海族と鹿
海族を、山にお迎えした。
海洋冒険家にして、葦船航海士の石川仁。
自らを“海族”と名乗る。
彼が造り、操るのは
人類最古の船とも言われる、葦船だ。
エジプトの壁画に描かれ、
イースター島のモアイ像に刻まれ、
日本では古事記に記され、
南米チチカカ湖の上には今も浮かび、
現役で活躍している。
河原や湿地に生える葦を刈って束ねるだけで
全長30メートルにもなる巨大な船を作り、
世界中の海13,000キロ以上を渡ってきた仁さんだが、
本人曰く、葦船の操作性は全く宜しくない。
横風に流され、向かい風にはバックしてしまう。
帆を上げるのは追い風が吹いた時だけで、
人間がコントロールできることはごく僅か。
旅は航海よりむしろ漂流に近い。
更には、海に浮かべたその日から、
毎日数ミリ、1センチ、と沈んでいくというから驚きだ。
しかし、船底にはすぐに海藻や小魚がつき、
それを狙ってシイラやマグロなどの大型回遊魚が集まる。
いわば海をゆく漁礁。
直進性は悪いが、餓死の心配は無い、という風変わりな船だ。
陸地に辿り着く頃には船体はボロボロで腐っていくが、
同時に芽吹く葦もある。
たまたま条件が良ければ、
そこは数十年・数百年の後に広大な葦原となる。
すると人はまた新しい葦船を作り、
新天地を目指して大海原へと漕ぎ出す。
葦船は、自己再生する船。
人類はこの最強の移動手段を得たことで
地球上に分布を広げてきた。
前述のように、エジプトから日本まで
世界各地の壁画や神話に葦船が登場することが
それを物語っている。
仁さんの話は何度聞いても、途轍もなく面白く、
感動と発見に満ちている。
赤道無風地帯に入ると船は全く動かなくなり
大海原は完璧な鏡となる。
昼間、その広大な鏡が青空を映すと、
葦船は空に浮揚しているように見え、
満天の星空を映せば、葦船は銀河を漂う宇宙船となる。
音もなく、時間の感覚がなくなり、
今が21世紀なのか縄文時代なのかも曖昧となる。
航海が始まって2ヶ月半が経ったある日。
突然、船体を束ねていたロープが切れ始める。
水を含んだ船体が少しずつ膨張していく力に
ロープが耐えられなくなったのだ。
このままでは船はバラバラになってしまう。
一番近い島までは、1,000キロ以上。
しかもその一点に辿り着く確率は限りなく低い。
誰もが絶望するであろうこの状況下、
仁さんをはじめとする乗組員は
なんと、船を真っ二つに割る、という判断を下す。
傷みの激しかった、船体の前半分を洋上で切り捨て、
後ろ半分に小屋と帆と舵を全て載せ替える。
巨大な帆船が、みすぼらしい筏になっても航海は続く。
程なく、舵も波にさらわれる。
ただでさえ操作性の悪い葦船。
絶体絶命の大ピンチだ。
ところがなぜか、全員が生還する。
乗組員全員が、超自然の大いなる力に触れたという。
事実は小説よりも奇なり。
この信じられないような奇跡の詳細については
是非、講演会やワークショップで
仁さん本人から聞いていただきたい。
最初に設定した場所がゴールではなく、
たどり着いたところこそが本当のゴール。
そしてどこであろうと、
生きて陸地に上がればそれこそが大成功。
問われるのは学歴でも経済力でもなく
人間としての底力であり、
自然と溶け合う能力。
仁さんが語るのは、単なる航海の話ではない。
葦船の旅は、人生の旅そのものだから。
その仁さんが、狩猟を体験したい、と
長崎からわざわざ北海道に来てくれた。
これまで幾度となく狩猟の話はしていて、
私が獲った鹿肉や熊肉を送ったりもしていた。
狩猟を通じて自然と繋がる感覚についても、
仁さんが誰よりも心の深い階層で理解してくれていると感じていた。
渓流釣りにお連れしたこともあるが、
鹿を追うのは初めて。
今回は、絶対に獲りたい。
日本海沿いの猟場。
雪は深い。
二人でスノーシューを履き、歩き出す。
高確率で鹿に遭遇する最初のポイントを慎重に覗く。
すると、いきなり、いた。
