父と釣り
小学生二年生の時、『お父さんの散髪屋さん』という作文で、小さなまちで1番をとった事があった。いつも自分の髪を切ってくれていたお父さんとの会話を作文にしたもので。教師である父が、丁寧にはさみとバリカンを使い、私の髪をきる。
それはもう記憶はあまりないが、感覚は不意に思い出す事がある。お風呂場で新聞紙を下に引き、椅子に座り、丁寧に、丁寧に。時に泣いていたこともあったかもしれない。
そんな時間はいつの日かなくなり、気がつけば22歳になった。
年末はいつ帰ってくるの?と家族ラインに父から
その次の文に、
今年はみんなで魚釣りに行こうか。と入っていた。
父と共有してきた時間の中に、魚釣りの時間はとても鮮明なものであって、
決して大きな魚が釣れたわけではないのだが、道中の車の中でいつもかかっていた
スピッツの楓、ロビンソン、TotoのAfrica、ものすごく記憶に残っていて、
魚釣りというか、それまでの全ての思い出がものすごく愛おしい。
釣り場図鑑を学校の図書館から借りてきて、ここのスポット良さそうであったり、こんな仕掛けにしてみたら釣れるんじゃないかなって思いを馳せて、ものすごく楽しかった。
釣りをしている時はお互いにその時間を楽しみ、とくにしゃべったりはしていなかったが、父と釣りをしている時間は、家族として、男同士としてものすごくいい時間を楽しんでいたなと。
そして22歳になった今も、釣り好きは健在で、先週もハゼ釣りに結構お金をかけた。(何も釣れなかったが、楽しかったのでそれで良し)
父親も、おじいちゃんの影響で釣り好きになったのだが、昨年おじいちゃんが亡くなり、これまで釣り過ごしてきた釣り時間が思い出となってしまったことにとても悲しかったと思う。お葬式の時に、家族代表としてお父さんがスピーチした時、
おじいちゃんとの釣り話を頭に持ってきたことには、涙した。
魚釣りとは、狩猟民族としての人間が現代まで残してきた知恵であるが、それは単なる生き抜くためということだけでなく、きっと家族や、仲間と同じ時間を過ごし、最後に振り返った時の思い出として語り合っていたと妄想すると、とても熱く感じ、これから先もこれからできる家族や、仲間とも共有する時間として、続けていきたいと考える。
魚釣りって、ロマンであるし、思い出であるし、記憶であるし、
なんだかうまく言葉にはできないし、まだまだ話したいことはあるけれど、
ものすごく大切なものなんだなって。
そう思うんです。