毎日に楽しさを添えた あの日のノック
「既存メンバーにとって、一緒に働きやすいであろう人を選んだんだ」
転職先の会社で働き始めて間もない頃、採用担当者から伝えられた言葉。
それを聞いたときは、ありがたいな、くらいにしか感じていなかった。
後々、この言葉に縛られるなんて、苦しめられるなんて、そのときは思いもしなかった。
ー
入社して3ヵ月が経過した、2023年の秋。
私は部署のメンバーとともに、1ヵ月後に控えたイベントの準備を着々と進めていた。
この数ヶ月間、会社や業務の知識を身に着けながら、メンバーのサポーターとしての仕事をこなす毎日。
「まだ入社したばかりだから」「新人だから」という枕詞がついて回る。
「一日でも早く新人としてのラベルを剥がして、一人前にならなきゃ」
そう思いつつも、今回のイベントでも例に漏れず、サポート役に徹する。
そのつもりだった。
イベント当日の役割分担を決める会議が行われたときのこと。
メンバー全員でスケジュールを確認しつつ、話し合いながら適材適所な人材配置をしていく。
話はトントン拍子に進み、このまま何事もなく会議は終わるはず、だった。
会議の終盤、メンバーの一人が最後の議題に触れる。
「後半の講義のファシリテーター、誰が担当します?」
その瞬間、「あ、やってみたい」と思った。
ファシリテーターなら、数年間積み上げた経験がある。
それなりの実績も自信もあるし、講義のイメージも湧く。
ここなら、自分の持っている力を発揮できるかもしれない。
自分の価値を会社に提供できるかもしれない。
これが、新人としてのラベルを剥がす、チャンスになるかもしれない。
深く考えるより先に、言葉が出ていた。
「やってみてもいいですか?」
ちょっとした間が空いた後、メンバーの一人が口を開く。
「これはフミさんよりも、別のメンバーの方が適任なような気がします」
自分の心が、ギュッという音を立てた。
それに気づかないフリをして、「そっか、そうですよね」と頷く。
新人なのに、半人前なのに、前に出たいと思ってしまった。
新人として、半人前として、他にやるべきことがあるのだろう。
まだ私は、他のメンバーから学ぶ段階なんだ。
自分の持っている力を発揮したり、価値を提供する段階ではないんだ。
採用担当者の言葉が脳裏によみがえる。
「既存メンバーにとって、一緒に働きやすいであろう人を選んだんだ」
——そうだ。
私の役目は、他のメンバーにとって一緒に働きやすい社員であることなんだ。
思いつく限りの言葉を自分に言い聞かせているうちに、会議は終わった。
消したくても消えないもやもやを抱えながら、雑念を振り払うように別の業務に没頭し、その日を終えた。
ー
結局、数日間悩んだ。
やりたい仕事ができないなんて、会社にいればよくある話。
「私にはまだこの仕事を任せられない」という会社からの評価であり、それが悔しければ、認められたければ、日々の仕事を通して少しずつ信頼を勝ち取っていくのが筋なのかもしれない。
それに、「他のメンバーにとって働きやすい社員であること」が私の第一の役目なのであれば、メンバーの意向通りサポーターとしての仕事に徹するべきなのだろう。
でも、こんなにも「やってみたい」と思う気持ちが強いのは初めてだった。
もし、もう一度「やってみたい」と言うのであれば、
もし、担当変更の可能性がまだ残っているとするのであれば、
恐らく今日がデッドラインだろう。
ただ、この想いと葛藤を、果たしてメンバーに打ち明けられるだろうか。
自分の中のぐちゃっとした感情をこぼせる人はいるだろうか。
言うか、言うまいか、かれこれ数時間考え続けた。
決断できないまま、終業のチャイムが鳴る。
いつもなら弾かれるようにイスから立ち上がるのに、一向に腰は上がらない。
動けないまま、時計の針だけがどんどん進んでいく。
デッドラインはすぐ目の前に迫っていた。
決めた。
もう一度だけ、言ってみよう。
この葛藤を、正直に話してみよう。
結果はどうであれ、言わなければきっと悔いが残る。
「大丈夫、大丈夫」と小声で唱えながら立ち上がり、個室のワークスペースへと向かう。
そこでは、メンバーの一人がパソコンと睨み合っていた。
悩みを打ち明けられるとするのであれば、この人しかいない。
今にも破裂しそうな心臓をどうにか抑え込み、思い切ってドアをノックした。
「すみません、いまちょっとだけお時間よろしいですか?」
ー
この日を境に、毎日がちょっとずつ変わっていった。
周囲に溶け込むことよりも、自分を表現できる場所を探すことに意識が向き始めた。
ふと浮かんだ考えや想いを、言葉に変えて発信するようになった。
「他のメンバーにとって働きやすい社員であること」という言葉に、縛られることがなくなった。
「周囲にとっての働きやすさに囚われすぎて、フミさん自身の持ち味を発揮できないなんてすごくもったいないです。やってみたいと思うのであれば、チャンスだと思うのであれば、迷わずチャレンジしてほしいと思います。あのときの会議の場では後押ししてあげられませんでしたが、フミさんの想いを知った今、僕がその気持ちを応援します。他のメンバーに、担当をフミさんに変えてもらえるよう、僕から話をしてみますね。」
思い切って悩みを打ち明けたときにもらった言葉が、心の支えになっている。
勇気を出した次の日、講義のファシリテーターにチャレンジさせてもらえることが決まった。
イベント当日は、今まで閉じていた自分の中の引き出しを次から次へと開け放ち、無事に講義をやり遂げることができた。
すごく、すごく楽しかった。
メンバーも「自分たちではできなかったことをやってくれた。とてもよかった」と言ってくれた。
メンバーの一員として、認めてもらえた気がした。
新人というラベルも、気が付けば剝がれてどこかに消えていた。
きっかけは、あのときのノックだった。
あの日から、仕事が、そして毎日が楽しくなった。
ー あとがき ー
あの日、私の想いに耳を傾けてくれた人へ。
あのときを思い出すたび、感謝の気持ちで胸がいっぱいになります。
普段の私であればどうにか自分の中で消化していた感情を、思い切って言葉にしてみて本当によかったです。
私にとってはとても勇気のいる決断だったけれど、「押し殺す」「しまい込む」のではなく、「言葉にする」「伝える」ことを選んだのは正解だったと、何度振り返っても確信できます。
仕事仲間として、そして今では大切な友人の一人として。
たくさん言いすぎて、もう聞き飽きたかもしれないけれど、改めて、ありがとうございます。
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