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べートーヴェン後期SQについて:その1第13番op130――故恋人と秘匿の子供への愛のはじける後期SQ

Beethoven SQ 13 op130 1825年

https://youtu.be/f7jpSN8BDug?si=YmtzXxeYJ3vlx5Tv

これから数回にわたり、ベートーヴェンの後期SQについて、心残りのなきよう記しておきたく思う。

ベートーヴェンの作品ぜんたいに言えることだが、どの作品にもほぼ通底するエッセンスが、彼の心に内在している。(これは無意識領域にとどまったままではなく、顕在意識にもしっかりと審級されているところが、彼らしいのだが。)ともかく、それはあり、内在し続けた。そして、そのエッセンスは、⇒ モティフ ⇒ メタファ ⇒ シチュエーションとシーン ⇒ ツールという風に、次第にさらなる上昇と分岐をとげ、構想が広がっていく。ツールのフェイズまでいくと、完全に顕在意識にのぼりつめ、彼自身にとって武器となる。

ベートーヴェン内部の旋律生成の軌跡――審級・上昇
エッセンス→モティフ→メタファ→(シチュエーション)シーン
エッセンス=(原基体)→モティフ・メタファ→(シチュエーション)シーン

殆どすべてに通底する原基体たるエッセンスというべきものを X とすると、そこから分岐を遂げていく楽譜上のモティフ A・B・C・D・(E・F・G)は,心的領域的にはほぼメタファでもあるといえる。そしてシチュエーションとシーンのレベルについてであるが、E・F・Gが該当する(当然、音楽上でもその 表現が、シーン及びシチュエーションともいうべき位相で、巧みに展開されていく)。

ベートーヴェンという人は、その創造行為=作曲が進むにつれ、これらモティフ=メタファのすべてを彼の自覚と意識下にのぼりつめさせることに成功するがゆえ、ツールとして把捉された。という風に理解する。
もちろんベートーヴェン自身、すべての作曲作品において、エッセンス X を展開させていくにつれ、その作品ならではの変容を遂げたモティフやメタファ「として」しっかり自覚・定着させてゆき、他作品への巧みな主役的ツールor補強材としていくのであるから、一つから生まれた変容形a・b・c・d・e・f・g・h・i・j・k‥‥らは、すべてがモティフ化されたもの=シニフィエともいえる訳であるが、今回はその多様な結果すなわちシニフィエのうち、厳選して(集約的な?)数個に留め、あえて並列的に大文字にて、記述していきたい。漏れ落ちた他のシニフィエ群がモティフ=メタファに値しないという訳ではさらさらない。

※モティフ=メタファ同士が合体している形、またそこからさらにモティフとなった、キメラのような性質のものも幾つかある。(厳選したものの中にもそれらは含まれている)

※モティフ=メタファが連結したシチュエーションorシーンの役割や同一・同質のフェイズ性を帯びている、というべきところが性格上、ある、というべきものが幾つかある。(厳選したものの中にもそれらは含まれている)

※また、ひとつのモティフ=メタファが構想時と完成時の両義性を帯びているものがある。(厳選したものの中にもそれらは含まれている)

※発表されている制作年代が早すぎる/遅すぎる?問題を抱えたモティフがある。疑惑は出ていないかもしれないが私自身がそう思っている。
(政治社会的影響のためにベートーヴェンが制作年代を故意にゆがめて発表している作品が、実際幾つかある。厳選したものの中にもそれらは含まれている)

こうした点がまたベートーヴェンらしさといえよう!!

