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昭和・平成・令和のヒーロー像を関数的にグラフ化してみたら、大まかに分けて4つに類型化できるのではないか?

昨日の記事の補足だが、最近思うのはヒーローの成長速度と話数のかけ方には一定の法則性があるのではないか?ということである。
そこで久々に中高時代に習った関数をおさらいしていたのだが、関数をある程度理論化して応用するとヒーローの成長と話数の傾向は大まかに4つのタイプに分けられるのではないか?ということだ。
それが以下のグラフである。

ヒーローの成長曲線

大まかに分けて4つに分割してみたが、横軸xを「話数=戦闘経験値」、縦軸yを「成長結果」と仮定すると、昭和ヒーローはy=ax(一次関数型)のような右肩上がりの直線的成長である。
「マジンガーZ」「ゲッターロボ」「ウルトラマン」「仮面ライダー」「侍ジャイアンツ」「巨人の星」「秘密戦隊ゴレンジャー」「ドラゴンボール」などの昭和ヒーローは大体このパターンであろう。
ヒーローに選ばれた時点で既に覚悟と決意は完了しておりヒーローとして出来上がっているために純粋な戦闘経験値やパワーアップによってメキメキと成長していく
必要とあらば特訓だって行うという「24時間戦えますか?」のメンタリティーであり、正に高度経済成長のメンタリティーと重なるヒーローとしてのあり方だ。

次に90年代〜00年代に台頭してきた平成ヒーローはy=xa乗(指数関数型)のような成長曲線であり、「ドラゴン桜」でも提唱されていた理想の偏差値の伸ばし方もこれに該当するだろう。
代表作は「勇者エクスカイザー」「機動武闘伝Gガンダム」「スラムダンク」「幽☆遊☆白書」「ONE PIECE」「NARUTO」「鳥人戦隊ジェットマン」「星獣戦隊ギンガマン」「美少女戦士セーラームーン」「ふたりはプリキュア」など。
「巨大な悪」が存在感と迫力を失った平成においてはそもそものヒーローと悪の組織の立脚点から考えねばならず、最初からヒーローであるわけではないから「なぜヒーローになるのか?」から考える必要がある。
そこで前半は特に「ヒーローになるまでの過程」を描くことに重きを置き、中盤で一気に跳ね上がるための試練が訪れ、中盤以降でグッと大きく成長して最終的に高いハードルをクリアするというものだ。

そして2010年代から令和にかけて台頭しつつあるヒーロー像は平成ヒーローとはある意味逆のy=logax(対数関数型)の成長曲線であり、スタートがいきなりマイナスなところから始まっている
ある地点まで行ってそれがゼロになり、あるところまで主人公が急激に成長するわけだが、一定の山場をすぎるとあとはピタッと成長が止まって流れがなだらかな緩い曲線になっていく
代表作は「鬼滅の刃」「魔進戦隊キラメイジャー」「機界戦隊ゼンカイジャー」「暴太郎戦隊ドンブラザーズ」「呪術廻戦」「チェンソーマン」辺りであり、特徴としては「大きな目標・野望がない」ということだ。
「ヒーローとは何か?」とかそんな高尚な悩みにふけっている暇などなく、とにかく目の前の問題を対処するのに精一杯で、高い目標なんかなくてもそこそこで満足できてしまうというものが多い。

何となくだが、ここ数年の日本経済の停滞もそうだし現実の戦争もそうだが、どうにも「風の時代」なんて口にしていながら現実は鈍化した対数関数型の緩やかな低空飛行の成長に見える
そんな中では各自が高い目標やロマンに向かって頑張ろうという気概すら持てないのだろうし、「限界は越えないためにある」「おっぱい揉みたい」「妹を救いたい」という私的動機がゴールになってしまう。
ラスボスを倒してもさほどの高揚感や達成感・充実感のようなものはないし、とりあえず目の前の困難を排除するまでで精一杯で山登りではなく丘へのピクニック・遠足レベルではなかろうか。
昭和ヒーローや平成ヒーローが守ってきたものや達成してきたことに比べると、令和のヒーローたちは良くも悪くもご当地ヒーローレベルに下がってしまったように思われる。

しかし、実は令和ヒーローが対数関数型だと仮定して、実は数少ないy=0の「全く成長しないアンチヒーロー」の作品もあり、それこそが実は国民的漫画の「ドラえもん」や旧作の「新世紀エヴァンゲリオン」だったりする。
野比のび太くんと碇シンジくんを見ればわかると思うが、この2人は面白いぐらいに「成長しない主人公」として挙げられるが、のび太くんの場合は元々が「サザエさん」「ちびまる子ちゃん」のような一話完結型だから仕方ない。
大長編でなんぼかっこいい活躍をしようが、のび太は所詮「ヒーロー未満」であって、いつまでもドラえもんから自立できない情けない主人公というイメージが昔から今まで悪い意味で一貫しているだろう。
そののび太くん以上にタチが悪いのが碇シンジくんであり、環境が大きく影響しているのを考慮に入れてもなお「成長しない」のであり、エヴァに乗ろうが仲間や友達ができようが彼自身の戦意は最後までゼロのままだ。

いわゆるベジータのような「敵の強大さに戦意喪失してしまった」のパターンではなく、「最初から最後まで戦意高揚を自分でできない」のであり、ある意味では無気力な若者の極致といえるかもしれない。
まあそれに比べれば炭治郎や虎杖、デンジくんはまだマシな方だとは思うが、このまま対数関数型の緩やかな成長しかしない主人公がヒーロー像になるわけではないと私は見ている。
だが、少なくともまだ「令和の王道」といえるような、昭和の一次関数型成長とも平成の指数関数型成長とも違う、しかしながら確実に新時代の「これだ!」といえるタイプの王道にはまだ出会えていない。
やはり、ヒーローは時代を映す鏡というから、まだ今は「風の時代」に相応しいヒーロー像の台頭を模索している過渡期の段階ということなのだろうか。

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