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あの時、僕らがみた景色は確かに現実だった

タイトルが難しい。
ので、一昔前のポエムを気取ってみた。
(最近ってポエムっていうの?という疑問は置いておく)

わたしが10代の頃は、銀色夏生がものすごく流行ってた。
当時、文学大好き少女だったので、斬新で古典にとらわれていない新しいものにすごく抵抗があったのを覚えている。
詩といえば、寺山修司や谷川俊太郎、と言う割と昭和の王道好きだったから。
こんな程度わたしもかける、と小生意気な10代の頃のわたしは思って、実際、ノートに詩なるものを書いてみて、見事玉砕。
うん、難しい。
小難しい言葉だけが、美しい文章になるわけじゃない、と身にしみて感じた。

銀色夏生は当時、衝撃で(わたしの中だけなのか知らんけども)それ以降、一見カジュアルに見える詩人が増えたような印象だけど、やはり、銀色夏生はその中でも一線を画してると思うのです。

言葉を繋げるセンスって、一人一人違うもので、その感覚がぴたりと自分のそれに合うものだったり、新しい発見があったり、とそれが文字を読む楽しさなのかもしれない。

英語を使って生活する生活を10年以上しているけれど英語はいまだに、コミュニケーションのツールでしかない。
語彙力を増やそう、と思って本を読んでみるけれどなかなか楽しめない。
情報を理解する、という役割にやたら徹している様子で、この状況の打破はむしろむずかしいのか、とも思う。

何か解決策はないものかしら。

夜と朝のはざまで、あの時の僕らはなにを感じていたのか。
今はもう思い出せない。
永遠に消えることなどありはしない、と思っていたのに。