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2020-07-28 看取り日記

正直に書くと、わたしには「悔やみ」はない。まるで木が枯れていくように、徐々に体内の水分を排出しながら静かに死に向かっていった母の姿を、すぐ傍で見守ることができたのは、素晴らしい体験だった。人もまた、他の動植物と同じく自然のままに生ききって、自らのタイミングで肉体的な死を迎えるということをはっきりと目の当たりにした。死んでいった母本人も、わたしを含めた彼女を取り巻くあらゆる環境も、命の流れと呼べるような力によって運ばれているようだった。

そして、「ご冥福をお祈りします」という定型文的表現には「とりあえず何か言葉にしなくては」という軽さを感じると同時に、祈りという"思い"を押しつけられるようでもあって、違和感を覚えるのが正直なところだ。実際に、わたしは使わないことにしている言葉のひとつでもある。そもそも「冥」とは「死後の世界」という意味を持つ中国仏教に由来する思想だし、「冥福」を目指すかどうかは死んだ本人が選択することだ。

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