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赤いくつと人魚

その赤い靴は、呪いや魔法をかけられたわけではなく、ただ「踊るのが好きだから」という理由で踊りつづけていました。

持ち主はいません。森の深い茂みの奥で、まるで靴を脱ぐことだけを忘れた透明人間がダンスしているかのように、飛んだり跳ねたりくるりと回転したりしているのです。

森が暮れはじめてから東の空がほの白むまで、靴は毎晩踊りつづけました。おかげでそのステップさばきは見事なもの。彼女のダンスショーを見るために、夜毎森の動物たちが集まるほどです。

ところがある日、赤い靴はステップを踏み間違い、岸壁から海へと真っ逆さまへ落ちてゆきました。森の奥には、足を踏み入れてみるまで崖があることに気づけないほど切り立った崖があるのです。

動物たちは、この森のスーパースターを失ったことにがっかりしましたが、助けにいく勇気もなく、顔を見合わせるとやがて散り散りになってゆきました。

誰もが靴はもう戻ってこないと思いました。でも彼女は無事でした。

たまたま水面から顔を出していた人魚がうまい具合に受け止めたのです。

人魚ははじめ、それが何かわかりませんでした。赤くてつやつやしていて、おいしそう。そう思ってぺろりとなめてみましたが、なんの味もしません。

驚きのあまり気を失っていた赤い靴は、その感覚に目を覚ますと、慌てて人魚の手の中から飛び出しました。

ところが下は地面ではなく水面。赤い靴は大地を踏み込めないままゆらゆらと海の底へ落ちてゆきました。

人魚も興味津々でそのあとを追いかけます。

赤い靴はゆっくり落ちながら、はじめて、水上から降りそそぐ光に照らされた人魚の全身をはっきりと見ました。

エメラルドグリーンに光を反射するその鱗を、赤い靴はとてもうつくしいと思いました。こんなにうつくしいものを、地上では見たことがありませんでした。

足がないという、赤い靴からかけ離れたその姿が、ちがうからこそ輝いて見えたのでした。

赤い靴はやわらかく海底に降り立つと、その気持ちを伝えるためにおずおずと踊り出しました。

水の中は森と比べてとても動きづらく、ステップを踏むたびに砂がスローモーションで舞い上がりましたが、人魚はそれを見ると目を輝かせてよろこびました。こんな動きをするものを、人魚もまた海の中では見たことがなかったのでした。

2本の足でしか履けない赤い靴と、エメラルドの鱗を持つ人魚。相容れないからこそ、ふたりはお互いをとてもうつくしいと思いました。

人魚も靴の動きに合わせてくるりくるりと水中を気持ちよさそうに泳ぎ回りました。

決して交わることのないその奇妙なダンスは、いつまでも海の底を照らしつづけました。


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赤い靴はけないことが人魚にはうれしかったの、うつくしくって

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