ドーナツの穴を食べる方法

双子の兄妹ルカとリッカは、ときどきけんかもするけれど、とても仲のよい兄妹です。

ある日ふたりは、おやつに揚げたてのドーナツを食べていました。黄金色のドーナツはふたりのお母さんの手作りで、それはそれはふわふわなので、ふたりのとっておきの好物なのでした。

ところが、しあわせそうに食べていた妹のリッカの表情が、徐々に暗くなっていきました。

しまいにはぱたりと食べるのをやめ、こぼれる寸前まで目に涙を浮かべて

「リッカのドーナツの穴は誰が食べちゃったの?」と呟きました。

兄のルカは、それを聞いてはっとして自分の手に持っているドーナツを見ると、たしかに真ん中がぽっかり空いていて、覗きこむと、向こう側で泣きべそをかいているリッカがよく見えるのでした。

「ルカがリッカのドーナツの穴、食べたの?」

「違うよ、ほら、ぼくのも真ん中がないんだよ」

「じゃあ、ドーナツの穴はどこにあるの?」

「もしかしたら、ドーナツの穴だけが集められた場所があるのかもしれない。だって見てみて。これも、これも、ここにあるドーナツはみんな真ん中だけないんだよ。だからきっと、真ん中のとこだけが住んでいるドーナツの穴だけの国があるんだよ」

「ねえ、リッカ、そこに行きたい。ドーナツの穴を食べたい」

そうしてふたりは、ドーナツの穴の国を探しにいくことにしました。

お母さんは、「夕ご飯までには戻ってくるのよ」と言って、残ったドーナツと水筒をリュックサックにつめてくれました。

5月の風はすきとおっていて、家のそばを流れる川の水面はチリリとお日様の光を反射していました。知らない場所を探しにいくのにはうってつけのお天気。ふたりは手をつないで歌いながら歩きはじめました。

ところがすぐに、どこへ行けばその「ドーナツの穴の国」があるのか、検討もつかないことに気づきました。

「どうしよう、リッカ」

「どうしようね、ルカ」

「この川沿いを、のぼっていくか、くだるか」

「川を渡って奥の森に入っていく手もある」

意見がまとまらずに立ち止まっていると、目の前の穴からサングラスをかけたもぐらが出てきました。

「よう、何を困ってるんだいおふたりさん」

「ああ、もぐら、いいところに!実はね」

ふたりはかわるがわる訳を説明しました。もぐらは地下にものすごく入り組んだネットワークを持っています。地上のことはわからなくても、土地の事情には誰よりも詳しいのです。きっとドーナツの穴の国のことも知っているに違いないのです。

「ほうほう、ドーナツの穴の国ねえ。もしかしたらあれのことかしら」

さすが、もぐらは何か心当たりがあるようでした。

「この川をずーっとくだったところに、外側のない真ん中だけの猫、マンナカネコが住んでるんだよ。そいつがこの世界中の“真ん中”を集めてるって話さ。ドーナツの穴たちも、きっとそこにいるんじゃないか」

「真ん中だけの猫ってどういうこと?」

「そいつは俺にもわからない。なんせ地上には出られないから」

ふたりはもぐらにお礼を言って、また歩きはじめました。

透明な川はふたりの歩幅に合わせるようにゆるやかに流れ、魚たちは競うように泳いでゆきます。

ルカは、拾った木の枝を川に浸しながら歩きました。すると水面がうねうねと波打ってそれに応えます。水草が絡んで重くなったり、川の流れに乗って左右に揺れたり、いつまでも飽きないのでした。

「リッカ、ぼく歌をつくったよ」

「なんの歌?」

「はじけなかったポップコーンのためのセレナーデ」

「へえ」

「ひとつはじけてお日様のにおい

ふたつはじけてミツバチのいろ

はじけなかったポップコーンは

今もコンロのうらがわに」

「わあ、すてきだ」

それからふたりで、はじけなかったポップコーンのためのセレナーデをうたいながら歩いていますと、とつぜん後ろから声をかけられました。

「あのう・・・、ルカさんとリッカさんですか?」

振り返ると、そこにいたのはレンコンでした。そわそわと落ち着かない表情をしています。

「あ、レンコンだ」

「そうだよ、ぼくがルカでこっちがリッカ。どうしたの?」

「実はおふたりがドーナツの真ん中を探しているという噂を聞いたものですから。あの、もしよろしければ、わたくしも仲間に入れていただけませんか?」

「なんとなく理由はわかる気がするけど、どうして?」

「はあ、その、わたくしもドーナツと同じく、穴がたくさん空いております。それがどうも、風を通してスースーして、落ち着かないのです。ドーナツの穴がある場所には、きっとレンコンの穴もあるんじゃないかと、そう思うわけで」

