解決することだけを目標にしない。
ある日
ヤングケアラーをなくすことができるのだろうか?
全ての解決などできるのだろうか?
という質問に対して、元当事者として発信や参画させてもらっている立場として、公的に大きな場で初めて伝えることができた。
私の答えはこうだ。
「全ての子どもや家庭それぞれによって、根本的に解決した状態というのは100人いれば100通りです。なので、これをすればヤングケアラー問題は解決です、というのは無いです。ただ、日々のしんどさや困りごとを解消することはできると思います。」
解決ではなく、解消を目指す。
私がいつも伝えている言葉。
毎日毎日家族のケアに追われ、いつ事故が起きるか、いつ発作が起きるか、いつ怒鳴られるか、いつ電話やメールが鳴り止まなくなるか…
みんな、毎日張り詰めた細い糸の上を綱渡りするような生活を送っている。ちょっとバランスを崩せば、家庭も自分も崩壊してしまう。
ここはよく勘違いを招きやすいのだが、それでも、ヤングケアラーがただ可哀想だったりしんどいだけでは決してないことに目を向けてほしい。
家族のケアをする中で、自分が家族を支えているんだ、とか、自分がいるから家族が助かっているんだ、と、ケア自体が生きがいになっていることも大いにあるのだ。ケアをしているから生きていられることもある。(ここでは、家族の役割としてポジティブである状態も、逆に危険な状態も含むが)
しんどいにはしんどい。でも、やりがいを感じたり感謝されることだってある。
何が問題かというと、自分に費やす時間がないことだ。
これが、ケアが日常化していると圧倒的に欠如する。
これは物理的に趣味や習い事、勉強に割く時間が取れないということももちろんだが、実際は目に見えない頭の中、脳内で常にケアの対象者のことを考えているということ。
頭の中は常に相手のことを考えているのだから、自分が何が好きか、楽しいか、何を食べたいか、何をしたいかなんて、考える余裕がなくなるのだ。
この延長で、ケアに追われて自分の人生を生きることができないという事態にまで深刻化してしまうのだ。
だから、必要な支援が届き、ケアラーが一瞬でも自分にベクトルが向く時間を増やすことが最も大切なのではと考えている。
今日はいい天気だなぁ、とか、そういえば最近好きなもの食べてないなぁ…
あれ、そういえば自分って何が好きだったっけ…?
とか。
この瞬間が、1日の中で1分でも3分でも増えていくように。
この時間を作り出せるために、周囲の人間ができることはなんなのか。
ヤングケアラーという言葉にこだわらず、誰かが困っていたら誰かが気にかける、その困りごとに詳しい人につなぐ。
そんな、人と人とのごく原始的なつながり方が、今求められているのではないかと思う。
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