【付記】
1) エッセンス X について 制作年代1808 or 1810?
最初に明かしておくと、ベートーヴェン作品すべての原基体 X とは エリーゼ・エッセンスである。エリーゼのために はバガテルの作品番号なし=WoO 59であるが有名である。
所説の一部によると1808年説と1810年説、両方が生じてくる相応の理由が記されている。
例えば、1808年説の場合にはsym第6番との連なりが指摘され、1810年の場合にはある劇付随音楽作品との関係が述べられているなど。
※私見 sym5(運命〜女性との出逢い)は同(X)エサンスとともに!誕生する。それが陽化し sym6(揺震する自然=女性性)にも同時に繋がっている為、1808年とみなす。無論、sym5,6の他の作品とも連関があっても全く不思議はないーー諸作品の誕生とともにエサンスでありモティフであるところの X 自身にもその都度手を加えられていった可能性も当然あるーーが、基本的に制作年代は1808とする。
2) X そして A,B,C,D,E,F,Gの指定は、制作年度順ではない
ベートーヴェン作品全体から俯瞰した時の、基いの要因の深底さ・抽象性の能弁さ・応用範囲の広さ・原理性などによる。

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【エッセンス メタファ シーン・ツール】

X エリーゼ WoO59(1809-10 !※私見では08年 と思う。
これは、ベートーヴェンの最も卓抜な「恋人表象」。 唯一の恋人 可憐・子供 
※ op61 VnConcerto , 61-a PianoConcerto の存在とエリーゼの為に、との関係について‥殆どセットと考えられる)
無論エリーゼ・エッセンスは、他の殆どの同作曲家の作品に、広く深く影響を与える

A テンペスト Nr 17 op31-2 (1801-2 恋人ヨセフィネの肖像画といっても良いPSonata )。この作品は X=エリーゼ・エッセンスにもっとも近く、端正で物語的で情熱的なメタファである。もちろん他ピアノ作品で言えば 悲愴や熱情との、symでいえば5,6との相関性が濃厚で、テンペストをAとした場合、他の女性性や可愛らしさの表現体であるモティフ、アンダンテファヴォリ・遥かなる恋人の歌・より状況付帯性をましたテレーゼ・告別・室内楽曲 幽霊(…すべて後述)への繋がりが濃厚な、端的なモティフである。

B アンダンテファヴォリ WoO57(1803-5 構想05年 愛らしき恋人 後年は、我が子-子供)
アンダンテファヴォリは、ワルトシュタインからずっとこの作曲家が特別な情緒を引っ張ってきているもので、ナポレオン皇帝妃ジョゼフィヌになぞらえて居ると思える。つまり英雄symから、それは やむをえぬ 政治的隠匿工策とともに、ある種パロディを込めつつ、行われている)

C 遥かなる恋人に寄す op97(1816? → 偽装工作と見られる。実際には、06-09と見る。遥かなる永遠なる恋人)。Bアンダンテファヴォリとの関連性が非常に強く双生児的。こちらのモティフはよりクロマティク。子供を暗示する性質はこちら自身にはない。幽霊=Dとの関係は、より近い?シューマンが愛しこの曲のインスピレーションを多用したことでも知られる。

D 幽霊(1808 op70-1 ベートーヴェンを含めた三位一体orヨゼフィネとその守護神ベートーヴェン)
ファーミレド ↑シラソファ ← Elise由来:ミレミレミシレドラ/アンダンテファヴォリ由来=遙かなる恋人op97由来 いずれにしてもヨセフィネである。しかし幽霊にはここにベートーヴェン自身の姿・存在感があるのである。これはsym8(のちにHとする)の態度にも通じていよう。(のち、ミノナの誕生後、1814年)

E テレーゼ Nr24 op78 1809(エリーゼ・テレーゼ、ヨセフィネ-テレーゼといえる合体型メタファ、ヨゼフィネとそれを取り巻く環境、家族・姉。楽しみにしている邂逅。便りの舞い込み回想に頻出 ヨゼフィネの姉テレーゼからの便りと子供の予感)
テレーゼの制作年ー12-13年では?可能性があるかもしれない。もしくは加筆修正のそれ。いずれにしても妹ヨゼフィネのベートーヴェン娘懐妊を報せる手紙の舞い込みシーンで多用)

F カッコウ Nr25 op79 1809 テレーゼ のひとつあとで 告別 のひとつまえの作品。だが 告別123楽章と切り離せず存在する。同作品がどちらかといえばシチュエーション優位なのにたいし、告別op80-a とは殆ど作曲家の心の中のカッコウ、のようなもの。不在の時も邂逅の時も心情はカッコウである。

