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悪ノリ

先日、急遽友達とライブに行くことになった。
決まったのはライブ前夜。
超突発的に超楽しみな予定ができて、瞬く間に思い出へと変わっていった。


今や私も大学4回生。
院進を決意した私の傍らで、就職活動に勤しむ仲間たち。友達Aとは同じアーティストのファンをやっている。

「今回のライブは就活に集中しなあかんからやめとく、」

数ヶ月前そう話すAを見て、お金もかかるし私も勉強しないといけないし、今回は見送りだな!とスッキリとした気持ちで今回のライブは諦めていたのだ。
チケットが完売しても、感動的な演出をされても後悔の念など大して湧かない状態を作っていたはず。


そんな中、事が起きたのはライブ前日。
最近まで体調を崩して会えていなかったAに会いたいねと話すと
「できたら明日のライブ行きたいと思ってるねん」
とAの体調と数ヶ月前の会話からは予測できるはずもないメッセージが送られてきた。

てっきり会場の偵察のことを言っているのかと思いきや、Aはまだ完売していないチケットを取って本公演に参戦しようと企んでいたのだ。
参戦どころかチケットが残っていることすら期待していなかった私にとってそれは非常に嬉しいハプニングであった。

当然翌日になんの予定も無かった私はもはやライブに行くことは決定したというような顔をしてチケットがまだ買えることを確認し、おもむろにグッズを取り出し、数日前にネイルを剥がした爪を可愛くしてもらった(姉に)。何を着ていくかも考え始めた。


結果的に、Aは体調も落ち着いたらしく行ける状況になったということで本格的に参戦できる運びとなった。ライブは非常に楽しかったです。(*^^*)


やらなければならないことがたくさんある中で出来ないことも増えていく。時間を生み出すために犠牲になる楽しさがある。
犠牲を払っているから物事が上手くいったときにもっと喜べるとか、そういうことは確かにある。とはいえ現実の目を盗んでなるべくその犠牲を少なくすることもまた生きる術なのだと思った。

楽しさがないなら頑張る意味が無いし
頑張っているのが、誰かに認めてもらうためでも羨ましがられるためでもなく人生謳歌のためなら、心して楽しい時間を作らないといけないのだと思う。
そうしないと生活を楽しむことはもっと難しくなる。

小学生がふざけてやるような、その後おそらく先生に怒られる遊びも意外と、大人の方が必要なのかもしれない。


とても良い思い出になったので、その楽しさの威力をもっと究極的なものにするために多少やりたくないことも頑張る、という精神で上手く生きてしまおう。


めちゃめちゃ楽しかった、Aにも感謝!!


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