「ぼくたちはこれからマンナカネコに会いに行くんだ。そこに行けば何かわかるかもしれない。一緒に行こう」

こうしてルカとリッカは、レンコンと一緒にドーナツの穴を探すことにしました。

道すがら、レンコンは、自分の生い立ちを語って聞かせました。

7人兄弟の長男に生まれたために、幼いうちから下の子たちの世話をし続けて、自分の自由というものが一切なかったこと。つい最近ようやく一番下の子がひとり立ちをしたので、自分の時間を持てるようになったこと。喜んだのも束の間、生まれて初めての自由に、何をしていいものかわからなくなってしまったこと。時間を持て余しているうちに、自分の穴の存在が気になりだしてしまったこと。

「忙しいときには穴のことなんか考えたこともなかったんですがねえ。・・・わたくしのアイデンティティってなんなんでしょう」

「ふうん、苦労してるのね」

そのままさらに歩いていくと、遠くの川沿いに、ばらの垣根に囲まれた小さなお城のようなものが見えてきました。

「すごーいすごーい!あれだわ、きっと、もぐらが言っていたマンナカネコのお城なんだわ!」

嬉しさのあまりリッカはルカの手を離し、走り出しました。

ところが、近づいてみると、そのお城は遠くから見ていた印象とは違いました。不安そうに振り返るリッカにようやく追いついたルカとレンコンも、不思議な気持ちになってしまいました。

ばらの垣根だと思っていたものは、たしかにお城をぐるりと囲んではいたものの、その内側までぎっしりとばらの葉と花で埋まっていて、どこにも入り口のないキューブのような形をしていました。そしてその中心から突き出すようににょきっと生えたお城も、よく見ると入り口や窓が見当たらず、どこから入ればいいのかわからないのでした。

「あら、お客様なのかしら」

そのとき、お城の後ろから声がしました。

垣根の角から出てきたのは、毛並みの綺麗な白い猫でした。もしかしてこれがマンナカネコ?とふたりは思いましたが、どこからどう見ても、普通の白い猫でした。

「あの、ぼくたち、マンナカネコを、というかドーナツの穴を探していまして」

「ふふん、いかにもあたしがマンナカネコよ」

「あれ?もぐらが言うには、外側がない、真ん中だけの猫ってことだったけど」と、リッカ。

「みんなが猫だと思っているこの姿は、本当は“猫の真ん中”の部分なのよ。まあ、猫の外側は誰も見たことがないんだけれど」

「誰も見たことがないのに、外側があるってどうしてわかるのさ」と、ルカ。

「あなただって、ドーナツの真ん中を見たことがないのに、“ドーナツには真ん中がある”ってわかるでしょ。それとおんなじことよ」

「うーん、なんだかこんがらがりそうだ」

ルカはすっかり頭を抱えてしまいました。

「それよりもマンナカネコさん、世界じゅうの“真ん中”を集めているの?」


「そうよ、たとえばこの、あたしのお城。これはね、“垣根の真ん中”と、“お城の真ん中”でできているの」

なるほど、言われてみると、不思議な形のこの建物は、普段目にしている垣根やお城の内側の部分、つまり、“真ん中”をかたどっているらしいのでした。

「リコーダーの真ん中やしゃぼん玉の真ん中、他にも、世界じゅうからたくさんの真ん中を集めているの。あたしのコレクション、ちょっと見てみる?」

リッカとルカが頷くと、マンナカネコはぐるりと垣根を回った反対側にみんなを連れていきました。ショーケースに綺麗に並べられたありとあらゆるものの“真ん中”が、そこにはありました。

パッと見ただけではなんだかわからないものもありましたが、それぞれの“真ん中”にはそれぞれネームプレートがついていて、『ちくわの真ん中』、『ダンボールの真ん中』と律儀に書いてあるのでした。

