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高校生のための人権入門(8) セクシュアルハラスメントについて

はじめに

「同和問題(部落差別)」の次には、「女性の人権」について書きたいと思うのですが、その前にセクシャルハラスメントについて少し見ておきたいと思います。

セクシュアルハラスメントはどうして起きるのか

セクシュアルハラスメント(セクハラ)はどうして起きるのでしょうか。加害者が破廉恥でスケベな人間だからだとか、女性を性の対象としてしか見ていない男性だからだとか言われることもありますが、どうもそれは正しくないような気がします。パワーハラスメント(パワハラ)が誰にでも起きうるように、セクシュアルハラスメントもまた、どの男性にも女性にも起きうると考える方が、現実に近いと思われます。

まず、セクシュアルハラスメントというと、とかく男性が女性にするものと考えがちですが、セクシュアルハラスメントは、「性に関わる嫌がらせ」ということですから、実際には女性が男性に行うこともあります。例えば、女性が男性に、「あなた男なのに、パソコンもわからないの。」とか、「男のくせに、気が小さいのね。もっとしっかりしてよ。」というような発言をすることがありますが、これも明らかにセクシュアルハラスメント(性に関わる嫌がらせ)です。

ただ、そうは言っても、悪質なセクハラのほとんどは、男性が女性に行うものです。なぜそういうことが起きるのかを、まず考えてみる必要があります。

ジェンダーとセクシャルハラスメントの関係

最近、テレビや新聞でジェンダーという言葉を聞いたり見たりすることが多くなりました。ジェンダーとは、「社会的、文化的な男女の性的役割」というような意味で用いられます。どの社会、文化もジェンダーを持っていますが、ジェンダーとは、わかりやすく言ってしまえば、その社会、文化が考える「女らしさ/男らしさ」のことです。ジェンダーの中身(どういうのが女らしくて、どういうのが男らしいか)は、社会、文化によって少しずつ異なっています。また、同じ国や社会の中でも、時代によってどんどん変わっていきます。具体的に言えば、日本においても、例えば昭和60年代と今とでは、「女らしさ/男らしさ」の中身は相当違っています。ここで重要な点は、ジェンダーの中身は社会や時代によって違うにも関わらず、その時、そこに生きているその人にとっては、常に理屈抜きで、「そうでなければならない。そうでなければおかしい。」ものと感じられていることです。

なぜ、このようなことが起きるのでしょうか。それは、ジェンダーというものが他の文化的なものの考え方や習慣と同じように、人が生まれて物心つく前から、まわりのおとなから、意識的に、または無意識的に、「こういうものだ」、「これがふつうだ」、「こうでないのはおかしい、恥ずかしい」と繰り返し子どもの心に刷り込まれていくからです。「男の子なんだから、泣いたら恥ずかしい。」、「女の子だから、ピンク色が好きなんだね。」等々、毎日の生活の中で、繰り返し徹底して刷り込まれていきます。

このようなことの結果として、物心ついたころには、日本で育った男性の心の中には無意識にではあれ、「男は強くなければいけない。男はしっかりしなければいけない。男は女に尊敬されなければならない。男は女をリードしなければいけない。女をリードできないような男は恥ずかしい。」というような思い込みやプレッシャーが作り上げられます。(もちろん、個人差は相当あります。)言葉に出して、「男は女に尊敬されなければならない。」などと言えば、多くの男性は、「今どき、そんなこと思っていないよ。」と考えますが、実際には、今でも「男は女に尊敬されなければならない。」という思いは、多くの男性の中にあります。その証拠には、妻から馬鹿にするようなこと(見下すようなこと)を言われて、平気な夫はまずいません。

セクハラは男の優秀さの証明?

このようなジェンダーの刷り込み、支配があるために、男性から女性へのセクハラがきわめて起きやすくなります。京都橘大学の浜田智崇准教授が数年前、ある新聞に「セクハラの背景には、女性を支配できる男性が優れているという男性側の思い込みがある」という内容のことを書いていました。このことからわかることは、セクハラは被害を受けた女性が、「嫌だけど、そのうちいつかやめてくれるだろう。」などと思ってがまんして黙っていたら、絶対に終わらないということです。黙っていたら、セクハラはどんどんひどくなります。なぜなら、男性にとって、自分の行為を相手の女性が「受け入れた」(例えば、女性の手を握ったが、女性は振り払おうとはしなかったし、何も言わなかった。)ということは、自分の男性としての「優秀さの証明」になるからです。ジェンダーを刷り込まれた男性にとって、セクハラ(女性に、性的に自分を受け入れさせること)は自分の男らしさを証明する「当たり前の正しい行為」なのです。

さらには、男性の性的欲望と女性の性的欲望の違いも、男性から女性へのセクハラがよりひどいものになっていく原因になっています。男性の性的欲望にとっては、対象の女性は、最後には「心を持たない、自分を楽しませるだけの物」になってしまいます。男性の性的欲望は相手の女性を「物化」(心のない物に)してしまうのです。だから、男性はレイプなどというひどいことが平気でできるのです。このような事情が、男性から女性へのセクハラを、きわめて悪質なものにしていきます。

ここにも「思いのズレと断絶」がある

セクハラで訴えられた男性の多くが、「悪気はなかった。相手も受け入れていた(喜んでいた)。」というようなことを平気で言うのは、一見、自分のした悪いことを、なんとか口でごまかそうとしているように見えます。しかし、実際には、本気でそう思っていることも多いのです。ここにも「強い立場の人(男性)」と「弱い立場の人(女性)」の「気持ち、思いのズレと断絶」があります。加害者は悪いことをしているつもりがなく、「当たり前のこと、正しいことをしている」と思っているし、被害を受けた女性のつらさ、屈辱感、怒りがまったく目に入っていません。ここにも、パワーハラスメントのところで述べた「人権侵害の構造」がはっきりとあります。

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