G 告別 Nr26 op80-a 1809 詳しくは ↓ 後述するが、告別Nr26と、アンダンテファヴォリWS-Nr21の親密性とが物語られる形で、しばしば同作品において登場する。

H 交響曲第8番 1814 双児ともいえるsym7番と離れがたい存在ではあるが、ベートーヴェン自身の「心境を現した」作品としても、op130との直接的つながりの濃厚さ=父性(子の実の母親すなわち唯一で最愛の恋人=A/C の、死の前と後という差異はあるが)、またエリーゼ X の陽化した変奏曲、という様相が著しく濃い作品であることからも、この作品を極めて重要な要素として入れる。

《補記》
X エリーゼについて
1808年に交響曲第6番のためのスケッチ帳の149ページ第6-7行にこの曲の主旋律を記したとされる。同ページは後に切り取られ、現在はベルリン州立図書館所蔵のベートーヴェン自筆スケッチ帳「ランツベルク10」に収録されているとか。旋律のみで16小節からなり、後のものとは少し旋律が異なっている。
※私見 sym5(運命〜女性との出逢い)はエリーゼ・エサンスとともに誕生する それがsym6(自然〜女性性)にも同時に繋がるので、制作年代は自分としては08としたい。

X エリーゼについて-2 
昨今の研究で、1810年6月15日に初演された『エグモント』作品84や1810年8月3日に完成した行進曲WoO 19のスケッチも同じ紙に記される、とされていることから、1810年春のものと判断される。

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A テンペストについて テンペストはピアノソナタのうち、エリーゼ・エッセンスに最も近く、つまりは、交響曲 第5・(陽揺化させた)第6、と 殆ど同時出現性が高いとも言える。唯一の恋人ヨセフィネとの出逢いから比較的間もない作品。ベートーヴェンの作品がシェイクスピアからの影響やら逸話をシントラー経由で云々される際はまず同恋人がらみであると思ってよい。1799年の出逢い以来、彼女の肖像と愛情表現は悲愴・月光(諸説有ったが私は月光もヨセフィネ哀歌と捉える)・熱情と愛の深さ激烈さはいやまして行くが、肖像的という点ではテンペストがもっとも自然体といえる気がする。

B アンダンテファヴォリについて ヨセフィネのWiki
恋人ヨセフィネの寡婦時代 05年wikiより 元来、劇的なピアノソナタ第21番 作品53の中間楽章として構想されたとされる楽曲で、終楽章ロンド・フィナーレへの禁欲的で内省的な導入に差し替えられた。(1805 PSonata op53 Nr21 中間楽章の構想)形がWoOなので、ワルトシュタイン時制作であるとしても、のちにしばしば?手が加えられ、隠し娘ミノナ誕生後13-14年頃に完成かもしれない問題。

E テレーゼについて 
X=エリーゼ・エッセンスとの緊密さを呈しつつ、このエッセンスをその帯びる付帯状況(エリーゼ表徴=ヨセフィネ・ブルンスウィックとその姉/もしくは家族/もしくは邂逅していた森のシーン(ベートーヴェンはたった一人で恋人ヨセフィネと逢うことは許されなかった)/ひいてはのちにテレーゼがヨセフィネの懐妊(=べートーヴェンの隠娘)を手紙で知らせてきたシーン:1812年:テプリッツ 等々)にまで敷衍させうるに至った作品である。
ちなみに、諧謔的で豪放な曲の性格からsym8=H の制作の頃(1814)、ベートーヴェンは秘匿の娘ミノナに会っている気がする。

F カッコウについて
ウキウキかっこうと不在かっこう両義性が、しばしばベートーヴェンの作品に存在する余蘊聞こえるが、同SQにもある。
彼は、09(-10)年当時、T& J 姉妹と森で逢っていたであろう。
シーン・シチュエーションのレベルにおける、このメタファの頻繁な登場。
こうした性質は、vnソナタ10番などとも関係するであろう。
要するに 後述する「レーレーレレソー」はF+Gである
レード レード....も同様F+Gから由来
黙契の気分として、カッコウの部分レーレーレレソ、ソーソーソソド、シーシーシシミ...は頻出する。音型の別partへの受渡を伴いつつ。そしてこの後、第二の歓喜がやってくるのである‥。