ただ、ドーナツの真ん中は見当たりませんでした。

「どうして真ん中を集めているの?」

と、リッカが聞くと、マンナカネコは緑色の目をぐるぐるとさせながら答えました。

「あのね、神羅万象すべてのものごとは、真ん中にこそ本質があるの。真ん中が欠けているものなんて、どんなにそっくりに見えたところでただのレプリカなんだから。あたしは、この世界の本質を手に入れたいのよ」

ルカは、それでもやっぱり中に入れないお城に住むのは大変そうだと思いながら、しげしげとお城を眺めました。

「あのう・・・」

そのとき、おずおずと声がしました。

振り返ると、レンコンが憔悴しきった表情をしていました。

「今の言葉は、本当なのでしょうか」

「どれのこと?」

マンナカネコが、きょとんとした顔で聞き返します。

「つまり、その、真ん中が欠けているものはぜんぶレプリカだっていう・・・」

「そうよ」

「じゃあ、わたくしはしょせん、未完成の存在ということなんでしょうか・・・」

そう言ってがっくりとしゃがみ込んだことで、レンコンの頭に開いた穴々が見えました。それを見るなりマンナカネコは、叫び出しそうになるのをこらえるように両手で口元を押さえました。まんまるに見開いた目は次第にうるうると涙でにじんでゆき、それがようやく落ち着いてくるとショーケースの中から何かを持ってきてレンコンに差し出しました。

「これ、あなたの真ん中じゃない?」

それはたしかに、長さも形もちょうどレンコンの穴にぴったりはまりそうな、いくつかの棒状のものでした。

「真ん中は、外側と合わさることで完璧な存在になる。あたしは、あたしのコレクションの真ん中たちとぴったり合う外側が現れるのを待っていたの。ねえ、これ、受け取ってくれる?」

マンナカネコは、かみしめるようにゆっくりと言いました。

「これが・・・わたくしの真ん中・・・?」

レンコンはごくりと喉を鳴らすと、手渡された“レンコンの真ん中”を、頭から自分の穴にひとつひとつ差し込んでいきました。

そして、すべてはめ込むと、ぱあっとレンコンが光りだしました。

「うわあ、変身するの?」

あまりのまぶしさに、3人は目をつぶりました。

光が落ち着いてきたころ目を開けるとそこに立っていたのは、穴がふさがり、そしてなぜかステンレスのようにつやつやした光沢を放つレンコンでした。

「うわあ、レンコンつるつる!かっこいい!!」

ルカもリッカも大興奮で駆けよりました。

マンナカネコは、感極まって声も出せず、その場に立ち尽くしていました。

「ねえ、レンコン、完璧ってどんな気持ち?」

リッカが目をきらきらさせて聞くと、

「ナニカネ?」

と、メタリックな声が返ってきました。

「あれ、レンコン、声が変だよ?」

「ワタクシは完璧ナノだ。変ナハズガなイ」

穴をふさがれたことでレンコンは、声や人格まで機械のように隙がなくなりました。そして、急に何かに気づいたようにはっとしたかと思うと

「アアッ、立チ位置が完璧ジャなイゾ!時計回リ二15.6度、北北西に2.1歩」

とぶつぶつ呟きながら、自分の居場所を細かく調整しはじめました。3人はあぜんとしてその様子を眺めていました。

「まじか・・・」

マンナカネコが、ボソっと呟きました。

「ン?ソノ言葉は正シクなイな。完璧な日本語ヲ使ウなラバ、“本気か”ダロウ」

困惑がキャパシティを超えたマンナカネコは、しばらく立ちすくんでいたかと思うと、おもむろに川まで歩いて行き、狙いを定めて鋭い爪で川魚をつかむと、その場でむしゃむしゃと食べて、おなかいっぱいになって戻ってきました。

