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そのまま?


慣れたものに価値を見いだす軽率な私たちは
1度受け入れたものから離れることが苦手だ。


大きな部屋に席がたくさんあって、
「自由に座ってください」
と言われて1つの席に座る。
何気ないことのように思えるけど、これがきっかけとなり次来たときもだいたい同じ場所に座る。周りの景色もだいたい同じ。
みんなも前と同じ席につくのだ。


ご飯屋で前回と同じメニューを頼んだり
初めて行った場所から帰るときに来た道をそのまま辿ろうとしたり



1度体験したことには愛着が湧くのかな。

これは目に見えないものでも起きるようで
1度自分を無能だと思うとそう思い続ける。
1度アイツは出来損ないだと思うとそう思い続ける。
認識をアップデートすることはいつも難しい。


苦労してるな、不幸せだな、
自分にはこれぐらいが似合ってるとか
自分はこういう界隈の人間だとか
物事を諦める原因としてこれまでの環境や認識への慣れがある。
慣れるべきではないものはたくさんあって
自分が粗末に扱われるとか
他人が粗末に扱われているとか。
他を思いやる心のない場所で過ごす中
自分や他人を無条件に無価値だと思うことはひとつ残らず排除したい出来事である。


とはいえ長い間そうした慣れるべきでない環境に身を置いている人がいたとして、その異常さに気がつくのは至難の業だとは思う。
そもそも他を思いやる心のない場所を「異常」とする価値観も揺るがないものではなくて
そう思うことが正解ではないし
異常であるか否かの答えなどありはしない。



それでもそこで幸せという感情が発生しないなら良い場所ではないのだと提唱しています。
すっかり慣れてしまった環境や認識に気がついて、メスを入れることは難しい。
無意識にそれができることはごく稀だから意識していないといけない。


自分を無価値とすること
他人を馬鹿だと思うこと
居心地の悪さは運命のせいだと思うこと
その他にもたくさんありますけど
それらの根拠は?


看護師みたいなことを言ってしまったけど
自分が麻痺している感覚に気付いてその瞬間から何かが変わればいいな〜
仕方ないと思い続けていたことは仕方なくないかもしれない。
不可能だと思っていたことも不可能じゃないかも。

可能性は自分が見出しさえすればいつもあるのかもしれませんね、苦労は付き物ですけどね



そのままで本当に良いのか、、?

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