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近年の百貨店の低迷の原因は1950年代に始まっていたという話

※今回の記事は日本の百貨店に限った話です。欧米の百貨店の低迷と共通している部分もありますが、ひとまず別と捉えて読んでいただければと思います。


かつては「マーケティング」という言葉さえなかった時代から、画期的な販売手法を発明し、あるいは欧米から輸入し、今のBtoC商売の方法の礎を築いた百貨店。ですが、バブル崩壊とともに日本の百貨店は売上の低迷が始まり、訪日外国人特需など一時的な売上増はあったものの、2020年現在もその低迷は続いているといえるでしょう。何より、若年層が百貨店に行かなくなりましたし、中高年が百貨店を好むのも、厳しい言い方ですが、30年以上前の残像みたいなものです。

なぜ、百貨店は低迷してしまったのか。その原因は、実は1950年代から始まっているのです。

「消化仕入」が百貨店から"提案力"を奪った

販売や小売のことを学んだ方なら、「消化仕入」という仕入れ方法を聞いたことがあることも多いと思います。今では当たり前のように採られる、仕入業者と卸または製造業者間の契約形態ではありますが、戦前までは「買取仕入」という方法しかなかったそうです。

ここでこの仕入方法の違いについて説明しますね。

買取仕入
商品等が小売店の手元に到着し、検品を終えた時点で、小売店→卸業者(または製造業者)にお金が支払われるという形態です。この場合、小売店側は、もし消費者に売れなかったら不良在庫を抱えるというリスクを背負うことになり、卸業者側は、商品が消費者に売れる売れないに関係なく、売上を得ることができるというメリットがあります。

消化仕入
商品等が小売店の手元に到着し検品を終えた時点では、小売店と卸業者間に請求は発生せず、小売店に陳列された状態でも、その商品の所有権は卸業者にあり、商品が消費者に売れると決まったその時点で、初めて所有権が小売店に移り、そして消費者に移るという形態です。つまり、商品がもし売れ残ったとしても、小売店側は在庫リスクを抱えることなく、卸業者に返品ができるというメリットがあります。逆に卸業者側からすると、小売店から商品の発注を受けて納品できたとしても、それが消費者に売れるまでは売れ残るリスクを抱えることになるというデメリットがあります。

つまり、簡単にいうと
・買取仕入:卸業者(製造業者)のリスクが少ない
・消化仕入:小売店側のリスクが少ない

ということです。

それぞれの契約によって異なりはしますが、今でも百貨店と卸業者や製造業者間の多くの契約が、消化仕入となっているといわれています。また、委託販売(百貨店が雇用している販売員でなく、ブランド側が雇用している販売員を百貨店に派遣して販売させる形態)も、消化仕入とセットで普及したといわれます。委託販売も、百貨店からすると、販売員と直接雇用をする必要がないし、販売員教育も必要ないので、百貨店側にメリットがありますよね。

この、一見百貨店にとってメリットの大きい「消化仕入」や「委託販売」。しかし、これこそが百貨店から、「魅力」がなくなってしまった原因なんです。

リスクが少ない手法をとろうとするあまり、「消費者にどんな商品をどう紹介するか、そしてどうやって購入してもらうか。」という、小売店として最も重要といえる作業が、どんどんとブランド任せになってしまいました。とりあえず人気のあるブランドや話題性のあるブランドを取り寄せ、販売員を派遣してもらって売ってもらう。百貨店が、ただブランドに場所を貸しているだけ、という状態になってしまったわけです。

逆にブランド側は、なぜ消化仕入というリスクの高い方法をとってまで百貨店と契約するのか。それは、百貨店の持つブランドイメージの高さによるものです。「消化仕入」という形態を最初に発明したのは、1950年代の「オンワード樫山」です。今ではアパレルの大手会社のオンワードですが、当時はそれほどの実績もない小さな会社でした。でも、なんとかして百貨店に自社の商品をおいてもらいたい。当時は今以上に百貨店に商品を置いているだけで信用度が高まった時代です。だからこそ、消化仕入や委託販売という方法をひらめき、そして在庫リスクや雇用の負担を肩代わりして、百貨店に商品をおいてもらったのです。この手法は急速に普及していきました。