そして、意を決したように言いました。

「あたし、前の方が好きだ」

この言葉にはルカもリッカもうなずきました。完璧であることと、それが好きかどうかというのはまったく違うものなのだなあ、と3人は思いました。

まだ自分の立ち位置が気になっているレンコンに気づかれないように、そっと背後に回り込み、3人はせーので“レンコンの真ん中”を抜きました。

その瞬間またあたりが光に包まれ、その光が落ち着くと、そこには元の所在なさげなレンコンが立っていました。

「はっ!わ、わたくしは今なにを・・・?」

「あなたのこと、レプリカだなんて言っちゃってごめんなさい。あなたはあなたのままでいてくれた方がいいわ」

「どういうことでしょう、あの、わたくしの真ん中は」

「いいのいいの。あなたはそのままがいちばんよ」

そう言って肩をぽんぽんと叩くと、マンナカネコは清々しい表情で“レンコンの真ん中”をショーケースの中に戻しました。

レンコンは不思議そうな表情をしていましたが、そのままでいいと言われたことがじわじわと響いたのか、

「なんだかわかりませんが、穴があいていても私は私ということですね!」

と結論づけました。

「やあ、めでたしめでたしだね」

元のレンコンに戻って、ルカもほっと一安心です。

「じゃあ、ぼくたちは帰ろうか」

「ルカ、ドーナツの穴はどうなるの?」

「ああ、そうだった」

リッカの言葉でルカはここに来た目的を思い出しましたが、なんとなく今の光景を見て、ドーナツの真ん中は見つからなくてもいいかも、という気持ちになっていました。そして、それはリッカも同じなのでした。

「でも、せっかく来たし、念のために聞いてみようか」

「うん、念のためね」

「あの、マンナカネコさん、ぼくたちドーナツの穴を探しにきたんだ。コレクションの中にこれとぴったり合うものはないかな?」

そう言ってルカはリュックサックの中からお母さんが持たせてくれたドーナツを取り出しました。

マンナカネコはじっくりそれを眺めたあと、ショーケースの中を吟味していましたが、やがて戻ってくるとゆるく首をふりました。

「実は、“ドーナツの真ん中”は、ものすごく貴重で、あたしも見たことがないの。真ん中界の仙人と言われているのよ」

「そっか、ここにもないのねえ」

なんとなくほっとしながらリッカは言いました。

「でも、どうしてそんなに貴重なの?」

「それは、ドーナツがすべての穴の起源だからよ。ビッグバンで宇宙が生まれたとき、おなじように、すべての穴がドーナツの穴から誕生したの」

「ふうん、そんなにすごいものをぼくたちは探してたのか」

「でも、真ん中がなくてもドーナツはドーナツ、だもんね」

「ふふ、今日はあなたたちのおかげであたしもそのことに気づいたわ」

なんとなく話が終盤にさしかかったかな、というタイミングで、また

「あのう・・・」

とレンコンの声がしました。

「わたくしはいったいこの先どうすればよいでしょうか・・・」

「そうねえ」

マンナカネコが、くすりと笑って言いました。

「あたしは真ん中代表、あなたは外側代表として、ここで一緒にコレクションを増やさない?」

それまでそわそわしていたレンコンがぱあっと笑顔になるのを、3人ははじめて見ました。それくらい、それはとても素敵な提案でした。

マンナカネコと、お城に残ることになったレンコンに別れを告げて、ルカとリッカは元来た道を川の上流に向かって歩いていきました。

「なんだか大変な一日だったねえ」

「でも、おもしろかったねえ」

「ドーナツの真ん中は見つからなかったね」

「見つからなくていいのかもね」

そしてまたふたりで、手をつないで歩きながら歌をうたいました。

しばらく歩いたところで、ひょっこりともぐらが顔を出しました。

「よう、おふたりさん」

「あ、もぐらだ」

「どうだい、ドーナツの穴は見つかったかい?」

ふたりはそれを聞くと、顔を見合わせてふふふと笑うと、同時に言いました。

「ドーナツは、穴があいていなくちゃね」

「おやおや、どんな風の吹き回しかね」

「もぐらも、“もぐらの外側”には注意してね」

きょとんとしているもぐらにいたずらっぽく親指を立てて、ふたりは歩いていきました。

家が見えてくるころにはすっかり日も暮れて、空は鮮やかなオレンジ色、その向こうには夜が、今か今かと出番を待ちながらじわじわと紺色をにじませていました。

「ただいまー!」

ふたりがドアを開けると、なにやら家の中は甘くて素敵な香りでいっぱい。

「あら、おかえりなさい」

そう言って振り返ったふたりのお母さんは、両手で白い大きなお皿をつかんでいました。

その上には小さなボール状のものがたくさん載っています。

「おなかすいたでしょ?今晩のごはんは、“ドーナツの真ん中”よ」

ルカとリッカはびっくりして顔を見合わせ、思わず笑い出しました。

「なんだ、こんなところにあったのか」

楽しかった冒険の話をしながら食べるドーナツの真ん中は、どんなごちそうよりも幸せの味がしました。


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