明日を連れてくるツバメ
「今日と明日の境目がどこにあるかご存じですか」
わたしが妙な紳士にそう話しかけられたのは、夕刻の路地裏だった。
“彼は誰時”と言われるほど、ただでさえすれ違う人の顔も判別しづらい時間帯。しかもその紳士は西日を背に立っており、つまり向かい合うわたしからすればものすごい逆光でもあり、シルクハットを被った上背のあるシルエット以外何もわからなかった。声とそのシルエット、そして唐突に話しかけられた言葉で、わたしは彼を妙な紳士だと思った。
はじめはわたしに問いかけているのかもわからなかった。視線が見えないというのもなんともミステリアスなものだ。
そしてあたりを見渡して他に人がいないのを確認したときにはもう、聞こえないふりをして通りすぎるタイミングを逃していた。
「……今日と明日の境目、ですか?」
おそるおそるわたしは答える。
「そうです。実は、今日を明日へと切り替えるのは、1羽のツバメの仕事なんですよ」
そう言って妙な紳士は、妙なツバメの話を語り出した。
なぜわたしがその話を聞く気になったのかは、自分でもよくわからなかった。でも気づけばわたしはその紳士の話に耳を傾けていた。
*
この地球上には、肉眼では確認できないほどにそれはもう大きな大きな一冊の本があります。
というより、地球自体がほんとうは一冊の本の形をしているのです。私たちが暮らしているのは、いわばそのページの上。飛び出す絵本の、飛び出した仕掛けの部分が私たちなのです。
地球は球体だって?
そんな説もあるようですが、ほんとうは違うのです。だって、考えてもみてください。地球が球体で、同じ軌道をくるくると回りつづけているのなら、なぜ時間は繰り返さないのでしょう。進むばかりで戻ることも繰り返すこともない、1本の紐のような時間。
それというのも、そもそも地球が球体ではなく、巨大な飛び出す絵本の形をしているからなのですよ。
1日1日ページはめくられ、朝から夜へ、ゆっくり進んでゆく。太陽は、あれは栞のようなものです。今どこまでお話が進んだか、私たちに教えてくれるのです。
そしてね。
その巨大なページをめくっているのは、1羽のツバメなんです。
ページの端をついばんで、ゆっくりめくると、世界は次のページへ進む。今日が昨日になり、明日が今日になる。物語はそうやって進んでいく。
昔からずっとそうやって、ただ淡々とページをめくるために生まれたツバメがいるんです。
なぜツバメなのか、それは誰にもわかりません。栞を挟まれたまま止まってしまった時間にうんざりしたのかもしれません。誰かがページをめくらないと、物語は進みませんからね。
とにかく世界はそうやって、今日もゆっくり時間はうしろに送られていくのです。
まあ、世界の真理がどうだって、もちろんあなたは生きていけますけれどね。そんなツバメがいるということを、知っていても特に不具合はないと思いまして、こうして声をかけさせていただいたのです。
では、わたしはこれにて失礼します。
*
ひととおり話し終えると、話しかけてきたときと同じくらい唐突に、その紳士は一礼してわたしの脇を通り去っていった。
呆気にとられて言葉も出なかった。すべてのことについて理解が追いつかない。なんだったんだ、今のは。
日はすでに落ちかけて、強い西日はその力をかなり弱めている。
振り返ると夜はひたひたとすぐそこまで迫っており、燕尾服に身をつつんだ紳士が、今まさにその夜へと向かって飛び立ったところだった。
***
開かれた本のページをついばんでツバメが今日から明日へとめくる
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