カッコウ...について 
4月に書かれたとされるグライヒェンシュタインへの手紙もしくは伝言メモに以下のような文面があるとのこと。「ここにテレーゼと約束したSがある。しかし、僕は今日は彼女に会えないので、それを君から渡してほしいのだ。みなさんに僕からよろしくと伝えてほしい。僕は彼女たちと一緒にいるときが大変に気分がよいのだ」と書いている。ここにある「S」とはソナタのことであり、おそらく前年夏の短期間に作曲していた《易しいソナチネ》と表記されたピアノ・ソナタ「ト長調」作品79であろう。

G 告別について 
第1楽章の「Das Lebewohl」を取り消して「Der Abschied(別れ)」としていたことが分かっている=告別
第2楽章=不在
第3楽章は「Die Ankunft(到着)」=再会
としていたことが分かっている
1楽章 ソーファーミ♭ー
2楽章 ソーファ# ラー
3楽章 ドドラファミソドラファ

この弦楽四重奏曲においては、後述するが
テンペスト・アンダンテファヴォリのイメージ喚起とともに、告別の1,2,3全楽章エサンスを混ぜ込めるという荒技をし遂げている箇所がある。

つまり、告別Nr26と、アンダンテファヴォリWS-Nr21の親密性をも、物語られる。
Nr21-26(すべてピアノソナタ)とは、とくに変奏曲性(変容のダイナミズム)を携えて表される。ことに Nr22,24,25 の黙契性・秘匿性の大きさは特筆に値する

※E,F,Gについて
これらピアノソナタは、一連の作品群と見なすべきと考える。1809年という年の、ベートーヴェンにとっての特別な事情から。しかしこのうち E テレーゼは、Aの状況論的位相上にある作品と捉えられ、A(テンペスト)なしには語れない。テレーゼは(状況論的事由から)、09年より後に制作され、あえてこの位置に置かれたとしても不思議ではない。

エッセンス=エリーゼ(原基体)→モティフ・メタファ=アンダンテファヴォリ/遥かなる/幽霊/テレーゼ→シーン=テレーゼ

H 交響曲第8番 について 
ベートーヴェン自身の「心境を現した」交響曲作品としてsym3 英雄があげられるが、英雄においてより以上に、子供を授かった(父性が表れている)点において、より一層 op130との直接的つながりを得ている。また上記のように、この交響曲は、アンダンテファヴォリなど各重要要素を孕んでいつつも、殊にエリーゼ X をまま生かした変奏曲ともいうべき様相が著しいのは、他の交響曲との質的な違いを醸しており(sym5にもおおいにこの性質があるが、父性を帯びたそれであることが、後期SQを語る上でなにより重要となる。これは作曲技法としてもオーケストレーションより室内楽的クオリティを有することにも現われている)、特筆に値する。

《補記2》
以上の分析に基づいて記していきたいが、やんごとなき約一か月のブランク後に、あらためてこの作品に触れると、このような聞こえ方が同時にしてくる感をも否めない。
すなわち幽霊 Geister trio D において顕著な態度――すなわち自分は恋人(とその姉)と三位一体のキメラであり、同時に恋人の守護霊である、との心情――から、
反復展開されつつ至った 交響曲第8番 =H の新境地を、回想する作曲家の想い、とでもいう風に、このop130を把握し直すことができるのである。
その際面白いことに、交響曲第7番が双児のように付帯する――例えばop71吹奏楽六重奏 といった、andantefavori Bや an die ferne geliebte C 、またGeisterTrio D と同時期の作品に、殊に顕著なように(ベートーヴェンの交響曲史上でも7,8は同時期に創出されたはずである。)
さらに、 #交響曲7番#交響曲8番 =H の双児へと “分岐する仕方” がピアノソナタ A Therese  E における #chimera の意味性の語りを示唆しているかのような風情である...…。


第一楽章

総じてトーンがB[←A]より生成されている(もちろんそもそもは X に由来する。が、op130に関して言えば、一部の例外を除き X のエッセンス性 は、他作品たとえばop132[14番]等と比べ、ほぼ退隠されてある)

