映画 「土を喰らう十ニヵ月」の感想 どうしたら2人は別れずに済んだのか 糸がもつれる前に
この映画は主演が沢田研二さん(ツトム役)彼女役が松たか子さん(まち子役)で話題になりました。
映画のかなめは、美しい景色の中で自然と一体になって暮らす人々の暮らしと、
土井善晴監修の見ているだけで幸せになるような
ご馳走の数々が見られることだと思います。
最後まで見終わって、わたしはなぜか違和感を感じました。
これで終わり?
え?
ちょっとまって、え?
あんなに仲良しだった2人の別れで終わる
この映画、どうしたら2人は別れずに済んだのかを熟考いたしました。
ネタバレを含みますので、まだ見てないよ、知りたくないよ、という方はブラウザバックをお願いいたします。
主人公のツトム(水上勉)には、編集者のまち子という恋人がいました。
このシーンは春を待ちわびる山の人が、掘った筍を美しいお皿に盛り付けつつも思わず手づかみで食べてしまうシーンです。
このシーンでは2人の関係が良く描かれています。
一生懸命調理をするのはツトムだけで、
まち子はなにもしません。
盛り付けされた筍に、一番先に手を出すのもまち子です。
口いっぱいに頬張っているまち子の横で、
まち子の取り皿にせっせと取り分けてあげるのが
ツトムです。
ツトムがまだ一口も食べていないのに、
「お汁も入れてください♡」とお願いするのはまち子です。
この2人は恋人でありながら、父と子どもの関係にも似ているのです。
他のシーンではお茶請けに出した干し柿や栗の渋皮煮を、
「これも食べなさい」と、ツトムは自分の分まで
まち子にあげます。
まち子はそれを嬉しいとばかりに頬張ります。
まるで天真爛漫な少女のようです。
あとでわかりますが、ツトムは60歳を超えている設定です。
まち子とはおそらく30歳弱くらいの年齢の差があるので、仕方ないと思うかもしれません。
でもこれは女性を良く知らないオトコ共が良くミスる案件でもあるのです。
ツトムには早世した奥さんがいます。
その奥さんのお母さん、つまり義母の様子を頻繁に見に行っています。
そして、その母親から
「もう死んでから13年も経つんだから、早く墓に入れてやれ。墓にを作ってやれ!」と毎回言われています。
ツトムは亡き妻の位骨をまだ埋葬できずにいました。
もう1度目書きます。
ツトムは亡き妻の位骨をまだ埋葬できずにいました。
それでも恋人を作るんですよ。
ね、
男性陣なら、それはそれ、これはこれ、と
ジャンルを決めているんだ、と頷かれるかもしれません。
でも映画を見るかぎり、まち子はかなり長く付き合いる恋人なのです。
ここで気づくようでは遅いのですよ。
でもこれからのためにも、最後まで読んで、フォローしてイイねもお願いいたしますね😊
まち子はその名前のとおり待っていたわけです。
そのことを尋ねるときをずっと待っていました。
でも、2人の関係が悪化するのが怖くて言えないのです。
そんなとき亡き妻のお義母さんのチヨ(奈良岡朋子)が亡くなります。
一生懸命、通夜振る舞いを作る2人。
初めてまち子は、ツトムの家で調理をします。
慣れないながらも彼と彼の亡き妻のお義母さんのために料理を作ります。
横に一緒に並ぶまち子の姿は幸福そうに見えます。
他にもおそうめんとユウガオの煮物、みょうがと梅干しのおにぎり、などなどです。
無事にお葬式を済ませたあと、ツトムはまち子に話しかけます。
「僕と一緒に暮らさないか?」
「いいの?そんなこと言って」→
「ここに住めば美味しいものが毎日食べられるぞ」
「それはいいなあ、でも仕事はどうしようかなあ」
「ここから通えばいい」
「ちょっと遠いなあ」→
「キミならできるよ」
「ありがとう、でもちょっと考えさせてね」→
敏感な方なら、わたしがつけた→のところに
まち子が言えていない言葉が隠されていることがわかると思います。
「僕と一緒に暮らさないか?」
「いいの?そんなこと言って」→
(わたしと結婚してくれるの?奥さんのご位骨はどうするの?)
