何を考えるにも大切な2W1Hと、歴史の話。by HYPHEN TOKYO
HYPHEN TOKYOが運営やサポートを担当している店舗がどのようにして作られたのか、どのようなところをこだわったのかなどを全3回に分けてお届けする連載【by HYPHEN TOKYO】。
カフェやコーヒースタンドを作りたいけれどやり方がわからない方、HYPHEN TOKYOの事業を知りたい方は、ぜひご覧ください。
今回ご紹介するのは、東京・中目黒にあるOPEN NAKAMEGUROです。
OPEN NAKAMEGUROの事例紹介Vol.2では、お問い合わせからお店がオープンするまでの流れをご紹介します。
HYPHEN TOKYOがどのようなヒアリングをしたのか、ブランディングを考えるにあたって、何を大切にしているのか。HYPHEN TOKYOの軸とも言える、大切なお話です。
(Vol.1はこちら)
お問い合わせをいただいてからオープンまでは、Vol1でご紹介したように、以下のような流れになります。
<OPEN NAKAMEGUROがオープンするまで>
1. お問い合わせ
2. ヒアリング
3. 土地(中目黒)のリサーチ
4. ブランディング(店舗名・ロゴなど)を考える
5. 店舗のフードやドリンクメニューの開発
ヒアリングは、基本的に対面で行います。コミュニケーションをとりながら「どのような場所を作りたいのか。」「何を実現したいのか。」などをお伺いした上で、マーケティングとブランディングの両軸から考えるようにしています。
そしてリサーチや各店舗構成要素を導き出す時に共通している考え方が、以下の2W1Hです。
【大切にしている2W1H】
WHY:何を目指しているのか
HOW:どのようにやるのか
WHAT:何をやりたいのか
まずは「なぜやるのか」という核の部分を、明確にします。
WHYを作ってからHOWとWHATを決めていくことで、お店の軸がぶれません。
また、私たちHYPHEN TOKYOは、土地に根付く場所をつくっていくにあたり、1800年代からその土地の文脈を辿ります。
今回、OPEN NAKAMEGUROをオープンする中目黒について知るべく、国会図書館や区の資料館、歴史資料館に行ったところ、以下のことがわかりました。
【 中目黒 / 目黒地域 】
・江戸時代は江戸中の人々が集まる一大行楽地だったこと
・江戸から外れていたのにもかかわらず、町奉行(いわゆる町の警察官)がいたほど大切にされていたこと
・目黒飴という名物があったこと
【 OPEN NAKAMEGURO の目の前の通り / 駒沢通り 】
・昔は急坂だったため,斜面を切り開く、切り通しの工事が繰り返されており、土手からは赤土のかたまりがこぼれ落ちていたこと
・この状態を目黒の古い方言で“けこぼ“といい、土地の人々はこの坂を “けこぼ坂“と呼んでいたこと
そこからロゴのキーカラーをイメージし、赤土からとって赤に決定しました。
「江戸時代の人が週末になると遊びにいける場所だったように、OPEN NAKAMEGUROもそういうお店でありたい」という強い思いが、OPENという名前にもあらわれています。
【 "OPEN" という言葉の意味 】
・開かれた場所
・境界線がない
・偏見がない
【 "OPEN" という店名にした背景 】
・"OPEN"という言葉は人々の頭の中に強い意味を持って所有されていない
・人によって"OPEN"という言葉に対して共通認識を持っていない
・世界中どこにいても、"OPEN" という表示を目にした時に [OPEN NAKAMEGURO] を思い出してもらえるように
HYPHEN TOKYO のビジョンは、コーヒースタンドをきっかけとして集う人々(ヒト)を中心に、ひとつひとつの商品(モノ)、行われる事(コト)、そしてその全てを包み込む空間それぞれの要素を孤立させることなくつなぎ、そこでしかできないことを追求・表現していくこと。
OPEN NAKAMEGUROは【変わらないものと変わるものが共存する場所】をサブテーマに、"いつも変わらないコーヒースタンドがそこにあるけど、展示会やイベントなど、その場の使われ方は常に変化していく場所"をつくりあげることでそこにしかない価値を生み出していきます。
Vol.3ではオープン後、どのようにポップアップストアを盛り上げているのかをご紹介します。
(取材・執筆:高城つかさ)
◆HYPHEN TOKYOについてもっと知りたい方はこちら
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?