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生活のための仕事

自分は義務教育、高校、大学まで卒業し22歳で就職しました。その後約10年間何かしら働き続けてきました。進む道やタイミングは違えど多くの人は似たような生活を送っていると思います。自分はそれが『当たり前なことで普通なこと』だと思っていました。
思えば仕事を辞めるつい最近までの生活はとても息苦しく、あまりにも正しい道ありきの生活を送っていました。そしてそこには全くと言っていいほど自分は適応できませんでした。
最近耳にする言葉で、『ワーク・ライフバランス』という言葉がありますが、ライフ(個人)よりもワーク(集団社会)が優先されているように思えます。今の社会にはそういう流れがあるのではないでしょうか。それが多くの人の息苦しさや違和感の原因になっていると思います。

そんな『こうあるべき』、『普通はこうだから』、『これが当たり前』といった固定観念を取り除き、これからは『こうありたい』、『こうしたい』、『これは嫌だ』という自分軸で生活を創っていこうと思います。自分がここまで意識を変化させるために今まで考えたことの一部を記録に残そうと思います。


お金が必要なのはどんな場合か

極端に言ってしまうと、最低限の生活には、四季を快適に過ごすための衣服、お腹を満たす食べ物、雨風をしのげ安心して寝られる場所といった『衣食住』を揃えるだけのお金があればいいと思います。
しかし、実際には移動手段としての車が必要であったり、交際費が必要であったりします。これらは社会生活送っていくうえで必要なお金であると思います。また欲しい服があったり、気になるスイーツがあったり、高断熱住宅に住みたかったり、都会に住みたかったりすることもあると思います。これは『見栄』や『欲』といったものだと思うのですが、一番お金がかかる原因になるのではと考えています。

労働への入り口とサイクル

多くの人は教育を受けている期間中に就職活動を始め、卒業とともに働き始めると思います。これが労働への入り口です。

①週に5日、日に8時間、それに残業を足して週に40時間+αの労働。また通勤の時間も縛られます。そして週に2日の休みがあります。これが一般的に基本と思われる労働条件だと思います。そこに社会人としての常識、仕事の要領の良さ、空気を読むこと等たくさんの高度なスキルが求められます。熱が出ていても出勤する人すらいます。新卒の人では20万円に満たないお給料を頂くために、たくさんの息苦しさや違和感を同時に持って帰ります。

②労働により精神的にも肉体的にも疲労がたまります。ストレスの解消のため甘いものを食べたり、服を買ってみたりお金を使います。病院に行ったり、頭痛薬を買うにもお金がかかります。また職場では同じような思考の人達に囲まれていることから、その生活が当たり前のものだと錯覚したり、同調圧力のようなものが存在してなかなか抜け出すことが出来ません。

③そしてお金が減ると不安になり、また労働へと駆り立てられます。①に戻る。
そしてなかなか抜け出せないサイクルが完成します。

働きすぎじゃないのだろうか?

そもそもサイクルの②が無ければお金はそれほどかからないのでは?と思います。そして②の原因として①の労働条件があると思います。なので自分はこの働き方を辞めてしまいます。
人それぞれ育った環境も違えば考え方もそれぞれです。だから誰にでもこの方法がいいというわけではありません。これだけは自分の人生にどうあっても欠かせないというものがあり、それにお金がかかるという場合はこの話は全く参考にならない話だと思います。またお金を儲けることが幸せという人もいると思います。

幸せとは何だろう?

自衛隊員の知り合いから面白い話を聞きました。
『高層ビルの最上階で飲む高級シャンパンよりも、真夏の夜の40km行軍を終えた後に飲むコーラのほうがおいしい』という話です。また野営訓練などで地面に雑魚寝をする機会が多いらしく、布団で寝ることが出来るのはとても幸せなことだといっていました。

お金があれば便利で快適な生活が送れたり、毎日おいしい物を食べられたりすると思います。しかしその生活にが基準になってしまうと、幸せを感じにくくなるのではないでしょうか。ちょっとした不便を取り入れると、何でもないことに幸せを感じたりするかもしれません。

『当たり前』だとか『普通』と思っていることを疑ってみるとまた違う景色が見えるかもしれません。


この文章は自分が楽しいと思い書いているものです。また書くことが楽しいと感じるうちは何か記事を公開していこうと思います。


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