。
愛だの勇気だの友情だの希望だの、そんな洒落臭い感情論が何の役に立つのか?それで利益は上がるのか?それでてめえの目標・目的は達成されるのか?
何事もそこを軸にして考えていかなければ失敗するし、そういう青臭いことを主張するような年齢でももうなくなってきている。
ここから3年、間違いなく日本の経済は物価高騰に伴い厳しくなり、方々言われているように会社員にとっては地獄の日々となるだろう。
少なくとも、かつてのバブル崩壊やリーマンショック、コロナ失業が可愛く思えるような時代がやってくることはもう誰しもがわかっているはずだ。
そんな時代にどうやって生きるべきなのか、まるで某ジブリ監督の映画タイトルみたいになってしまうが、冗談ではなくそんなタイミングに差し掛かっている。
私はそれに向けて今色々と準備中なので、漫然と娯楽作品を見て一喜一憂するほど楽観的ではないし、平々凡々な人生なんか真っ平御免だ。
どんな人生を選択するもその人の自由だから強制も強要もしないが、少なくとも自分にとって本当に大切な情報源や繋がりはきちんとあるので何も困ってはいない。
とりあえず今の私の目標・目的は「二億」とだけ言っておこう、それが何を意味する数字なのかは読者の皆さんのご想像にお任せ。