おもしろ、くない 看護師


消化器外科から整形外科に異動したカト。

ここからはメンタルがブレることもあったけど4年続けることができました。






人生の恩師2人目 “デオ師長”

いよいよ3ヶ月ぶりの出勤だ。

更衣室には前の病棟の先輩もいた。

気まずかった。

ニコっと会釈して、師長室へ逃げた。




『カトちゃ〜〜〜ん、久しぶりじゃ〜ん元気だった〜?!』



次の異動先の整形外科師長、デオだ!

この男はいつも目が死んでいる!!

私はこの師長と学生時代に関わりがあった。

デオが仕切っていたボランティア生徒合宿。

私は学生の頃の大親友、ノムに誘われてイヤイヤ参加したのだ。


今思えばこの男は自分が欲しいスタッフの目利きをしていたのでは・・・。


その合宿のテーマは『看護師のストレスについて』だった。


私はもしストレスにぶち当たったとき
・その環境を変えるか
・その環境に染まるか
・その環境から去るか
と書いたことをはっきり覚えている。

カトらしい答えだと言われた。


結果私は消化器外科の環境を変えることはできなかったし、染まることもできなかったのだ。


完全に負け犬だ。


デオは私のことを拾ってくれたのだろう。


『カトちゃんさ〜鬱だったの?』
『ただの適応障害だと思うんだけどどうなの?』
『意地悪な人はどこにでもいるからさ〜頑張ろうね〜〜?』



…相変わらず、死んだ目のこの男は軽い。



『準備は良い?大丈夫やけん!』と、背中を叩かれた。


開いたエレベーターのなかには前の病棟の先輩がたくさんいた。


最悪だ!すごく気まずい。


私は胸が痛くなった。

デオは気づいていたようだが、満面の笑みで私をエレベーターに押し込んだ。

『あんたんとこ、大変やね〜』と、元病棟の看護師に話しかけていた。


強い、このひと。




俺のテリトリー “私の居場所”

整形外科病棟に着いてしまった。

『おはよ〜みんな〜!』
『今日は新人さんが来ました〜!』

デオが幼稚園の先生みたいに叫んだ。

私の同期もそのなかにいた。

「は!?カト!?うわ〜〜!!!!やばー!!」

ここでの同期は大親友のノムの他にテラ、イタの3人。

みんな学生の頃から仲が良い。


一個上の先輩たちも『大変だったみたいですね』と、優しい感じで接してくれた。


病棟の雰囲気が明らかにちがった。


私は異常な環境に居たんだな、と思った。


『カトちゃんはまだ部屋持ちはさせないよ〜』
『とりあえず外回りとお風呂係やろうか!』
『ハヤシのおばちゃ〜ん』

デオは介護士さんを呼びつけた。

介護士のハヤシさん。
この病棟のお母さんだ、マザー。

外科にヤラれたんか!なしか!新人イジメとかしょーもないわ!さっさと風呂の服に着替えな!』


ワンピースに出てくるチョッパーの師匠、
ドクタークレハにそっくりだった。
海賊みたいな荒れ方だ、このおばさん。

ハッピーかーい?


初めての風呂介助、頑張るぞ!と思った瞬間、デオから呼び出し。


『はい、今から消化器外科に行くからね!』

は?何しに?私を連れて行くの?
心がひやっとした。

デオは何も言わずにエプロンを着た長靴姿の私を消化器外科に連れて行った。

前の病棟だ、
消化器外科の病棟は独特の匂いがする。


みんなまだナースステーションにいた。
あの頃と変わっていない。

私のプリセプターもいたが、あからさまに目を逸らされた。


『今日から整形外科異動になったカトさんですー!』
『風呂介助させてるのを引っ張ってきたー!』
『はい、カトさんも挨拶してー!』


まじか、この男。


「休んでご迷惑をおかけしました。今後は整形外科でがんばります。今までお世話になりました」

『それだけーじゃあね〜!』

デオは私を回収した。

声が震えてドキドキした。

エレベーターに乗った瞬間、またデオの目が死んだ。



これでアンタは俺んとこのスタッフ。どこかで元の病棟のスタッフ会っても堂々とすること、いいね?』



私の異動の後ろめたさを取り除いてくれたのか。


このことを母親に話したらとても安心していた。




デオのために私は成長する!と強く思った




慣れない業務 “駆け抜ける2年間”



