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「主の祈り」を別の視点から見つめてみると…

 昨年までの数年間、この時期はキリスト教音楽講習会(於:東京日本基督教団讃美歌委員会主催)の余韻に浸っている頃でした。しかし、今年は五輪の影響が考慮されて早々に(今年4月、『礼拝と音楽』185号誌上)不開催のお知らせが出ていました。
 しかし、夏に行われている同様の講習会は国内にいくつかあり、その中にはオンライン開催に切り替えられた(併用含む)ものもありました。結果的に今年は、東京基督教大学千葉県 印西市)の夏期音楽講習会特別企画(7/24)と、日本基督教団東北教区第39回礼拝と音楽研修会オンライン配信(8/20)に参加することができました。
(後者の配信は有料ですが、9/5まで申込を受け付けています。詳細はリンク先をご参照ください)

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(前者のプログラムの序盤で、賛美の伴奏として流れた映像のスクショ)
 実際に集まったり知り合いの方にお会いできないのは残念でしたが、学びの機会を確保することができたのは大変感謝なことでした。

 今回は、一昨年2018年の講習会で初めて知った内容をご紹介します。ゼミは希望制なんですが、この年は「祈りのことばを考える」を選択しました。その中で講師の先生が教えてくださったのが「アフリカの主の祈り」でした。
 主の祈りとは、キリスト教にとって最も大切な祈りです。新約聖書のマタイ福音書6章とルカ福音書11章に記されており、後者ではイエス・キリストが「私たちにも祈りを教えてください」(1節終盤=新改訳2017聖書協会共同訳共通)という弟子の願いに応えて教えたことが記録されています。ゆえに、祈りの模範・モデルと言われることも多いです。
 主の祈りは多くの教会で礼拝等の集会に用いられる他、日々の生活の中で一人一人が祈ることが勧められています。キリスト教主義学校(ミッションスクール)で学んだ方にとっては懐かしいものかもしれません。
 コロナ禍が始まった頃にはこのような動きもありました。

 主の祈りの日本語訳は教派(宗派)の違い等によりいくつか存在しますが、一番分かりやすいと思われるカトリック・聖公会共通口語訳をご紹介します。

天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように、
み国が来ますように、
み心が天に行われるとおり地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。 アーメン

 主の祈りの文言は当然ながら全世界共通ですが、「アフリカの主の祈り」はアフリカの人々の視点から意訳されたものと言えばいいんでしょうか。祈りとは言えないものの、私たちが祈る時の心を鋭く問うものがあります。

もしあなたが神の子として生きていないならば、
「父よ」とは言わないでください。
もしあなたが自分のエゴイズムの中に閉じこもっているとすれば、
「私たちの」とは言わないでください。
もしあなたがこの地上のことばかり考えているとするなら、
「天におられる」とは言わないでください。
もしあなたが自分の栄光のこと、名誉のことしか考えないならば、
「あなたのみ名が尊ばれますように」とは言わないでください。
もしあなたが物質的な成功を考えているとすれば
「み国がきますように」とは言わないでください。
もしあなたが気に入ったことばかり受け入れているとすれば、
「み心が行われますように」とは言わないでください。
もしあなたが貧しい人々のパンのために働かないなら、
「私たちの今日の糧をお与えください」とは言わないでください。
もしあなたが兄弟姉妹に対する憎しみを味わっているとすれば、
「私たちの罪をお赦しください」とは言わないでください。
もしあなたが誘惑を体験するように身を置くとすれば、
「私たちを試みられないように」とは言わないでください。
もしあなたが善のためにコミットしないなら、
「私たちを悪から守ってください」とは言わないでください。
もしあなたが主の祈りのことばを真剣に受け取っていないなら、
決して「アーメン」とは言わないでください。

 ソースとして、片柳弘史神父(カトリック宇部教会山口県 宇部市=主任司祭)のブログをご紹介します。

 キリスト教の礼拝における祈りは、大きく分けると「自由祈祷」と「成文祈祷」の2種類に分けられます。それぞれにメリットがある一方で、デメリットも考えられます。成文祈祷のデメリットは、ともすると機械的に唱えてしまう、あるいはマンネリ状態になってしまうことが挙げられるのではないでしょうか。
 「アフリカの主の祈り」もそのような私たちを目覚めさせてくれますが、もう一つ同じような効果をもたらしてくれる文章をご紹介します。

「いつも決まったお祈りばかり唱えるのはおかしくないか?」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、私たちは、シンプルで完璧な祈祷文を決めておいて、真心をもって式文を唱える方法で礼拝をささげます。
口で読むだけではなく、式文の中にあなたの心を込め、それがあなたの祈りになるようにしてください。文字の中にあなたの祈りを込めてください。

 これは、「祈祷書」によって日曜日の礼拝(聖餐式)等を行っている日本聖公会の、大分市にある教会の「ガイド」に掲載されている文章です。

 こういったことは神への祈りだけでなく、他者に対してかける日常的な言葉や挨拶にも言えることなのかもしれません。聖書には「ことばは神であった」(ヨハネの福音書1章1節=新改訳2017)という一節もあります。これと「言霊」の考え方を直結させるのは安直が過ぎるかもしれませんが、いずれにせよ言葉を大切にすることは大切です。
 SNSをはじめとして、言葉をいくらでも発することができるからこそ、見つめ直すことの重要性がこれ以上になく高まっているのかもしれません。そう言いつつなかなか実行することはできていませんが、この投稿をしたことによって自分自身の思いも新たにしたいなぁと思います。

 最後に、この記事に関連するお知らせを。
 今回の見出し画像は、2018~19年の講習会会場があった日本キリスト教会館(東京都 新宿区)敷地内にある早稲田奉仕園の講堂「スコットホール」です。ここは教会の施設としても使われています。

 その他、会館の方の部屋をチャペルとしているのは日本バプテスト同盟 東京平和教会です。
 続いて、片柳神父はこれまでもTwitterをもとにしたものなど著書数冊を出版されていますが、晴佐久正英神父カトリック上野教会・浅草教会主任司祭)との対談を元にした新著がキリスト新聞社から来月出版されるとのことです。

(10/8追記:第一報となる情報源へのリンクと宣材画像に代えて、別のリンクを貼るなどしました)

 ゼミの講師だった先生は(その講習会全体のチャプレンでもあられましたが)、長野県諏訪郡富士見町にある教会で牧師をされています。

 最後に、成文祈祷について詳しく知りたい方はこちらのブログをどうぞ。fbfの方が書いておられます。


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