「ここに住めば美味しいものが毎日食べられるぞ」
「それはいいなあ、でも仕事はどうしようかなあ」
「ここから通えばいい」
「ちょっと遠いなあ」(お仕事辞めようかなあ)→
「キミならできるよ」
「ありがとう、でもちょっと考えさせてね」→
(お仕事のことは誰かに相談してみよう。
嬉しいなあ、ツトムさんと一緒に暮らせるなんて)
映画の中での拗れるきっかけとなる会話ですが、
ちょっと気を使うだけで、拗れることなく2人共にハッピーになれるわけなんですね。
例文
「僕と一緒に暮らさないか?」
「いいの?そんなこと言って。
わたし、前から聞きたかったのよ。
奥さんの遺骨はどうするの?わたしと結婚してくれるの?わたしももう適齢期を過ぎて周りはみんな結婚しているから、わたしは籍を入れて欲しいと思っているの」
すると会話の流れが変わります。
「妻の遺骨は最初は寂しくて墓を作れなかったんだ。
キミに出会ってから僕の孤独は無くなったんだ、
ありがとう。
だけど僕が不甲斐ないのと、この年になると1日がとんでもなく早く過ぎてそこまでできずにズルズル来てしまった。キミがずっとそんなことを考えていたなんて知らなかったよ。済まなかったね」
「ツトムさんに話したら嫌われると思って聞けなかったの。ここに住むことになったら、
仕事のことを考えなきゃいけないけどわたし頑張るわ」
なんということでしょう!
ここでひとつのカップルが成立するのです。
時間にしたらほんの数分。
必要なのは勇気と思いやりだけなのです。
さて映画の中では、もう1つ転機が訪れます。
それがまた捻じれるきっかけにもなりますが、
どうしたら良かったのか、検証して行きたいと思います。
ある日のこと、ツトムは心筋梗塞で倒れます。
幸いなことにまち子が訪ねて来たおかげで、
一命を取り留めることができます。
意識を取り戻したツトムに、看護師さんは
「心筋梗塞で心臓の3分の2が壊死しています。10000人に1人の生還ですよ」
ツトムはその説明にショックを受けます。
いつ死んでもおかしくないと悟ったからです。
退院してきたツトムにまち子は甲斐甲斐しく世話をやきます。
「毎日じゃないけどかき回していたの」とツトムが大切にしていたぬか床の茄子を見せます。
「ええ色に漬かっとる」とツトムは褒めます。
ここでツトムは慣れない家事をやっていた乙女心に気がつくべきでした。
「わたしね、ここに住むことに決めたの」と思い切ったようにまち子は話し出しますが、
ツトムは冷たく言います。
「キミの気持ちは嬉しいが、ここに住まわれるのは僕が困る」
↑
ツトムさん、ちょっと待ってください!
早まらないでください!
その理由は、
自分の心筋梗塞はとてもひどく、このままだとあまり長く生きられない。
キミを残していればいくのはとても辛いから、
僕と一緒に住む(籍を入れる)のは止めておこうと思うんだ」
こう話したらどうだったでしょうか?
年齢の差があることなど、まち子はわかっていました。
仕事を犠牲にしなければならいことや山奥に住むことの不便さも含めて、まち子自身で良く考えてきた筈なんです。
余命いくばくもないとわかった相手に、どうしようか考えるのはまち子でツトムは本当のことを淡々と話せば良かっただけです。
更に追い討ちをかけるようツトムは言います。
「所詮、人は単独旅行者だ。
1人で生まれて1人で死んでいく」
待って待って待って!ツトムさん!やめてー。
本当は一緒に居て欲しいんですよね?
まち子ちゃんを1人で残していくのが可哀想だと思うから、一緒に住めないと思うんだと何故説明しないのですか?
だからまち子も大きな声で叫ぶように言うんです。
「身勝手なだけよ!」
「わたし、もうここには来ないかもしれない!」
まち子ちゃんも感情的になってますね。
これはヤバい展開だと思うのです。
それに追い討ちをかけるようにツトムも言ってしまいます。
「それも仕方がない」
ツトム自身の気持ちとしては、
自分の生命が短いということ、
それによってまち子を亡き妻のお義母さんのように孤独の中で死んでいくことを憂いたのかもしれません。
まち子もいい年を重ねた大人なんですから、少し工夫した言い方が必要でした。
「ここは田舎過ぎて病院も遠いから、もうちょっと人里に近い場所に引っ越して治療しましょうよ。
今は医学が発達しているから、わたしも車に乗れるし一緒に頑張れば長生きできるわよ。
もしもツトムさんがいなくなったとしても、
ツトムさんから教わったお料理のこと、わたしは
本に書いたりできると思うのよ」
どうでしょうか?