整形外科病棟に異動して数ヶ月、私は部屋持ちもするようになった。

そして夜勤に突入する時期になった。

こっちのお局さまもまた、異常に新人が大嫌い。

私のこともかなり嫌っていた。
何かとインシデント、アクシデントとみんなの前で騒ぎ立てる。


その度に心がキュッとなる。



これはもう治らないんだろうなと諦めている。


さらに運悪く、ここでの私のプリセプターも冷たい人だった。


ストレスは多かった。


けど優しいスタッフもいるし、同期も心強い味方だ。


特に私のことを気にかけてくれた先輩もいた。
患者さんに優しく新人に厳しく、そんな人。

私はその先輩には弱音を吐いたりした。

失敗したら怖いです、お局さまがしつこく怒ってきて、また失敗しました。

相当めんどかっただろうな、と思う。


『新人の失敗、実はあんまり先輩は覚えてない。』
『次失敗せんけりゃいいから!』
『患者さんのことを任せられる、それが答え。』



ちゃんと見てくれる人がいることに心底安心した。


この先輩やデオが居なかったら復帰出来ていなかったかもしれない。


今では私が新人に伝える言葉になっている。


お局さまの執拗な攻撃は続いたが、耐えきった。


デオがお局さまを異動させたのだ。


デオはかなり腹黒い。





1年目の終盤に行われる症例発表も同期に劣ることなく発表できたと思う。
3ヶ月みんなより遅れているけど、何とかへばりつくことができた。


整形外科って? “元気に患者が帰る病棟”


1年目の終わりから、夜勤もして点滴係もするようになった。

不器用な私はめちゃくちゃ注射に苦戦した。

あっさりしてるように見える私、実はとても気にする。


でもそれを患者さんに見せたらダメだ。

注射失敗。失敗、失敗、しっp・・・

患者さんが爆笑するレベルだった。

汗が止まらない。
若い男の人は血管の弾力が強くて血管に針が刺さらない!

『焦るカトさん、ずっと見てられるwwwww』

うるさい、だまれ!
と思いつつ、笑ってくれることには感謝しかなかった。

2年目はこころの余裕がでてきた。


いろんな患者さんと話をした。
整形外科は治っていく患者が多いし、若い人も多い。


最初は慣れなかったけど、亡くなって心が沈むことが少ないのはいいことだなと感じるようになった。




新しい患者さんの入院説明をしていたときのことだ。

一通り話し終えた後、おじさん患者が言った。


『あの時はお世話になった。ありがとうね』

私はこの人と会うのは初めてだ。


何を言ってるか分からなかった。

『あんた違う階にいたろ?そんときあんたと話したけど覚えてないかなぁ


すかさず奥さんが看護師さんは忙しいのよ、とフォローしてくれた。


ショックだった。

私は顔を覚えるのは得意な方だ。

話した内容も、顔も、疾患さえも覚えてない。

それだけ追い詰められていたのか。

本当にあの病棟からは早く逃げて良かったのかもしれない。
私はおじさんに対して申し訳ないと、とても反省した。


3年目になるとリーダー業務が始まる。

先生やリハビリスタッフの橋渡し役。


正直すっげぇ嫌だった。

キレる医師もいるし、突然急変する人もいる。


カトはもれなくテンパる。


その都度デオや他の先輩がフォローしてくれるけど、「私にトップは向いてない」と実感する業務だ。

みんな定時で帰りたいからみんなでがんばる。この感覚は好きなんだけどね。

私はメンバー業務が好きだった。

リーダーが困ることに気づいてそれよりも早く対処する。

みんなが早く終わるように動いて、周りが余裕ないならそれをフォロー。


そういう動きはかなり得意だ。



人って向き不向きが絶対にあるよなぁと思う。

人生でいえば私は主役だが、仕事では主役向きではない。

ワンピースでいえば私は絶対にルフィにはなれない。だけどルフィの右腕、サンジやゾロにはなれる。


だから主役になっちゃう水商売も苦手なんだと思う。指名嬢とお客さんの間でフォローする方が向いていた。



私はデオやノム達と一緒に病棟をより良いものにしたいと思ってこの1年間頑張った。




4年目は私たちがプリセプターになるのだ。



それまでに新人が動きやすい病棟にしなくては!と意気込んでいた。





さよならデオ、ノム “戦意喪失”


4年目が始まる頃にそれは突然やってきた。

まさかのデオ師長の異動!!!!

デオ、膝から崩れ落ちる。

そしてノムまで異動!!!