冒頭 第1主題 ユニゾン 

LVB SQ op130

D(←由来は X )と同時に [A]= B = C(同線)

全てを総合する抽象性も帯びる(良く考えついたなぁ!この開始)
G においては、その1,2,3全楽章エサンスを混ぜ込めるという荒技!
つまりはGとB[←A] そしてそのモティフ契機だったWS-Nr21の親密性をも物語る


Vc ⇒ 2ndVn ⇒ Vc ⇒ 1stVn との 同型追従旋律

LVB SQ op130

C の冒頭部分から生起 同時に B とも言える
また G とも言える
もともと G の1楽章は B[←A(主に2楽章)] のソーファミ♭ー…[冒頭主題第一旋律→《第二旋律》遷移部分]
および C[←A] のソ(ファ#)ファ#ーミ-レドラ…[冒頭主題後半]から呼び声的に来ているのだ
また総てについて言えることであるが、B・C要素が強い場合、その背景にはAがあり、その元素は X なのである。


レミレド(シドシラソラソファ…)1stVn
     …シーシーシー シシミ♭ー 2ndVn

LVB SQ op130

B(この部分自体が C なのでもある 同線)第二変奏というところ
一方、上に纏い付かれる シーシーシー シシミ♭ー はのちに出現するソーソーソソドー(不在の対象への呼声)の呼び水・予言となっている
テンポは急速だが表現の内容は “所在なさ”の暗示
※この後の展開部、低弦vcの独唸辺りの旋律線のクロマティクは同時期の瑞々しかったvnソナタの恋慕的性質Xから来る(→Gへとつながる)→これは冒頭へ帰還る(=G)
有機的・弁証法的。


1) cresc. 跳躍した歓喜‥ソラシド!vn 1 なんと生き生きとみずみずしい♪

2) それ以後の付点混じりのskip音型‥ミ・#レファミ・シレド・#ソシラ・ミソファ..音型 vn 1,vn2, vl

LVB SQ op130


歓喜

喜悦(橙マーカー○印)にみちた、これらの跳躍的旋律由来
1) C ラーラシドーソ [←A…ラシドドラ…]
[所謂シューマンにより愛された部分として有名な箇所]
譜面上ではより上下向がはげしくスタカートではあるが、おそらくCがこれらの跳躍の浅い原基体である。

尚、D (この作品は室内楽である)の 冒頭 ユニゾン にもこの譜面上と近似した転がるような変則対位法verが出てくる

2) A(1,3楽章)の陽化系 / C piano part に由来 と同時に
B 冒頭/ラファソ・ラファソ・ラファソ.../ソ ↑ソソ・ソ,ファミ,レドシラ
   スキップする旋律
 =恋人への跳躍的愛情とともに、同 B の帯びる子供的性格(秘匿の子供?)
 の両義性


スタカートの 下降旋律→上昇旋律 トゥッティ
ソレシソファレシソファミ ↑ソドミソド...

LVB SQ op130

尚、ここでもうひとつ着目すべきは、Vcパート sf 
豪放な笑い
の表現である。不謹慎なほど率直な父性の歓喜。
永遠不変の恋人との間に(秘匿の、であろうとも)子供を持ちえた男の悦び。 ↓ Sym8 H の帯びる性質・性向 とのきわめて濃厚な関連性が、ことにこの辺りのf~sfに至るまで、非常に素直に貫かれている 笑)。微笑ましい‥!! 人間味あふれる‥としか言いようがない。

こう考えると、op130というのは後期作品とはいえ、意外に明るい様相が支配的である。
(同作品が晩年らしい落ち着きを見せ、14番 op131 の心境に近づくのは、mov5の cavatina に於て 漸く、である――ここには嗚咽にも似た静かな嘆きがある。)


