#11 所有は強し:ロックの憲法と私有財産制

2010/8/18作成 ※ 10年以上前のものからの選

 話題のサンデル教授の「正義と公正」の中に私有財産と国家の関係があった。

 市場原理主義の原思想であるリバタリアニズムとジョン・ロックを題材とした興味深い講義であり、アメリカ人の根源的な精神性を垣間見ることができる。

 アメリカの独立宣言では、ジェファーソンが「生命、自由及び幸福追求」と表現したが、これはロックの「生命、自由及び財産」を書き換えたという説がある。ロックは著書で幸福追求という言葉も多用していることもあるが、むしろロックは基本的人権として私有財産の重要性を強調したと考えたほうがよい。「社会契約説」は個人がプロパティ(固有権)という神から得られた自然権を持つところからスタートし、その後委ねた国家権力が不当であればその信託を取り消すことができると考え、社会の存在とは個人のプロパティを守ることであるとする。資本主義・自由主義・近代立憲主義の社会では、私有財産とはこれほどまで重視され、国家や政府などはそもそも信用されていないのだ。

 ロックの思想は日本国憲法第13条がそのまま該当する。ただし、神は抜きであり、経済的自由権は制限がかかっているから、裏側の政治思想が読めるはずもない。幸福要求権と混同する人もいるくらいだ。建国や立憲の意志が希薄であり、市民革命を経験していない日本人は、よもや対国家論として私有財産の重要性が隠されているとは思わない。むしろ金満主義やエゴイズムと嫌悪感すら持つことさえある。

 私たちは、空港、ダム、道路などの建設で政府による強制的な私権制限も必要かと思い、「日本人は土地に愛着を持ちすぎる」、「さっさと収用してしまえ」、などと感じることもあるが、神ならぬ御上意識に歪んでいる証拠かもしれない。もちろん憲法条文を読めば、「公共の福祉」によって制限されるが、これはあいまいな社会性ではなく、人権間の衝突の場合に比較衡量されるべきことだ。

 これだけプロパティへの所有の権利意識が強いならば、所有と賃貸借との関係はどうなるのだろうかという疑問が浮かぶ。不動産の価格(所有)には家賃(賃借)には含まれない“何か”があって価値も異なるのであろうか?

 価格と家賃の変換率が利回り(還元利回り、キャップレート)である。何か良いものが存在し、それに経済価値があるなら価格は高くなるから利回りを小さくする方向に効いているはずだ。

 戸建住宅は、賃貸に回せるほどの家賃は稼げないのに買う。農家はどんなに赤字でも農地を売らないし、シャッター商店主もそうだ。そういえば土地所有ができない中国人が東京の不動産を買いにきている。CREでも全ての工場や店舗を賃借する“持たざる経営”を推奨することはないし、M&Aでは50%を超える瞬間に多大なプレミアムを支払う。税制などいくつかの説明はできるが、こういった現実を「経済合理性に反している」などと解釈していけない。

 これには不完備契約理論とパワー概念で考えるべきである。契約はどんなに細かく分厚く書いても完ぺきではない(不完備契約という)。多くの予測不能な事態が起きるから契約の見直しと再交渉が必要になる。不特定の事態では所有者が決定権を持つため、残余コントロール権を全て持ち、交渉においてパワーを持ち得るのだ。所有とは(思想的にも現実的にも)かくも強いのである。

※ 追記(2021/5/4)

昨日が憲法記念日ということで、関連する10年以上前の作を探して載せてみました。まずサンデル教授というのがブームだったんですね(笑)。読者の不動産関係にからめていますね。今であればシェア、サブスク、ブロックチェーン、トークンなどの話を入れているはず。


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