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『履くぜ!カンフーシューズ』

「地面にはたくさん氣が流れている。この靴を履くことでそのチャクラを足から吸収できる。だからこの靴はとても薄く作られている」
「ホンマかいな…?」

人生で初めて「カンフーシューズ」に出会った瞬間である。
横浜中華街の怪しげな雑貨店で中国人の店主が言ったこの説明はあまりにも抽象的で、何よりカンフーをやったことがない身としては謎だった。少なくとも当時関西から出てきたばかりの世間知らずのぼくらを納得させるだけの説明ではなかった。だけどまあ履きやすそうだったし、せっかく横浜中華街に観光にきたのだから、という理由で結局その店でカンフーシューズを購入した。値段は1500円ぐらいだったような気がする。
そんなふうにして、ぼくは一足のカンフーシューズを手に入れた。

カンフーシューズは本当に薄く作られている不思議な靴だ。靴というよりも履き潰された上履きやサンダルといったほうが近いかもしれない。表面は布、または伸縮性のあるポリ素材のようなで出来ていて、靴底は種類にもよるけれど、よく流通しているものではガムソールを薄くおろしたような塩ビっぽいものが主流だと思う。本格的なものは集積された紙のような素材で作られている。ぼくの初代カンフーシューズは後者の素材で靴底が作られていた。そして生産は基本的に中国。まあカンフーの本場だから当然と言えば当然かもしれない。

カンフーシューズは値段こそ安いが、履き心地はとてもいい。
素足で履くことを前提に作られているので、そのまま履いてもいいし、靴下を履いて着用してもいい。このあたりがスニーカーと決定的に違う部分かもしれない。もうほとんどサンダルだ。靴そのものが軽く、そしてソールが異常と言ってもいいぐらいに薄いので、ものによっては裸足で外を歩いているような錯覚すら覚える爽快感を感じられる履き心地だ。

デメリットとしては、靴底が本当に、絶望的と言ってもいいぐらいに薄いことだ。薄いからこそ爽快感があるわけだが、裸足で外を歩くと足が痛くなるように、カンフーシューズで歩き続けていると足が普通に痛くなる。石や突起物をうっかり踏んだりしたときには本当に靴を履いているのかがわからなくなるほど痛い。体験したことはないが、たぶん車や自転車に足を轢かれたら絶対に骨が折れると思う。(ちなみにぼくは昔革靴を履いているときに車に足を轢かれたことがあるが、そのときは無事だった。)でもこれはカンフーシューズが悪いわけではなくて、そもそも武道用に作られている靴を日常生活で履いている人間が悪いのだと思う。カンフーシューズに罪はない。
そんな感じでカンフーシューズにはメリットとデメリットが表裏一体で混在しているが、なかなか素敵な靴だ。見た目も悪くないし、一足ぐらい持っていると日々が少し楽しくなる気もする。

チャクラの件はよくわからなかったものの、ぼくは横浜中華街で手に入れたカンフーシューズを気に入ってしばらく履いていた。ただ、ぼくのカンフーシューズは謎の本格仕様で表面が布、靴底が紙のようなもので出来ているタイプだったので、土砂降りの雨の日に誤って履いてしまい、靴としての構造が完全に崩壊したことによって処分せざるを得なくなった。
それから数年経ったあと、偶然カンフーシューズを見かけ、つい先日二代目を手に入れた。二代目は先代とは少し仕様が違って表面はポリ素材で靴底は塩ビ的な素材で出来ている。ただ、先代と変わらず絶望的にソールは薄べったい。そして何より他の靴では代替不可能な爽快感がある。

今日はそれを履いて近所の銭湯に出かけてきた。足元は軽く、どこまでも歩けそうな気がしたが、歩きすぎると足が痛くなるので気をつけないといけない。でも明日はそれを履いて新宿に映画をみにいくつもりだ。もし新宿でカンフーシューズを履いている人間を見かけたら、それはぼくかもしれません。そしてぼくらの足元には、膨大なチャクラが流れているのかもしれません。

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