時代に応じた自分の役割を再定義できなかった百貨店

戦前は『行くことのできない西欧を体験できる場所』の役割を担っていた百貨店ですが、人々が欧米に行くことが当たり前になってくると、百貨店の立ち位置も変わってきます。前回の記事で書いた通り、百貨店もさまざまな試みをしたことは確かです。その中には画期的な試みもあり、無印良品など一部は今の時代も輝き続けてります。しかし、百貨店として考えると、今の低迷が示すように、上手くいっているとはいえません。

一番の原因は、量販店や専門店あるいはイオンなどショッピングセンターと、百貨店の違いを、百貨店自身が自覚できなかったことでしょう。

前述の消化仕入は、百貨店だけでなく量販店や専門店などほかの業態の小売店も採っていました。ただし、例えば「安さ」を武器にする量販店と百貨店とでは、求められる商品提案力は大きく変わってきます。また、ショッピングセンターは、場所貸しをしてテナント料と売上のマージンで稼ぐビジネスモデルであり、商品を仕入れて販売する百貨店とは、本来は全く形態が違い、役割も違うはずなんです。

ただ、ややこしいのは、かつて量販店やチェーンの専門店が存在しなかった頃、百貨店は「提案力」とともに「安さ」も武器だったのです。薄利多売も、今と程度の差はおいて、発明したのはパリのボン・マルシェであり百貨店です。また阪急百貨店は、ターミナル駅に出店して、「薄利多売」という手法をさらに高いレベルにしました。
しかし、「量販店」という形態が誕生したり、専門店がチェーン展開をはじめた高度成長期の後期において、人々が百貨店に求める役割から「安さ」という要素は徐々に薄まってきました。

大前提として、百貨店は「百貨を扱う小売店」です。近年、「ライフスタイル提案型」という言葉がBtoCマーケティング界隈でよく言われますが、さまざまな品目扱うという特性上、百貨店は今から100年以上前から「ライフスタイル提案型」のマーケティングを行ってきました。特に明治から大正にかけての百貨店は「西欧型のライフスタイル」を提案しました。日本庶民の急激な西欧化は、百貨店なしではありえなかったでしょう。

そんな「提案力」こそが百貨店を百貨店たらしめる一番の要素だと私は考えています。しかし、リスク回避を優先するあまり、百貨店は自らこの「提案力」を手放してしまいました

ただし、1980年代まではレガシーがありますし、世の中も高度成長期の時代で、売上という数字に明るみになることはありませんでした。
それが、バブル崩壊を合図に、一気に明るみになってしまったわけです。また、そこから再建しようとしても、「リスクを受容」することができないために、大きな変革を行うことができずに中途半端な改革が続いて、今に至るわけです。

「いたずらなIT技術の導入」は、「いたずらな消化仕入の導入」に似ている

近年、さまざまな企業がIT技術を取り入れ、作業の自動化・効率化や、CRM施策の強化を目指しています。AIやIoTの発達によって、そして今の新型コロナウイルスによって、その傾向はこれからより強くなるでしょう。

しかし、いたずらにITやAIに頼りきるだけ、では、ブランドに頼り切ってしまったために低迷した百貨店の二の舞になります。頼る相手がブランドからシステムやロボットに切り替わっただけで、その構造は似ていると思っています。

モノがあふれるこの時代、そしてこれからの時代、専門店を含む多くの小売店が「ライフスタイル提案型」の販売が求められます。ただいたずらに効率化やIT化だけを目指すだけでは、提案力はつきません。
提案するには、顧客の心理を考えてそれに応じたレコメンデーションを行うだけでなく、ブランド側が顧客に何を提示してそしてどこに導きたいのか、というのも重要です。これはAIにはできないことです。

これから間違いなく急速にIT化・AI化が進みます。それらを上手に取り入れつつ、時代に左右されない自社の理念や役割を常に忘れない。時には新しい時代の中で再定義していく。そういうことがこれからの時代に求められるわけです。そして、それに対応していくにあたっての大きなヒントが、百貨店の歴史の中に眠っています。

先走って結論を書いてしまいましたが、次回の記事でまとめとして、百貨店の歴史から何を学び、そして活用していくべきか、ということをより詳しく書きたいと思います。多分5月6日に書きます。お楽しみに。

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