尚、この直後のスタカートによるクロマティクトゥッティ(dim P) は全要素集合である。

スタカートトゥッティ直後p トゥッティクロマティク上昇部分
レミレドシ〜 シドシラソ〜  Vc

LVB SQ op130
※この辺りのチェロパートの重要性は特筆に値する。

Bの冒頭主題

であるとともに E( 1stVn のしばしば担当する、手紙舞い込みの前哨線)[←伏線A(2楽章)]
1vnなどにも引き渡される旋律であるが、まずこのようにチェロ低音部にて予告的に登場(レミレドシ〜 シドシラソ〜)する形となっている

シーソーファミレドシレー

LVB SQ op130

B,C 冒頭主題(同じ音型=双児であるが、CはBをよりクロマティカルな旋律進行にしたためてあり、エレガントである)

以上此処までが、上記譜面中である。


その後の第1violinのみの蛇行下降旋律ー手紙の舞い込み的(黙契)→ 以降、他partに断片的に引き継がれる (紫マーカー部分)

LVB SQ op130

B (=C)蛇行下降+E

ソ・ミ・シ・シ・シードーレーラー 2nd vn (橙マーカー部分)

LVB SQ op130

C[シューマンの愛した部分 橙色マーカー]
先述のCとパラレルな関係の音型であり同根である

※肝要なのはこの時、他の弦楽パートはレミレドシ・シドシラソ音型(=先術:Bの冒頭主題 紫色マーカー)を交代で引き受けている。すなわちBとCはここでも一つであり双児である。これが、A が土台となり展開された E がシーン・シチュエーションのフェーズで後期とくにSQにて多様される変容性につながる=「手紙舞い込み」の性質を伴うよう、B 音型はモティフ E へと変化を遂げる。
(※ちなみに E はベートーヴェン自身が愛していたと言われる、ピアノソナタである。)

※この辺りの 2ndVn に関しては、シューマンの愛した部分として有名になったC曲を惹起させた直後に、同曲 第3楽章 の喚起誘導を行っており、非常な能弁さを担っている(秘匿性・退隠の気分蘇生のため、この役割はあえて1stではないのであろう?)


続き。
1stVn の上昇~歓喜[シューマンの愛した部分 橙色マーカー○印]
レミレド‥シドシラ‥[紫マーカー]他パートによる交代部分

歓喜

[橙色マーカー]1stVn の上昇~歓喜 Cに由来する。
[紫マーカー]他パートによる交代部分 上記※印に同じ= B C → (A)E


冒頭へ リフレイン の直前 ユニゾン ソソファファミソミミレソ...

