不登校を「本人」「家庭」の問題とすることの愚かさ
改善すべき原因は学校にある
「内海さんは、不登校の原因は何だと思いますか?」とたまに聞かれます。質問者の意図を汲んで「学校が第一の原因です。」と答えます。
そうすると「でも、不登校になる子とならない子がいますよね?それでも学校に原因がありますか?」という反論がきたりします。
もちろん、家庭の状況やその子のその時の内面のありよう、友人関係、あるいは、身体的な強さなどでも違ってくるので、その子にも「要因」の一つはあるでしょう。
ただ改善すべき原因をもっているのは「学校」だと思います。
個人の内部要因の存在は、学校の改善責任を免責しない
四大公害の「四日市ぜんそく」においても、その大気汚染で、ぜんそくになる人とならない人がいました。なる人は、もともと心肺機能や粘膜などが弱く、その意味で、ぜんそくになる「要因」が本人の側にあったはずです。
では、「ぜんそく」になったのは、その人の責任でしょうか?
当然ですが、そんなわけがありません。
改善すべき責任を伴う「原因」は企業と企業への規制を怠った行政にあったわけです。
四日市ぜんそくにおいても、個人の内部要因を持ち出して、自分たちの責任を回避しようとした人たちがいました。もちろん認められるはずもありませんでしたが。
その人の個別の内部要因の存在は、行政が改善しないでいい理由には1ミリもなりません。不登校で言えば、第一の改善責任は、学校(言い換えれば、設置者である行政・教育委員会・文部科学省)にあります。
ここは決して譲ってはいけないところだと僕は思っています。
何を改善すればいいかはわかっている
でも、そういうことを言うとすでに学校は対処をしているし、何をすれば不登校が減っていくのかわからない、と、それこそ教育関係者から言われたりします。しかし、そんなことはありません。
以前実態調査の分析を投稿しましたが、「行きづらくなったきっかけ」として「学校の先生の対応」と「勉強がわからない」という、「学校側」が改善しなくてはいけないものが高い割合を占めています。そこを手当する必要があります。
これに対して、多くの教育委員会と学校がやっていることは、教育支援センター(適応指導教室)の設置や、校内での別室設置など、「学校や教室に来れなくなった子」への(かなりの不足のある)事後対策です。
雨漏りで例えると、滴る水を溜めるバケツを準備したよ!って段階です。
アホか。屋根を修理せい!
詳細は下の投稿を読まれることをお勧めしますが、予防策として学校がやるべきことは以下の4つです。
①先生たちの対応を変えること(叱らない、大きな声をださない)
②児童生徒への対人スキルトレーニング
③学習のつまづきの早期発見と早期手当
④スクールカースト化を防ぐクラス経営
文部科学省が行った実態調査からいえば、まずこれらがやるべき対策のはずです。
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ここから先は余談です。
先生たちの中には「自分はがんばった。その子が応えてくれなかった。保護者がわかってくれなかった。」とおっしゃる方もいますが、過去に塾講師をしていた立場から言わせれば、あんた何いってんの?という感じです。自分のやり方でがんばった、というのはただの自己満足です。
塾の場合、先生の授業や対応が悪ければ、生徒はすぐに辞めます。だからこそ、先生には「対応や授業を改善しなくてはいけない」というフィードバックがかかります。これは適正なフィードバックだと思います。
僕も、塾講師を始めてしばらくして授業が悪い意味で適当になりはじめた頃、一時的に何人かが僕の授業だけこないという事態が発生しました。そこから、時間をかけて、自分の子どもへの関わり方と授業の在り方を改善した経験があります。そのあとも、どうしても僕と合わない子はいましたが、その時でも、その子に対しては、自分の力が足りずに申し訳ない気持ちしかありませんでした。その子に努力が足りないとか、本人の性格が甘いなんてことは思ったことさえありません。
しかし、学校だと、なぜか「来ない生徒が悪い」みたいな話になります。「生徒が来ない」ということの意味を、先生の振る舞いや関わり方との関連でとらえるのではなく、「学校という場所に通うことができない、本人の甘さ」みたいな、そんな話になってしまう。
「そんなんじゃ社会じゃやっていけないぞ」と。
現代日本社会から大きくずれた、昭和パラレルワールドにいるやつが何言ってるんだよ、と思います。外から言わせると、先生たちの方が「社会でやっていけない」グループに見えます。
(終わり)
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