ストロベリーフィールド
「昔あったものと今はないものの違いはなに」
夢だということはわかっていたのに、目を覚ますことができないでいた。リバプールにある孤児院の前にわたしはいて、赤い柵の向こうから、黒目の大きい少女がわたしに問いかけている。
記憶のどこを探しても、こんな少女わたしは知らない。
「今はないものと未来にあるものの違いは」
なにを聞かれているのかわからなかった。セミの声が降り注いでいて、木漏れ日を揺らす木々の匂いは濃い。それなのにあたりはやけに静まりかえってひんやりしている。柵を挟んで、ここにはわたしと少女しかいなかった。
「記憶の中にしかないものと、想像の中にしかないものは、どう違うの」
少女はとても切実そうだった。左手で柵をつかみ、癇癪を起こして地面を何度か踏み鳴らす。もどかしくて仕方ないというように。
どうにかしてあげたかった。けれどわたしには、彼女がなにを求めているのかわからなかった。
「記憶の中にしかないもの。想像の中にしかないもの」
彼女の言葉を上の空で口走る。
「わたしはここにいるの。過去でも未来でもない、あなたの夢の中だけに。ねえ、存在していることと、存在していないことは、なにが違うの」
少しずつ、彼女の焦燥やもどかしさの正体が見えてきた。
“夢の中にしかいない少女は、夢の中以外のどこにも存在できない”ということ。
この夢が覚めたら、自分がいなくなってしまうのを、彼女は恐れている。大きな黒目が強くそれを訴えている。
恐れる気持ちも、柵の冷たく重たい感触も、たしかにここにあるのに。あると思っているのに。
「残念だけど、それは、わたしにもわからない」
わたしはため息をつくと、ゆるく首を振ってそう彼女に告げた。
「存在することのたしかな証拠は、どこにもないの。あなたは夢の中にしかいないけれど、それはわたしも同じ。ほんとうはどこまでが夢かなんて誰にもわからないもの。自分が存在していると言えるのかどうかも」
少女は、やはり何かを訴えかけるような目でしばらくわたしを見つめ、それからうつむいて柵を手放すと、ストロベリーフィールドの敷地の奥へと歩いていった。
急にセミの声が大きくなった気がした。さあっと木々が揺れ、木漏れ日がその模様を変える。
それでもここは、とても静かでとても冷たい。
いま、わたしはどこに存在しているんだろう。交わらない世界の途方もなさにくらくらする。
どうしても夢から抜け出すことができないまま、わたしはずっとストロベリーフィールドの赤い門の前に立ち続けていた。
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ストロベリーフィールドにいて(晴れている)存在しない人を探して
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