LVB SQ op130

このユニゾンの原型モティフ (青マーカー部分)は、
B 冒頭/ C 。 半音の着脱が譜面上にもある。
繰り返すが、B,C 両者の違いは半音差。Cはクロマティカル。


~~~リフレイン後~~~

Allegro
1) レ・レ・レレソー(黙契的!) ピンクマーカー部分
    レミレドシドシラ...(他パート旋律)がここに絡みつく 水色マーカー部分
‥‥
2) ソ・ソ・ソソドー(黙契的!) ピンクマーカー部分
    レード,レード,レード‥(複数パート旋律) 黄色マーカー部分
3) ソーソ↑ーファミレドミドソ 橙マーカー部分

LVB SQ op130

1) 上記 F(+G) / 下記 B,C ※B,C音型→これは絡みつき連なるほどに、 (A→)E 性を帯びる
2)上記 F(+G) / 下記  F(+G)

1) アグレッシヴ。
リフレイン後は、一部を除き
上述した(Allegro)、この清々しく 幾分か気ぜわしい 8分音符 にて、
同じ要素・同一音型のまま、各声部 巧みに絡みつきながら、第1楽章最結部まで到達する。
尚、F は先述の E,G とも切り離せない作品であり、「黙契的」を表徴する関係にある。
こうしたシーンは、他の後期SQに比し、最も躍動的に・またもっとも執拗に、このop130にて悦びに満ちて表現されている。
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2)上記 F(+G) / 下記  F(+G)
絡み合う両旋律、ともに鳥の繁殖期めいた鳴き交わし(半分バラシネタ 笑)1stVn  ソーソ↑ーファミレドミドソ B・C [←A]由来


1stVn , 2ndVn , VL による流れ落ちる旋律三重奏[紫マーカー部分]
と、1stVnによる上昇→歓喜[橙マーカー部分]

歓喜

紫マーカー部分 B C → (A)E 。
前述同様。
レミレドシ・シドシラソ音型(=Bの冒頭主題)を交代で引き受け、この際 BとC は一つであり双児である。
と同時に「手紙舞い込み」の性質= (A由来→)E の変容スタイル=シーン・シチュエーションのフェーズに移行しつつ後期とくにSQにて多様される形に昇華されている。
(※繰り返すが、E はベートーヴェン自身が愛していたと言われる、ピアノソナタである。)

橙マーカー部分 第三の歓喜 スタカート。
先述と同様、C ラーラシドーソが根底。
[所謂シューマンにより愛された部分として有名な箇所]

あとは、同様の音型とそれらの絡みがドラマティクに繰り返され、終結部に至る。

第1楽章分析終了。


第二楽章

総じてトーンが X そのものより生成されている。通常、退隠されてある処の原理が、例外的にリズミカルなトーンに触発される形で、露出する。この原理は 第 5 sym や Grosse Fuga に同じ。ベートーヴェンの舞踊的楽章には象徴的なパターンであろう。
同時に注目すべきは、この場合、 X のエッセンス性 は、多要素(全モティフでありメタファ-シーンとシチュエーション)に、あたかも精神分析で言うところの「平等に漂う注意」(デリダ<フロイト)のように殆ど奇跡的なバランス性を帯びて波及する。
他作品たとえば op131[14番]最終楽章で、X がメタファのまま露出する場面は、意図的に X を現出させているのであるが(=合目的性)、この楽章のような全包括的な X 露出とは、意味を異にする。

多くのシーンで舞踊的 & ユニゾン 

LVB SQ op130

《2枚目譜》

  • エリーゼ X

  • テンペスト A

  • アンダンテファヴォリ B 

  • 遥かなる恋人に寄す C

  • テレーゼ E

《4枚目譜》

  • エリーゼ X - テンペストA(Sym5 GrosseFuga)

  • 幽霊 D 


第2楽章分析終了。


第三楽章

第3楽章はきわめて重要である。この作品の重要性はCavatinaに収斂されていくのであるが、全作品的には同楽章が要諦をにぎる。そしてこれが最終楽章(大フーガにせよ、差し替えられた第6楽章にせよ)に発展・展開されていくのである。無論、直接的には第九 sym9 op125 ode to joy のテーマに起因する。この点に触れるとき、同時に シューマン R Schumann の sym2 op61にも触れることが出来る。(後に記載)
ode to joy モティフ・テーマの通底性は、最晩年のベートーヴェン自身にも、シューマンのsym2にも、共通している(シューベルト Great という媒介を挟んで)。
この点に気づくためにも、op130に於ては 第3楽章の影響力が、予め同作品の全体に及んでおり、最終楽章へと収斂されていく様を了解されるべきである。


ところで、この楽章では例外的にクロイツェルソナタに言及しなければならなそうだが、今回ほどこの曲を、同記事中で私のいう X=エリーゼ・エサンスの主題による第○変奏、のように聞いた日はない。

印象的な開始から喚起されることだが、この第3楽章全体にわたるフモールの性質は 音要素のみならずクロイツェルソナタのそれに似ている。