若手の異動はあんまりない。異例の人事だった。


正直、悲しかった。


せっかく一緒に病棟を変えようと思っていたのに。


デオに関しては昇格だった。
本人は悲しそうだったが、すごいことだ。


お局さまを全員異動させて、デオ最強の病棟にしていたところの異動。

意気消沈していた。

その代わりに主任が昇格して師長になった。


辞めようかとも考えたけど、主任さんもとても尊敬できる人だった。


今度はこの人を支えるスタッフになろう、とひとまず心を入れ替えることにした。


あんたが休職した経験、新人教育で絶対に役に立つから。違う場所で応援しとるけね〜』



死んだ目のデオが最後に笑って言った。



デオ、今までありがとう。




プリセプター業務 “年上の新人”

私はこの頃からプリセプター業務を終えたら退職すると決めていた。

病院勤務に未来が見えなかったからだ。


手取り25万あるかないかで、いつも夜遅くまで残っている新しい師長。


私はというと、三交替勤務で20万ほどしかもらえていない。


10年は軽く超える師長のお給料がこれなのか!と正直驚いた。


未来がないなぁと感じていた。
子どももいるのに帰れないなんて。


また、新しい患者を次々入れないといけない地獄にちょっと疲れていた。どこの病棟も人が足りていないのだ。

4年目になると若いし動けるし病棟のちょっとしたエースみたいになる。


定時で帰れると思ったぎりぎりに緊急入院。


いつも帰れない。

私はプリセプター業務をこなして自分の集大成としようと決めた。

今年度の新人は3人。


私のプリセプティはまさかの私より年上のだった。


まじか、やりづらいかもしれない。


私の元プリセプターも教えづらかったろうなぁとふと思ったりした。


私は新人時代をよく思い出していた。


サービス残業、教えない意地悪、無駄な口頭のみの教育、理不尽な罵声

本当なら病まなかっただろう私やミタさん、ウエムラちゃん。

今度はそんなことが無いように、と目を光らせた。

なんで新人が病んでしまうのかを黙々と考え、解決策を練っていた。


・口頭のみの教育の廃止
看護師は正直、本当にバカが多いと思う。
先輩は自身の辛かった思い出をそのまま後輩にも引き継がせたい欲がある。
『私の頃はもっとひどかった』が、口癖だ。絶対にこれを言う。
だからマニュアルもほとんど作らない。

もちろん手技的なものは患者によってやり方が変わるので、マニュアルを敢えて作らないこともある。

ただパソコン操作でさえマニュアルがないのはいかがなものか。

何年も、何回も、新人に同じことを教えている。
非効率的だ。

私は新人がつまずくパソコン操作のマニュアルを作り上げた。
バカでも絶対にわかるし、どうでもいいことを聞かなくて済む。

忙しい時に手が止まる先輩のイライラもなくなる。

優しすぎる、と言われたが非効率的なものはすべて廃止させるつもりだった。
っていうか、パソコンの操作を教えるための残業なんて無駄すぎる。

その結果、無駄なサービス残業は減った。
間違いなく私が一年目だったときのような20時になっても帰れないなんてことは無くなった。

夜はちゃんと寝た方が良いに決まってる。

・教えない意地悪
これに関しては手技の実施リストの項目が最初からあった。

新人には朝の情報をとる時点で初めて行う処置があれば、誰かに見守りをお願いするように口うるさく伝えた。リーダーにもフォローをお願いした。


教えない意地悪なんて、先輩の単なる怠慢だ。

人は揃っているのに技術がなくて出来ません、とか効率が悪すぎる。でもそういうのが多いのも看護師の世界の特徴だ。


・理不尽な罵声
これは残念なことに止められなかった。
2度、新人が泣いてしまった。

私が担当した新人は社会人経験がある40代の主婦だった

性格的にはゆっくりで、社会人らしい真面目さがある人だ。

あまりにも業務が遅いときがあったようで中年男性看護師が怒鳴ったようだった。


『社会人でこどもがいるくせに何でこんなこともできないんだ、と言われました』


私は何か嫌なことを言われたら教えてねと最初から新人に伝えていた。悔しくて泣きました。と追いメッセージ。



はーーーーーーーーい
アウト!アウトでーす!!!!!!!


ただその男は私より超ベテランの看護師だった。
私から苦情を申し出ることは火に油をそそぐようなものだ。


コソッとほかの先輩たちに相談した。


結果、血祭りにあげられていた。
以前から発言に問題がある人だったのでざまぁ、と思った。

本当に看護師は感情を抑えられない人がかなり多い。男性でも女性でも。
自分が言われたらどう思うのか?と考えるが、
それもまた『私たちの時代は・・・』と言い出す。


時代、時代、時代はもう変わったよ。


優しくすると甘えて仕事できない人になる。

はぁ?

