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もぐらは鳥になる

もぐらはいつもお母さんから、「絶対に地面の上に出てはだめよ」ときつく言い聞かせられてきました。

「地上はこわいところなの。おひさまの光は毒だから、長いこと浴びれば死んでしまうわ。それに、いつ猫やカラスに襲われるともわからないからね」

生まれてこのかた、もぐらは地面の中の世界しか知りませんでした。

お母さんの言う「おひさま」も「猫」も「カラス」も、だからじっさいには見たことがありません。おとぎ話のように毎晩聞かされるそれらの、世にも恐ろしい姿を想像しては、もぐらはぶるぶると小さな身をふるわせるのでした。

「ここが、世界でいちばん安全な場所なんだよ」

お母さんのお話は、いつもそうやって終わりました。

温かく湿ったふかふかの土につつまれながらその言葉を聞くと、もぐらはいつも安心して眠れるのでした。

そんなある晩のことでした。

夜中に目を覚ましたもぐらが気晴らしに土の中を散歩していると、ふわっと体中を感じたことのない心地よさが通り抜けてゆきました。

実は、もぐらの進んでいた道は地面のすぐ下にあり、地面が崩れた拍子に開いた小さな穴から風が入り込んできていたのでした。もちろんもぐらにはそのことはわかりません。ただこれまでにない爽やかな開放感に驚きながら、あたりをきょろきょろと見渡しました。

「ははん、さては新境地にたどりついたな」

もぐらたちはふだん地面を掘り進めながら暮らしています。未知の領域を開拓すると、それはそれは仲間たちから褒めてもらえる。これは大発見に違いない、ともぐらは思いました。

「ぼくがいちばんに見つけたんだぞって、明日みんなに自慢してやろう」

嬉しくなってその心地よい風の吹く方へ向かって進んでいくうちに、もぐらはいつの間にか地面の上へ出ていました。

夜なので外はまっくら。土の中にいるのとそう変わらない風景に、もぐらは外へ出たことも気づかないままずんずん進んでゆきました。

「おまえさん、こんなところで何してるんだい」

「わああっ」

暗闇からとつぜん声がしたので、もぐらは驚いてひっくり返ってしまいました。体勢を立て直そうともがいていると、ひんやりと硬い何かがやさしく体を転がしてくれました。

その声の主は、不眠症のカラスでした。毎夜飛んだり歩いたりしながら、うろうろとあたりをさまよっているのです。彼女はクチバシの先でそうっともぐらを起こすと、

「おどかしてごめんよ。実はあたしも眠れなくてね」

と笑いました。

暗闇に溶けこむまっくろな姿が、もぐらには見えません。でもそのハスキーであっけらかんとした声色から、悪いひとじゃないということはわかりました。

「ぼくもさっき目が覚めちゃってね、散歩してたんだけど、新境地を見つけたんで明日みんなに自慢しようと思って、調査してるところなの」

「新境地?……なるほどね」

カラスにはこのもぐらの少年が何を勘違いしているのかすぐにわかりました。そして、ちょっとおもしろいことになりそうだという予感もありました。

「ぼうや、それなら、もっと素晴らしい新境地を見せてあげる」

「ほんとに?わあい!」

もぐらはまさか、今自分が地面の上にいて、天敵とされているカラスと話をしているなんて思いもしません。無邪気に喜ぶと、くるりとその場で一周回ってみせました。

「いいかい、あたしの背中に乗るんだ。ほら、ここだよ」

少しずつ暗闇に慣れた目で、もぐらはカラスの背中へよじ登りました。艶々とした、でもやわらかい、それは不思議な感触でした。

「さ、いくよ」

そう言うとカラスはばさっと羽を広げ、夜空へ飛び立ちました。

「わあっ!」

もぐらはびっくりしすぎて落っこちそうになるのをぐっと堪えて、これまで感じたことのない浮遊感に身をあずけました。

ここは本当に地面の中?

そのときはじめて疑問がよぎりましたが、ここが地面の上だったなら、ちっとも怖くない、もぐらはそう思いました。

カラスはぐんぐん高度を上げてゆきます。眼下にちらほらと明かりが見えはじめ、これまでただまっくらだったもぐらの世界に、「光」というものがはじめて現れたのです。

「ねえ、あれが、“おひさま”?」

「違うわ、あれは街明かり。でも、そうね。あれをもっともっと眩しくしたら、おひさまになる」

「そうなんだ。うわあ、綺麗だねえ」

「綺麗でしょう」

爽快なスピードで風を切る感覚。きらきらと海のように輝く地上。すべてがはじめてで、すべてがもぐらにとっては美しいものでした。

ぐるりと夜空を一周すると、カラスは陥没したもぐらたちの巣穴へと舞い降りました。

「すごく素敵な世界を見せてくれてありがとう!明日みんなに自慢するよ。すっごい新境地があるんだって」

「ふふ、あたしも楽しかった。……そうだ、お礼にこれをあげるわ」

カラスが差し出したのは、背中に隠していたビー玉でした。

「ほんのわずかな光さえあれば、きらきらと輝くから。さっき見た街明かりみたいにね」

「ありがとう、大事にするね」

それからいそいそと地面にもぐると、満ちたりた気分につつまれてもぐらは眠りに落ちてゆきました。

次の朝、早速もぐらは新境地のことを仲間たちに語って聞かせました。

「ほんとだよ!きらきらで、ふわっとして、とっても素敵な場所なんだ!」

「何を言ってるのかねえ、この子は」

「夢でも見たんだろ、おおかた」

「違うよ!夢じゃないもん!」

そう言いながらも心のどこかで、あれはまさに夢のような体験だった、ともぐらも思いました。

それでもあの夜がたしかに存在したのだということを、土の中では上手に光らないあのビー玉だけが教えてくれるのでした。


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ビー玉のことをおひさまだっていうあの子にだけ見える光がある

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