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航空券ガチャでイスラエルを引いた (中編:寒空のエルサレム)

エルサレムはわずか1k㎡という狭い旧市街に、3つの宗教の聖地がある。そこではユダヤ・キリスト・イスラムの教徒たちがひしめき合い、歩いているとコロコロと人種が変わり、文字が変わり、匂いが変わっていく。ただよく知られているように、これらはどれも同じ聖書をルーツとする姉妹宗教でもある。
エルサレムに着いた翌日、イエスが十字架を背負ったとされるルートを追体験する行事に参加した。欧米からの観光客たちが行列をなし、賛美歌を歌いながら行進していく。その「イエスの苦難の道」だが、実は現在ではその大半がイスラム教徒が住むエリアとなっている。聖歌隊を見たイスラム教徒の若者たちの中にはちょっかいを出してくる者もいれば、たくましくイエスの彫刻を売りつけてくる者もいる。だがキリスト教徒たちは気にも留めず、賛美歌に喉を震わせる。すると負けじと、コーランがスピーカーから大音響で流れ始めた。路地の奥ではユダヤを象徴するダビデの星旗が空にはためき、嘆きの壁では長いもみあげを蓄えたユダヤ教徒たちが祈りを捧げている。
この混沌がエルサレムだ。

ただここまで各々の主張が激しいのは、今日が週に1度の安息日だからだ。ユダヤ教で「シャバット」と呼ばれるこの安息日では神に祈りを捧げるほか、一切の労働をしてはならない。あらゆる店が閉まり、公共交通機関も全てストップする。仕事はもちろん、家事も労働なので禁止される。エレベーターのボタンを押すことすら「労働」とみなされ、シャバットの間はエレベーターが全ての階に自動停止するという話まである。それほど、シャバットは人々の生活に深く根付いているのだ。

さて、テルアビブでの失敗にもめげず、やはり現地人との暖かい交流を求めAirbnbを予約した僕は、シャバットに沸き立つ旧市街を抜け、町外れへと向かった。指定された場所に着くと立派な一軒家があって、中からスウェット姿にキッパ(ユダヤ教徒の帽子)を被った小太りのおっさんが現れた。彼がこの家のオーナーらしい。
おっさんは力強く握手をすると、せきを切ったようにすごい勢いで喋り始めた。よく分からない身振り手振りを交え一方的に話し続けているが、ろれつが回っていないので聞き取れない。たぶんラリってるんだと思う。困った僕はとりあえず「クール」と相づちを打ち続けた。それが心に響いたのかおっさんは一人で手を叩いて笑い出すと、なにやらボロボロの名刺を渡してきた。名刺には「バリー」というおっさんの名と、YouTubeのURLが記されている。おっさんはなんとユーチューバーだった。動画を見せてもらったが、再生回数は30回くらいだった。回らない舌でバリーは動画を解説し続ける。僕は早く家に入れてほしいと思った。

一通りの動画を紹介し、ようやく落ち着いたバリーはこっちへ来い、と僕を案内してくれた。家に入れてもらえると思ったが、何故か裏庭に連れて行かれた。広い裏庭はよく言えば自然のままの姿、悪く言えばなんの手入れもされておらず、雑草が膝の高さまで生い茂っている。
草木をかき分け進んでいくと、突然目の前に白い物体が現れた。便器だった。荒れ果てた庭の真ん中に、真っ白な便器が鎮座していた。バリーは、これが僕専用のバスルームだという。「バスルーム」は便器を中心に構成され、高さ1mほどの木板が便器をコの字で囲んでいる。入り口はシャワーカーテンで仕切れるようになっていて、木板からはシャワーヘッドが生えていた。このバスルームはバリーが作ったらしく、お湯も出るんだぞ、と自慢をしていた。木板もカーテンも薄汚れているのに、便器だけ新品のようにピカピカで、まるで便器だけがそこにワープして来たかのような、現代アートのごとき空間だった。
そして、バスルームの隣に併設された物置のようなスペースが僕の部屋だった。物置も木材でできていて、剥げた赤いペンキがなんとも言えない哀愁を醸し出している。恐らくこれもバリーが作ったのだろうが、先に見た立派な一軒家との違いに僕は失望を隠せない。入り口の前にはなぜか洗濯機が転がっていて、「今洗濯機を修理中してるんだ、申し訳ない」とバリーは謝ってきた。謝るポイントが違うだろうと僕は思った。物置の扉には南京錠がかけれられていたが、Airbnbの紹介文に書いてあった「スマートロック付き」という説明は多分この南京錠を指している。扉を開けると中には窓がなく、小さなベッドだけが置かれた、灰色を基調としたシンプルなデザイン。まるで独房を思わせた。Anything OK?ときかれ、僕は「クール」と相づちを打った。

