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教会前の広場でのあれこれ

メキシコの町中には必ず教会(catedral)がある。
その前には大きな広場があり、人々の憩いの場になっている。

今回はそのいくつかの広場での思い出を書いてみたい。

僕は各町に着くとそのカテドラルの真ん中あたりにドカンと座って教会をデッサンしたりしていた。

何となくその街の雰囲気を肌で感じるのと、あわよくば誰かが話しかけてくれるきっかけになればいいなと思ったからだ。

プエブラという街でも教会をデッサンした。
絵は好きだが、時間がかかる。2、3時間は座りながらノートとカテドラルを交互に見て描くのだ。

広場には人がいっぱいいた。
みんな思い思いに遊んでいる。

何人かが話しかけてくれた。
何やってるのー??と無邪気に声をかけてくれる子供たちをはじめ、
俺の顔も描いてくれ!いくらだ?と言ってくれた人もいた。
ずっと描いていると僕の周りで何人かが集まって、立ち話をする人や、その中のあるカップルに、持ち合わせの紙でバラを作って差し上げるおじさんがいたりと、賑やかな雰囲気になる。

自然と他人同士が和やかに、賑やかになる様は、素敵だった。
殺伐さが全くないんだよね、みんなアミーゴって感じ。

中には、一緒に展示会をやらないか!と言ってくれるガチ画家の人も声をかけてくれた。
流石に僕はそんなレベルには全くないのでお断りしたが、彼とはインスタグラムでも繋がっている。


折り紙が得意なおじさん
集まってきた子供たち
ガチ画家のエクトル

Guadarajaraグアダラハラの広場でも素敵な出会いがあった。
初めて絵を描いた場所だ。
その日も教会の前の広場に座り、絵を描いていた。

何人かが声をかけてくれる中、絵の進行具合を逐一確認しにきながら、一人で遊んでいる少年と出会った。

フェルナンド君だ。

言葉もろくに通じない中、僕の最低限のスペイン語で自己紹介をしたくらいでそこまで話していないが、随分と一緒に時間を過ごした気がしている。
絵が描き終わるまでお互いに広場の同じ時間を過ごしたものだからね。

彼は何やらおもちゃでずっと広場の僕のそばで遊んでいた。

なんかね、大人びた雰囲気があったな、あの子。
どっか寂しそうだったんよな。
日が暮れてきて夕日が教会を照らし出した頃に絵が完成した。
絵を彼にみせると、無言ではにかんでいた。

もう行くのかい?と
言ってくれた。

うん行くよと応えると

首からかけていたネックレスを差し出してくれた。
僕は少し気が引けたが、ありがたくもらった。
何も持ち合わせがなかったのでその時描いていた鉛筆をあげた。
今思えば絵をあげればよかった。。

そのネックレスを首にかけ、

adios amigo
と言って別れた。

ハグの一つくらいしたかったが何だか気が引けた。

そのネックレスは確か岐阜県の川に飛び込んだ時に無くしてしまったことは、僕の数少ない後悔のうちの一つである。
見つけたら教えてほしい。。
ほんと、こういうところですよねーー、、、

元気かなー彼。。

写真はフェルナンドと僕である。
Facebookから引っ張り出してきた。

フェルナンド君



Adios amigos

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