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#21 軍部暴走と東京オリンピックの異同:サンクコストとガバナンス。技能審査場所論の提案!

東京オリンピックまであと54日。ワクチンは間に合うのか?

高齢者接種率10.1%(27日まで1回以上)

MBA(ビジネススクール)の経営ファイナンスの授業では、「サンクコスト(埋没費用)」の説明が必ずされます。

これはスタートした事業投資において意思決定(継続、撤退、追加投資など)の判断において過去の投資(サンクコスト)を考慮してはいけない、というものです。

※サンクコストとは一度支払ったお金で回収できない費用のことです。

理由は、事業の成否は将来フローの流列から生まれるものであり、その割引現在価値で価値決まるので、現時点の意思決定に過去の事柄は無関係だからです。

事業プロジェクトなどで、将来の採算が合わないことが確実になったとき、「これまで調査や準備に多くの時間やお金をかけた」「みんな頑張って努力してきた」「これまでの投資や税金が無駄になる」「私や彼/彼女、私の部署の苦労はどうなる」など会議で発言する人がいたら「こいつはバカか?」「経営学の初歩も知らんのか?」などと思われるのは確実。

これはリアル・オプションの実行でも説明できます。このダメな考えは人間の不合理な思考に基づくものであると行動経済学は解説してくれます。

だからこそ心に強く留めるためMBAの教授はクドクド繰りかえし、体にしみこますわけです。そうでないと企業、株主、顧客、従業員、取引先、ひいては社会全体みんなに迷惑をかけてしまうからです。

経営陣が撤退する決断ができず、負けプロジェクトを進めると企業は大赤字。最悪倒産。

この事業プロジェクトを東京オリンピックと置き換えてみましょう。

5月10日(月)読売新聞朝刊が「五輪『中止』59%」の世論調査。共同通信が16日に発表した調査は59.7%が「中止するべきだ」と回答、ANNは「中止」「延期」で82%。毎日新聞と社会調査研究センターは22日「中止」と「再延期」を合わせて6割超。5月26日(水)朝日新聞の社説は「夏の東京五輪 中止の決断を首相に求める」

私は東京オリンピックの中止派もしくは超縮小派(その案を最後で書きます)ですが、東京オリンピックは100%開催されると考えています。その理由は以下のとおり、

実際、準備は粛々と進んでいる。

IOCが自らやめるわけはない。

百合子、菅が止められるわけない。橋本、丸川にできるわけない。

誰も止めない、誰も止める力も権限もない。責任がとれるわけない、取る気もない。

止める仕組みがないのだから止まるわけはない。

ガバナンスが機能不全・・・ではなく、そもそも無きに等しいのです

ブレーキの無い巨大な乗り物に国民全員が乗っている。長い時間をかけて下り坂を下って加速していてあと海はもうすぐ。各自は外は見ないように中で椅子をかたづけている状態って感じかな。

明治開国時の不平等条約以来の不平等契約では?!

みんな「本当にやるの?」「開催したらヤバイ」って思いながらズルズル自分の目先のことをやっている。私も。

うちにもウェアが到着したし、今日もボランティアの日程を申告している。

だから中止は無理でも、せめてここに書き残しておきたい。

Q「有力選手に陽性者でたらどうするの?」「ルール守らず出歩いている選手が出たらどうするの?」 A「仮定の質問には答えられせん」。これも何の準備していないと思う。

今のところ、選手はもちろん審判や関係者、ボランティアへのワクチン接種もない。「学徒動員」もある。

選手は隔離されたとしても、特権階級(五輪貴族、各国政治家、関係者、マスコミなど)が観光や行脚するのは目に見えている。陽性者はどうする?

「もしかしたら開催できるかも」「メダル続出かもね」「もしかしたら鬼畜米英に勝てるかも」「神風が吹く」という希望的観測

他の国の選手は練習してないし、地の利を生かせるぞ。有力選手が来ないかもね。むしろチャンスかも?!

そんなメダル嬉しいかね。「いや実際メダル見たらうれしいぞ」「真珠湾攻撃したぞ!」みたいな。

そうなったらマスコミはこんな論争は忘れて”メダルおめでとう”って大騒ぎすることでしょうね。

選手も「あーこれで一生メダリスト、オリンピアンとして食っていける。取材や講演会で何しゃべろう。子供の頃の写真も用意しとかなきゃ。地元や母校のヒーローになったし。引退しても指導者や解説者の仕事も来るかも。学校教員、協会の理事もいいな。あわよくば国会議員になれるかも・・・がんばったんだから年金と同じだな。へへへ。」

陰で人が大勢死んでいるんだけどね。国民は「欲しがりません勝つまでは」、マスコミは「いけー次のメダルへ」「大本営放送」。

これってまるで先の戦争に突入している雰囲気ではないでしょうか?