その夜、独房で寝転んでいると、いきなり扉が開いてバリーが入ってきた。スマートロックの意味が無かった。バリーは、どうやら一軒家でのディナーに招待してくれるらしい。シャバットのディナーは特別だから面白いよ、とバリーは言った。僕は喜んで参加することにした。昼はキリスト教徒と礼拝し夜はユダヤ教のディナーを楽しむのだから、日本人は便利である。一軒家に入ると、部屋には豪華な飾り付けがされていた。あの物置と比べると、随分立派な家である。
食卓につくと、バリーがユダヤ教徒の一連の儀式を開始した。まず赤ワインに祈りをささげ、それを一息に飲む。奥さんも、小さな子供たちも一緒に飲む。飲み終わったら次に、何分もかけて念入りに手を洗う。最後にパンに祈りをささげ、一口かじる。ここまでを無言で行う。パンを食べ終わったら喋っても良い。
タイマーが鳴り、奥さんが鍋からスープを取り分けてくれた。シャバットの間は家事をしてはいけないので、シャバット専用タイマーが家のあちこちにあるらしい。前日のうちにタイマーをセットしておけば、シャバットの夜に鍋が温まり、風呂が湧くのだ。
食事を終え、子供たちと遊び、僕はとても充実した気分になった。これぞ僕が求めていた、現地人との暖かい交流ではないか。酔っ払ったバリーはしつこくいろんな動画を見せてきたが、それすら面白く見えてきた。夜更けまでひとしきり楽しんだあと、シャワーを浴びて寝ることにした。

暗闇をライトで照らしながら、草木をかき分けバスルームを探す。便器がライトに反射して妖しく光った。ここだ。脱いだ服とライトを脇に置き、恐る恐る蛇口を捻った。するとほんの少し緩めただけで、木板に生えたシャワーヘッドからものすごい勢いで冷水が吹き出した。シャワーヘッドはガタガタと暴れ、今にも木板から飛び出してしまいそうだ。慌てて蛇口を逆に回すと、ピタッと水は止まってしまった。緩めたら鉄砲水、閉めたら静寂。1か0かだった。そしてお湯が出ることはなかった。
イスラエルは昼夜の寒暖差が激しい。僕は震えながら、暴れるシャワーヘッドを押さえつけ頭から水を浴びた。それは滝行だった。寒さのあまり、僕は思わず手を離した。するとシャワーヘッドがぐるりと回転し、水圧でカーテンとライトと僕の服を吹っ飛ばした。ライトはそのままどこかへ転がっていってしまったので、途端にあたりが真っ暗になった。

シャワーヘッドは水を撒き散らしながら回転を続けている。僕は寒空の下、一人全裸で空を見上げた。まばゆい星に白い月が細く浮かんでいた。どこかで犬の遠吠えが聞こえた。

物置部屋に戻り、布団にくるまっても震えは収まらなかった。文字通りクールだった。部屋の外では、修理中の洗濯機が怪しげな機械音を奏でていた。

次の日僕は1万5千円のホテルを予約した。

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