メンタル潰して人が足りなくなる、の間違いだろ。


厳しくしたいならせめてちゃんと指導はしろよ。


2回目は5年目の先輩だ。
とにかく言い方がきつい、私はその先輩が嫌いだった。
24歳、他業界の経験もバイト経験もなく看護師になった人だ。

当時30歳だった私にとって、何だかまだまだ子どもって感じの先輩だ。


こういう人は、100%自分の物差しでしか考えられない。

若い頃から人の命に触れていて、社会的地位が高い医者と一緒に仕事をしている。

自分が最高に偉いと勘違いしている人がとても多い。

かと言って、仕事ができるわけでもないのだ。


『大卒なんですよね?何回も教えてますけど何でできないんですか?』
というような感じだった。

学歴は関係ないんよ・・・。と呆れてしまう。

『あの先輩そこまで仕事できないんで見返すくらい仕事できるようになりましょう』と、アドバイスにもならない言葉で終わってしまった。


新人さん、ごめんなさい。



正直、その新人は覚えが良いとか仕事が早いとかセンスがある、とかそういう訳ではなかった。


本当にゆっくりマイペース型だった。



ただ、そんな人でもしばらく病棟にいると色々と出来るようになってくる。


私がイレギュラーな緊急入院をとるときに、その新人が駆けつけてきてくれた時はとても嬉しかった。


自分だって仕事が終わってないだろうに。



泣くこともあっただろうけど、もう私が居なくなっても大丈夫だなと思った。





退職と転職 ”掛け持ちバイト”


4年目はプリセプター業務と同時進行で転職活動をしていた。

全国で訪問看護事業所を展開している人に会いに行って、無事内定をいただいた。

学生の頃からずっと働きたかった場所だ。


勤務先が遠く、引っ越しのために資金が必要になった。


その時代、コロナが大流行。


ちょうど看護師対応のコロナコールセンターの派遣スタッフが募集されていたので、迷わずそこで働くことにした。


顔も見えないし身体もそこまで動かさない。
ダブルワークにぴったりだ。


本職の3交代の間に可能な限りシフトに入る。
12時間コールセンターに居座って、そのまま夜勤に入ることもあった。



そのおかげで引っ越し資金は簡単に貯まった。


私はなんとなく、このまま訪問看護に転職して良いのか?
と、感じていた。


転職したら少しは手取りが増えるし夜勤も無くなる。

そのあと私はなにを目指して生きるのだろう。


そういうことをよく考えるようになった。


生きるとは?


話はかなり戻るが私の育ちはあまりよくない。
生きるために看護師になったようなものだ。

貧乏時代が長かった私の夢は、一人暮らしをすることだった。


小さな夢だ。



看護師2年目くらいにその夢は叶い、高層マンションで悠々自適に過ごしていた。



生きるとは?
生きるために看護師になったのだ。
自由になるために看護師になったのだ。
看護師という仕事が私には必要だったのだ。



それはやりたかったことなのか?
色々考えるようになってしまった。


私は看護師4年目にして、やっと社会人としてマイナスからゼロになることができたのだ。



ゼロになった瞬間、私はやりたいことがなくなったような気がした。



本当に訪問看護師をやりたいのか?


わからなくなった。


極端に言えば、これまでの人生を全力で生き抜いた。

今もし死んだら、死んじゃったなぁで終わるだろう。


仮に、もし、いま突然死んだら何に後悔するかなぁ。


知らない事を知らないまま死ぬのは後悔するかもしれない。


知らない事ってなんだろう。



・・・海外とか?



そんなことを思ったりした。







そこからまた、人生が一転する。


看護師人生、たったの4年で終わりました。自分的には満足できる時間を過ごせたと思います。ちょっとトラウマみたいな感じに陥るときもあるけど、今はもう元気。消化器外科病棟の人たちのなかには、謝ってくれた先輩もいました。私も気づいていたけど、人員不足でみんな精一杯だったんだと思う。私が休職したあと、外科の医師が新人の休職や退職が多すぎると問題提起してくれて、いろんな業務改善があったようです。なんで看護師がやらないんだ。新人全員全滅したその時の師長は監査かなにかに引っかかり、どこかに異動になった。整形外科のお局さまの異動先はなんと私が働いていた消化器外科病棟でした。最初は『あんたらと違って、みんな仕事ができて最高!』と息巻いていましたが、数ヶ月で休職のすえ退職しました。闇深い、外科病棟。



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