指揮官が撤退する決断ができず、負け戦に突入すると部隊は全滅。犬死。

ちょっと前に竹やりで戦う宝島社の全面広告があったな。

戦後になって当時の反省をみると、軍部が暴走し、マスコミが煽り、野党も国民も誰も止めることができなかった。(唯一日本共産党だけは反対したという自慢が戦後のウリになった)

当時の「非国民!」的な雰囲気の中で声高に反対を唱えることはできなかったという意見もあるでしょうが、消極的な反対はできたはずです(つまり何も言わない、加担しない)。

実際には、作家、芸能人、知識人、経済人もむしろ戦意高揚に加担した・・・

たとえば古関裕司の朝ドラはその点はすらっと流していましたし。こういう話はいくらでもあります。

だから「一​億総懺悔」をしたものです

今回をみるとマスコミ、ワイドショー、国民世論、野党、有名人も多くの人が疑念や不満、心配を強く表明しています。

それでもよく聞くと「中止せよ」「開催は絶対反対」まで言っている人は少ない。

それでもいることはいる。デモしてる人、左系評論家、一部の病院関係者(開業医は除く)です。これは増えるだろうか?

朝日新聞は戦争に加担した反省があったから、戦後これは朝日に対する批判がトゲのように残っていたので早めに出したともいえます。宝島社の広告もこれの保険のように思えました。

もし、中止論がもっと盛り上がって、それでもオリンピックが止められなかったとしたら・・・仮定の話ね

私は、前回の戦争の総括をやり直す必要が出てくると考える

というのも、戦前戦中にマスコミ(朝日など)、作家、有名人、国民などがいくら反対したところで、やっぱり戦争を止められなかったのではないか?という仮説が生まれるはずです。類似しているという前提の思考実験でね。

以上のように、私は東京オリンピックが開催される事をこうした比較のためにも意見の時間的変化に注目している。

もちろん戦争と平和のオリンピックは真逆な話です。(安全なら)開催できた方がいいにきまっている。

でも「何も言わない」という理由ないし憲兵もいないのです。

先に書いたように「もしかしたら開催でき」「メダル続出かもね」「いや実際メダル見たらうれしいぞ」「マスコミはおめでとうと大騒ぎ」になる可能性は高い。

開催したらしたで私は選手を応援はすると思う。ワクチンなしでボランティアもやるでしょう。他の多くの人もそうに違いない。

そうであるならアスリートはもっと自分の言葉で、たとえば「出たい」「開催して欲しい」と言って欲しいと思う。

「私は何もわからない。競技をやるだけです」っていいとこどりに気がする。子供っぽい。「私の意見では何も変わらない」って、そういう事じゃないんだよな。

発言は必ず覚えておく、本人も残す努力をしておいてください(SNSに残す)。そして発言しなかった人も必ず覚えておくことにしたい。

これができるのが先の戦争と決定的に違うところですね。

選手に厳しいこと書いてしまいましたが、私も真剣に開催案を考えました。最後に私の開催案を書きます。

超縮小案です。2011年5月の大相撲で八百長事件後の「技能審査場所」と同じです。無観客。ただただ番付のためだけ。さらに地域分散、長期間のなかで時間分散させます。なにも同時にやることないでしょ。開会式・閉会式、事前合宿なし。サッカーなんか今も開会式前から予選やってるでしょ。もし決勝トーナメントなどで陽性者が出たらゆっくり後ろ倒しにする。テレビ放映もやるよ。中止や試合不成立に比べればいいでしょ。しかも「ちゃんと開催した」事実は残って訴訟もかわせるかもしれない。

アスリートの心情を考えれば中止はできない。何が大事かというと「出場し、記録が残る」ことが最も大事と考えます。もともとマイナースポーツのための大会。大観客なくても力は出ると思いたい。三方一両損(アスリート、マスコミ、IOC/JOC、スポンサー、政治家、観客、国民みんな少しづつ損する)。それより「厳しい練習の成果をこの時点で吐き出したい!!!」という強い思いがあると私は想像する。もし私だったらそう思う。変なうしろめたさもなくなるし、それでいてお祭りのあとの名誉も”がんばった年金”もしっかりもらえる。

この案の良さは「新規に何も準備しなくてよい」こと(一部、時間調整は必要になる)。だから間に合う(こういう引き算の考え方って政府事業にとって初めてかもしれない)。お釣りが来るくらい実行可能でしょ。これで肥大化したIOCへのアンチテーゼにもなるから溜飲も下がるでしょ。「記録をしっかり残してあげて選手全員を(心で)祝してあげる」のが要諦。これが私の「技能審査大会」案です。






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