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2020‐08‐18 母を看取った後の日本滞在日記

母が長年契約していた掃除用品の交換・集金スタッフがやってきた。彼女は、わたしの母について「とにかく社交的で、活発な人だった。かなり身体が辛そうでも、最後まで笑顔で声には張りがあった」と言っていた。母の周囲の人たちはみな同じように言う。彼女が”外”の社会に向けて作っていた姿だ。

母は以前、彼女に「長く生きていても辛いだけだから(先に死ぬだろう)私が頃合いを見て迎えに来てあげるわ」と言ったことがあったそうだ。それを聴いて、わたしは「生きるのが辛い、死にたいのは、自分で自分を痛めつけて殺している(いた)からですよ、〇〇(母の名)さん」と声に出さずに呟いた。

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