これは例のひとつではありますが、全く展開がかわりますね。
仲が良くなれば良くなるほど、 長く一緒にいればいるほど甘えが発生するのです。
わかって貰えるだろう
わかって貰えるだろう
そうではありません。
ヒトはいくつになっても
言葉で表現しなければわからない生物なんです。
「言わなくてもわかるだろう、いや、わかってもらえなくてもいいや」
これはまさに、不幸を呼ぶ考え方だと思うのです。
大切な人を失くしたくないなら、きちんと自分の気持ちを話しましょうよ。
恥ずかしいとか、プライドが許さないとか
そんなつまんないもんは1円にもならないんです。
幸せは努力と行動ですよ。
さて、カッコ良く大人ぶったツトムは、
寂しい毎日を送ります。
草を喰むような毎日が過ぎていきます。
亡き妻の遺骨も湖に葬り肩の荷をおろしていたときのことでした。
なめこを取りに行こうと山を歩いて行こういたツトムは、山道で車に乗ったまち子と出会います。
「まち子、なめこ取りに行こう!」と車に乗り込みます。
さて、ツトムはここに来てもまち子の異変に気づいていません。
賢明な方にはもうお分かりでしょう。
今までまち子は、「山の色に似た」洋服しか着て来なかったんです。
クリーム色にベージュ。
ブラウンにグレー、薄い紫色。
まち子にとって山の中に馴染むことは、
ツトムに馴染むことでした。
紅葉よりも真っ赤なスーツを着て、都会的な革のブーツを履きこなすまち子。
もうメガネは止めてコンタクトレンズに変えています。
嬉しくてたまらないツトムは、そのことに気付けません。
「まち子、来てごらん。
なめこが綺麗だよ、今夜はキノコ鍋やで」と浮かれて言います。
いつものまち子なら
「嬉しい!わたしキノコ鍋大好き」と言ったかもしれません。
でも今日のまち子はなにも話しません。
それでもまだツトムは気が付かないのです。
綺麗なナメコを見ながら思わずうたいだします。
「山のなめこは何みて育つー、沢のアケビを見て育つ〜」
思わずまち子が叫ぶように言います。
「やめてよ!なんでそんなこと言うの?」
ツトムはまち子の目を見ながら、
「好きな人と食べるご飯が1番旨いじゃないか」
まち子が今晩は泊まって行くことを確信しているかのように言うのです。
でももう、昔のまち子はどこにもいません。
「わたしね、結婚することにしたの」
と淡々と語ります。
「そうか、良かったね。相手は誰だい?」
ここに来ても、まち子の結婚相手を知りたいツトムです。
「村田しょうじ君、彼の小説をどう思う?」
この会話から察するに、
まち子の担当の年下の売れない小説家なのだと思います。
でもまち子は、結婚をして仕事も続けていく決心ができて、それが服装にも現れているのです。
真っ赤なスーツは、まち子の決意の色であり、
素足を全く見せないロングブーツは、
ツトムには二度と肌を見せたくないと言う気持ちの現れでもありました。
まち子は車でツトムを自宅まで送っていきます。
別れ際にツトムは
「栗、持っていくかい?」とまち子にポケットから出した数個の栗をまち子に差し出します。
「いらない」にべもなく断るまち子。
そして、まち子はあのことを聞くのです。
「前から聞きたかったことを聞いてもいい?
奥さんの遺骨はどうするの?」
まち子は昔から聞きたかったのです。
あの天真爛漫な少女のようなまち子のときでさえ、そのことを聞きたいと思っていたと告白しているのです。
そしてできれば先にツトムの口からその話をしてくれるのを待っていたのです。
ツトムは亡くなった奥さんの骨を、
先日湖に葬ったばかりなのですが、
その話をしてもまち子は帰ってこないと理解し、
一言も話すことができませんでした。
「そ、わかったわ」
「バイバイ」と言って軽快に車で走り去るまち子を見送ることもできないツトムでした。
おそらくまち子は二度とツトムとは会わないつもりなのでしょう。
初めの頃のツトムとまち子は、年の差こそあれ、
お似合いのカップルなんです。
それがラスト近くでは、沢田研二演ずるツトムが恐ろしく老けて見えて松たか子演ずるまち子はスタイリッシュで綺麗な女性へと変化していきます。
ツトムにその気はなくても、別れを決めた女性は
華麗に変身する様を残酷なまでに描いたこの映画、
美味しい料理とは真逆の男女のお話を見事に描いていると思いました。
村田しょうじ君と結婚するまち子は幸せになれるのでしょうか?
まち子の心の隙間にラッキーとばかりに入り込んだ彼は、編集者をパートナーにつけるという心強い味方を得ました。
収入はまち子に頼り、彼は悠々自適に作家活動を続けることができるのです。
年下男性に有りがちな甘えの構造が発生し、
もしかしたら浮気とやらもするかもしれません。
ツトムのように、頼りきることを許してはくれません。早々に離婚し、ツトムのところに戻ったときには、彼は既に亡くなっていたという悪魔のような展開が待っている可能性の方が高いと思うのです。
ご興味を持たれた方は是非見ていただきたいです😊
そして、
たとえ相手がエスパーだとしても、
大切な人を失わないために、考え方も気持ちも、
子どもに戻ったときのように、きちんとお話することが大切なんだということを、こころのどこかにしまっておいてください。
最後まで読んでくれてありがとう✨😊✨