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昇華・凝固

『残された実験施設。金縛り。異常洪水。雀と女が死ぬ雨。謎の女。飛行船』
 意識がはっきりしない中、急いでメモ帳に書いた。5時22分。起きるには早すぎるが、30分後に起きる自信もない。青だったはずの毛羽立ったタオルケットを蹴り上げ、ベットをみしっと鳴らしながら体を起こす。それだけで息が切れた。深呼吸が必要だった。けれど少しうれしかった。

『残された実験施設。金縛り。異常洪水。雀と女が死ぬ雨。謎の女。飛行船』
 18時40分。帰りの歩道橋でメモ帳を開くと殴り書きでそう書いてあった。なんで書いたんだろう。それだけだった。あの時、夢でみたものを急いで書いた。何とか忘れないように、掴むために書いた。それが今の僕からするっと抜けようとしている。まだ脳の皺に引っかかっているものの、今にも飛んで逃げていきそうだ。メモ帳をめくる。仕事のことなんか1つも書いていない。ただ何とかして掴もうとしたものがそこにあった。いつもこうだ。想いを出力した瞬間、その重みを失う。あんなに考え込んで、悩んで、追い込まれて、そこからふっと出てきたこの結晶は掴んだら気体になり、液体になり手をすり抜けていく。メモ帳から目を離す。歩道橋はとっくに過ぎていた。ふと点字ブロックの上を歩く。点字ブロックは少し沈み込みながらこの体重を支えた。少し歩くと足の感触が変わった。交差点だった。信号はない。右に首を向け、すっと歩き出す。左をまだ見ていなかった。

 手からメモ帳が落ちる。

 車は来ていなかった。僕は悔しかった。

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