5時限目の空
先生に見えない角度であくびをすると、黒板の文字がにじんで読めなくなった。春の5限はねむくて、空が青くて、永遠だなって思う。そう思いながら、窓の外を見る。
窓際の席でよかった。
ここが現実と切り離された場所だということを、窓の外の景色はいつでも教えてくれる。犬を連れて散歩する人。スーツを着て腕時計を覗き込みながら歩く人。自転車に驚いて羽ばたく鳩。風がふけば、人も草も花も鳥も、みんなおなじく右へなびく。
黒板にどんなにわけのわからない文字の羅列が記されていても、こっちが現実なんだと思うと安心した。
きぃん、と、音にならない耳鳴りがして、重力の圧が少し強くなる。空の、距離感もわからないくらい遠く高いところを飛んでゆく旅客機。体に及ぼされるそのわずかな影響。
旅客機には、飛行機雲がなかった。
別にそれが、めずらしいことじゃないのはわかっていた。でも、なんだかとてもハリボテのように思えた。空が青すぎるから余計にそう感じたのかもしれない。影がない人のような、現実だけど、本物じゃないみたいな不思議なかんじ。
そう思ってもう一度見下ろすと、散歩する人にも犬にも、鳩にもみんな影がなかった。
あれ、やっぱりハリボテなんだ。
まどろんだ体を少し硬くさせながら、そう思った。さっきまでの安心感は消え、教室の中と窓の外、急にどっちが現実なのかわからなくなった。
「どっちも夢だよ」
どこかからそんな声が聞こえる。頭の中から聞こえたような気もする。
そうか、どっちも夢なのか。
そう答える。それなら仕方がないという気がする。
前方からはしきりに白いチョークが黒板を叩く音がする。書き連ねられる単語の数々。それが何を意味しているのかわからない。やがてそれは言葉ですらない記号となって黒板を埋め尽くす。
いつの間にか教室からは生徒たちがいなくなっていた。たったガラス1枚隔ただけの窓の向こう側から青空が流れ込んでくる。ぐにゃりと変形した木や鳥や旅客機が溶けるように教室中をひたす。
ああこれも、窓の外がハリボテだと気づいてしまったせいだ。
夢と現実の境目が、どんどんあいまいになってゆく。
「吉川さん」
耳元でささやかれた声にはっと飛び起きた。
「もうすぐ授業終わるから、あとちょっと辛抱してね」
振り向きくすくす忍び笑う声。生徒たちはみんな自分の席に座っていて、黒板に書いてある英単語もちゃんと理解できる。
ああ、ほんとに、夢だったんだ。
わたしは気を取り直すように大きく深呼吸をすると、今日一度も開かれた形跡のないノートと教科書を開く。
やっぱりこれが、わたしの現実なんだ。
シャーペンを押し出すわたしの横、窓の外を、雲のない飛行機が横切ってゆく。
***
ひこうきがひこうき雲を残さずに飛んでゆくから、ああこれは夢
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