距離も100メートルを切っている。
絶好のチャンスだが、立ち位置が悪かった。
積雪が増えると、鹿は雪の吹き飛ぶ崖の際を歩くようになる。
撃たれた鹿が少しでも走れば、
崖から真っ逆さまに落ちていってしまうだろう。
海岸まで落ちれば、標高差は100メートルを超えることは
去年実際に回収した経験から分かっているし、
肉を全て持ち帰るのは到底無理だ。
「残念ですが、コイツは回収できそうにないんで撃ちません」
と仁さんに告げる。
悠然と走り去る鹿を追うように森に分け入る。
甲高い警戒音が響く。
やはり、既に警戒されてしまっているようだ。
ところが今度は少し緩やかな崖の下から、また一頭が現れた。
距離は50メートルを切っている。
咄嗟に銃を構える。
その場で潰れてくれれば、手こずりはするが回収は可能だ。
しかし、もし大きく跳ねられたら。
海に転落する可能性は否めない。
どうしても獲りたい気持ちを必死に抑え、見送る。
安易に引き金を引けない理由があった。
実は、仁さんとの猟は、失敗から始まっていたのだ。
二日前。
必勝を期すため、誰も入っていない山を歩きたいと思い、
平日に会社を休んで出かけた太平洋側の猟場。
いきなり遭遇したのは、
車で先に入っていたハンターに撃たれた雄鹿の遺体だった。
腹を撃たれて胃の内容物が林道に散乱している。
下に転げ落ちたところを、
左の腿だけを雑に切り取られていた。
仁さんの表情が凍りついている。
最悪のファーストコンタクト。
車なのだから楽に回収できたであろうに
いい加減なところを撃って殺した挙句、
きちんと食べようともしない。
あまりに失礼で可哀想だ。
撃たれてすぐなら私が解体し直すところだが
しばらく時間が経ってしまっており、
弾の当たりどころが悪く、血抜きもされていないため
合掌して先に進んだ。
かなり奥に入ったところで、ようやく寝ている鹿を見つけた。
少々距離は遠いが、いける、と踏んだ。
安定した姿勢をとり、ゆっくりと狙いを定める。
鹿がこちらに気付き、立ち上がった。
でもまだ、大丈夫だ。
狙いを少し上に修正し、ブレが起きないよう
普段よりゆっくりと引き金を引く。
同時に、鹿が飛び上がって逃げ出した。
轟音が後から追いかける。
あと半秒、止まっていてくれたら良かったのに。
一旦は猛然と稜線を駆け上がった鹿が
今度は斜面を降りていく。
そして谷底で足を取られたのか、一度動きが止まった。
もしかして仕留めたのだろうか。
しかし鹿は再び立ち上がり姿を消していった。
苦労して斜面を進んでくと、血痕を見つけた。
あまり多くはなく、色は鮮やかだ。
内臓に入っていれば、もっと血の色が濃い。
だからといって、諦めるのはハンター失格だ。
怪我をしていればどこかで追いつける可能性もある。
追跡を開始した。
雪が深いからか、鹿は沢の中を駆け下っている。
血の跡は極めて追いにくい。
沢沿いにわずかに散った赤い飛沫を頼りに歩いていく。
小さな谷を下りきり、川の本流に出る。
川幅は20メートルほどか。
水量は大したことはないが、長靴が水没しないかは微妙だ。
スノーシューを脱ぎ、慎重に渡る。
仁さんは文句も言わずに付いてきたが、
実は案の定、長靴が水没し、
靴下がグチャグチャになっていたことが
後で判明した。
川を渡り終えた後も、鹿の足跡はまだ
走る勢いが衰えていないことを物語る。
人間なら両手を使わないと登れない急坂を
苦もなく駆け上がっている。
出血も少なくなっている。
ほぼ真正面から撃っているので、
弾は脇腹か尻を切り裂いただけのように思える。
何度も入っている猟場だが、
どんどん追いかけるうちに、
私でさえ初めて入る山奥にまで来ていた。
そこにあったのは多数の鹿の寝床。
胴体サイズの窪みが、斜面にいくつも並ぶ。
驚いた。
こんなにも、いたのだ。
鹿が寝たために体温で雪が溶け、
更にそれが凍ってツルツルになっている。
鹿の血痕を追いながら、