op130にとって クロイツェル は私が前以て用意していなかったモティフ-メタファだが(もちろんこれとて総て元素に遡行すればエッセンス X ← A[→D]に至るのではあるが。)

ところでクロイツェルソナタを思う時、1,2楽章は同op130のこの第3楽章に通底するとみられるが、クロイツェル3楽章はそのダイナミズムとフモールのスケールがすでにGrosse Fuga(大フーガ)の方に移行している。
(否。より広範な聴き方をすれば、もう1楽章から のちの Grosse Fuga の気分を有するといっていい)

※もちろんこれらとて総て元素に遡行すれば X に至るのではあるが。

であるから実は大フーガ:Grosse Fuga は同作品 SQ op130 の最終楽章に置かれるのでなければ、構成の有機性・弁証法的発展の自発性からしておかしい。

(※余談だが、クロイツェルソナタの2楽章は、ベートーヴェンのおそらく幼年時代から好きであったと推測されるヘンデル「調子の良い鍛冶屋変奏曲」にインスピレーションを得、そのポテンシャルに楽想を依拠している。またクロイツェルソナタが大フーガへと変貌を遂げているのを聴取したマーラーは自身のsym1に於いて一貫してその潜象的追従の試みを行っている。構成を含めクロイツェルソナタ(含 大フーガ)が絶えず併走し裏に張り付いているのを聞き取ることができよう。)

そしてもうひとつ言及すると、クロイツェルソナタが随伴していると言うことは、英雄sym=第3・エロイカシンフォニーが付随していると言うことも意味する――これはそのままマーラーsym1巨人にも当て嵌まっている。
譜面上で旋律線を追って頂く方が、ここで言葉で説明するより瞭然かもしれない。
(※sym7も付いてくると言うことになるが今回それは省く)
つまり敢えて言うとクロイツェルと英雄シンフォニーは A' A"のような「準」性を帯びるとも言っておけるだろう。

余談が過ぎたが、クロイツェルソナタ+英雄sym ←A テンペスト(←X エリーゼ)と言う媒介を媒介をまじえつつ、楽曲を追っていく。

クロイツェルソナタ+英雄sym ←A テンペスト、の連関性については、クロイツェルとテンペスト A の、雲間に翳りやすい陽のような長/短調の頻繁な交代性と、英雄ーテンペスト A 間にあるやや幻想的なフモールのニュアンスの帯びる旋律線とを、考えに入れながら(英雄にはテンペストの女性像を守護する父性も帯びており、この態度が幽霊 D にもつながっていく)、これらの要素の回想的反映としてのop130mov3を聞いてみて欲しい。


冒頭の黄色マーカー部分は、同作品の最初の動機に戻ったともいえると同時に、GrosseFugaを予告するともいえるのだが、上記しておいたようにkreuzer音型である。嘆きに似た同楽章開始(おそらくこの嘆きは動物の謝肉祭を書く際のサンサーンスの耳に刻印されている)は、エリーゼ原基体の露出であるとともにアンダンテファヴォリ-テンペスト開始をなぞる付点リズム態(とくにVcパート)のフモールともいえる。

印象的駆け上がり relationship ode to joy of Beethoven sym9 ,RSchumann op61 sym2,Beethoven op129

ode to joy-1
ode to joy-2
ode to joy-3
ode to joy-4


RSchumann op61 sym2 from Beethoven-sym9's ”ode to joy" theme

※Ode to joy 持続吃音的な同音連打と駆け上がりによる歓喜表現。‥‥これは或一つのシーンや、コーダ:最終局面 の前駆性にのみ現れるのではなく、ベートーヴェン 第九の全容 及び シューマン sym2の全容にわたる性質を帯びる。




故恋人ばかりではなく秘匿の子供への愛のはじける後期SQ


op130 雑感
思えば自分はスメタナSQの演奏からベートーヴェンの後期SQに入って行ったので、まずはそれまでの作品群に比し退隠した主体の瞑想性と悟達を感じていたが(実際最愛で唯一の恋人の死後の表現なので一貫して喪に服するヴェール感はあるものの。したがってたんにアグレッシブに奏されればよいと言ったトーンではないにせよ)、いま各モチーフのエッセンスやメタファ またそれらの印象と付帯して思い浮かべられるシーンから改めて同作品を俯瞰すると、晩年の渋いトーンではあるものの思ったよりずっと躍動的な歓喜に満ちた情感の多い作品だということが改めてわかる。
とくに子供を授かることのできた秘匿の喜びはひとしおのようで、恋人の生活の窮陥から死という苦渋の体験にもかかわらず、これと不可分な諧謔混じりの喜悦を抑えることができないと言った情感に貫かれた作品に思われる。この歓喜は思えば同作品の十年程まえのsym8からーー彼は娘ミノナにこの年逢っているのではないだろうかと思えるーーずっと作曲家の心底にあって、恋人の死後も様相と意匠をかえつつも持続されている


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