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陶器製のバレリーナ

両腕を高く反らせ、円をつくるみたいに指先を近づける。

爪先だけで全体重を支える左脚。ピンと後ろに蹴り上げた右脚の先は欠けて、白くざらついた断面が剥き出しになっている。

オルゴール人形として生まれたからには、誰かにネジを回してもらわないことには、わたしはクルクルと回ることさえできない。

頭から埃をかぶり、倉庫の奥で姿勢を保ちつづける。欠けた右脚のちょうど真下あたりにあるはずのネジは、見なくてもわかる、すっかり錆びついていた。果たして回してもらったところで、もう音が鳴るのかどうかもわからない。

倉庫の奥にしまいこまれて、ひとつ良かったことがあるとすれば、この棚の位置だろうか。窓際だから、すりガラス越しに日が差し込んで、昼間はさびしくない。ときどき鳥の声や影も見えるし、裏庭の木の枝が風に揺れるのもわかる。

倉庫の仲間たちが言うにはここは廃墟、らしい。

かつては仲のよい家族が住んでいて、バレエの上手な次女へのクリスマスプレゼントとしてわたしはここへやってきた。

でもあるとき突然わたしたちはまとめてこの部屋へ追いやられ、それを境にふつりと足音が消えた。時間の感覚がぼやけるほどに昔のことだ。

どんな事情にしても、たしかにもうここには誰も住んでいないのだろう。

だけど、今でも耳を澄ませて階段を登る足音を期待しているのは、わたしだけじゃないはずだ。

すりガラス越しのやわらかな光に舞う、ビーズみたいなちり。音のない時間は永遠にも一瞬にも思える。

そのとき、かたん、と小さな音がした。この家の中、階段の下だ。

その後しばらくためらうような沈黙があり、かたん、かたん、と音は階段をのぼりはじめた。誰か来る。家族が帰ってきたのかもしれない。

誰も何も言わないけれど、にわかに倉庫の中ははちきれそうなほどの期待と喜びにつつまれた。色のはげた木馬も、シンバルを持った猿のぬいぐるみも、そわそわとしているのをうまくごまかせてはいなかった。きっとわたしも同じだっただろう。

倉庫の扉が開く。そこにいたのは見たことのない少女だった。

今にも泣き出しそうに顔をぐしゃっとゆがめて、この部屋の様子をうかがっている。

しばらくきょろきょろと部屋を眺めると、どうやら気持ちが固まったらしく、彼女はゆがめた顔をさらに引きつらせて

「ママァ〜〜〜〜〜〜」

と大きな声で泣き出した。

大変、この子は迷子だ。うっかりここへきちゃったんだ。

倉庫の中はあわや大惨事。おろおろすることしかできずに見守る古びたおもちゃたち。

彼女は泣き止むどころか、さらにその声を高らかに張り上げて泣き喚いた。

そのときだった。シャーン、と、シンバルの音がした。

彼女はぴたっと泣き止むと、その音の鳴る方を見た。わたしたちもそちらへ視線を送る。

ねじ回し式の猿のぬいぐるみが、自分の力でシンバルを鳴らして見せたのだった。

シャーン、シャーン。決してなめらかではないものの、ぎこちなく、それでも力強く、彼はシンバルを叩きつづけた。

泣き止んだ仕草のままその様子を眺めていた少女の顔には、みるみるうちに笑顔が広がっていった。

「わあ!」

嬉しそうに猿のぬいぐるみへと駆け寄ると、手に取る。

それをきっかけにしたかのように、倉庫の中にしまわれたままのおもちゃたちが一斉に動き出した。

木馬はぎしぎしと前後に揺れ、ルーレットは回りだす。クリスマスのオーナメントは隊列を組んで行進をはじめ、電飾はいろいろな色に光りだす。

埃に埋もれて灰色だった倉庫が、息を吹き返したかのように本来持っていた色に染まり、そこは少女ひとりのためのサーカスへと姿を変えた。

わたしも、精一杯の力で、錆びついた体を動かした。

ぎ、ぎ、ぎ、と不快な音をさせながらもネジを回し切ると、その音からは想像もつかないような音色が流れた。よかった、オルゴールはまだ壊れていない。そして陶器の体がメロディーに合わせて踊り出す。喜びが炎となって身体中を燃やし尽くす。

ああ、わたし今、踊っている。感動に体がふるえた。

少女は音に気がつくと、他のおもちゃで遊んでいた手を止め、まっすぐにわたしを見つめた。

その目の奥には興味とかすかな緊張が見て取れた。もう他のおもちゃは目に入っていないというくらい、彼女はわたしだけを見ながらゆっくりと部屋の奥へと歩いてきた。

そしてその手がすっと伸び、棚の上のわたしへと触れるその瞬間……

「こんなところにいたの!」

「あ、ママァ!」

瞬間的に部屋のありとあらゆるものたちがその動きを止めた。

部屋の入り口には女性が立っていた。散々少女を探し回ったことを示すように、髪が乱れていて呼吸も荒い。

少女は振り返ると、一目散にその腕の中へ駆け出した。彼女が伸ばした指の先のわずかな熱だけが、わたしの欠けた右脚の先に残る。

少女の母は少女を連れ、開いた扉もそのままに家を出ていった。

部屋にはサーカスの余韻だけが残された。舞い上がった埃が雪のように降る中で、おもちゃたちはそれぞれに、束の間の喜びを何度も胸の内で反芻させるのだった。


***

鳴ることを忘れたオルゴールの代わり歌う陶器製のバレリーナ

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