手負いになりながらも川を越え斜面を駆け上がる
野生動物の生命力を噛み締めてきた仁さん。
鹿が身一つで、雪の上で腹ばいになって寝ることにも
驚いていた。
砂漠から極地まで、野宿の経験が豊富な仁さんだからこそ
その底力を実感できるのだろう。
追っても追っても、追いつかない。
日没まで2時間を切ったところで追跡を断念した。
これ以上奥に行くと、
帰り道で何かあった場合に危険だ。
痛く苦しい思いだけをさせて
結局仕留められなかった非礼を鹿に詫び、
長い帰路に着く。
「猟果よりも、鹿の底力を体感できたことこそが収穫」と
仁さんは言ってくれた。
本心ではあるだろうが、私にはやはり深い悔いが残った。
再び話を、日本海を望む崖に戻す。
撃てない鹿ばかりだからといって腐らず、
実直に山を歩くのが
狩猟のあるべき姿だと信じている。
今日も、その心がブレることがあってはならない。
そう思って歩いていると、
不意に、正面に鹿が立ち上がった。
小さい。
子供だ。
瞬時に膝を付き、銃を構えると目線が低くなり、
見えるのは首から上だけとなった。
的が小さい。
しかしここなら、鹿が海まで落ちることはないだろう。
ようやく出会った、撃てる鹿だ。
左手にストラップを通していたストックを短く畳み、
銃の先台を載せる。
こうすると格段にブレが抑えられる。
スコープから見る子鹿は
大きな瞳でこちらをじっと見ている。
動く気配はない。
大丈夫、獲れる。
いただきます、と念じながら撃つ。
その場で昏倒し、脚が痙攣しているのが見えた。
突き上げるような喜びを感じる。
急に崖の下から一回り大きな鹿が現れた。
母親だ。
銃声に驚いて上がってきたのだろう。
私に気づいてフリーズする。
絶好のポジション。
しかし、撃ちはしない。
母親から先に撃った場合は子供も仕留めるが、
今回はそうではない。
肉も、子鹿一頭分あれば十分だ。
キャン、と叫んで駆け出す母鹿を見送りながら、
辛い思いをさせてしまったね、
お前の子供は必ず美味しい肉にするからな、と
心の中で話しかける。
数十メートル後ろから、全てを見ていた仁さんを呼び、
倒れている鹿に駆け寄る。
まずは血抜きだ。
首の根元からナイフを深く入れてもらう。
噴き出す血潮を手で受け止めてもらい、
湯のような熱さを感じていただいく。
仁さんはサバイバル経験が豊富なだけあり、
初めての体験にも拘らず、的確に血抜きの作業を進めていた。
とりあえず、迅速さを求められる行程を終え、
私が鹿を吊るす準備に入ったところで異変が起きた。
グスングスンと、鼻をすする音が聞こえる。
子鹿の隣でうずくまっている仁さん。
子鹿と自分の命が溶け合い、重なっていくの感じていたという。
「この気持ちを絶対に忘れちゃダメだよな」と頭をさすっていた。
インディアンの師匠、キースの教えがある。
「一旦獲ったら、そこからは喜び。悲しむのは獲物に失礼だ。」
仁さんにも前からその話はしていた。
なので涙が出た時は、ここで泣いてはいけない、
と少々焦ったそうだ。
しかしそれはきっと悲しみの涙ではない。
子鹿が仁さんの中で風を吹かせ、大きな波を起こし、
心の中の海が溢れてきたのだろう。
仁さんの涙は止まらない。
眼下に広がるのは広大な冬の海。
「よし、一緒に海を渡ろうな」
仁さんと子鹿の間に、誓いが交わされた。
死とは一体なんなのだろうか。
自分勝手な考えではあるが、
それは解放であり、自由になる、ということにも思える。
子鹿に宿っていた好奇心が、
仁さんを次の乗り物に選んだのだろうか。
この子鹿の肉と魂は
仁さんのそれと同化し、
近い将来、新天地を求め、
共に命懸けで海を渡るのだ。
鹿の頭を撫でながら海を眺めている仁さん。
その後ろ姿を見ながら、
二人がこれから紡ぎ出すであろう、
無数の新たな冒険の物語に思いを馳せた。
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