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3、技術 (芸術の書 断片)

3、技術


美学において技術とは、芸術の方法や美的な表現というかもしれません。では、芸術を作る人の基本的な哲学的な技術について語ってみたいと思います。

とくに、絵画、詩、音楽をモデルに語って行きますが、そのアーティストにとっての精神を前の「美学」と「精神面」の2節で語ってきましたが、技術に関していうことは、天の意志で材料と道具を自在に使えるようになることだと思います。

音楽は楽器を、詩は言葉と文章をもって、絵画はもっといろんな材料を用います。この三つの技術についてもなかなか一日二日でできるものでなく、長い年月の修練が必要です。それは、どれも職人技だと言ってもいいと思います。

芸術の習得は、長い修練が要ります。では、どうすればいいか。どうすれば、芸術の技術を自分の特技にするか。それは、芸術の技術を身に沁み込ませることが大事です。自由自在に使えて表現ができることです。しかも、書き続ける、楽器を奏で続ける、キャンバスに絵を描きつづけること、道具を自らの生命エネルギーから出るエーテルを芸術の技術に染み込ませて、自分の第6感にしていく。一つの器官にしていく。そして、作品すなわち自分の魂、精神とさせるために、霊を塗り込む。愛を塗り込める。そこには天と通じる境地がある。そして、精神には、法悦の境地にあること。その法悦の中には、自分はいない。心には自分がいない。あるのは、真剣に取り組むように第三者から見えるが、芸術の法悦は、天と一体となった自分と神仏が一体となった制作態度の中に、技術が光って来るのです。そして、演奏に、執筆に、絵画制作に天上に神の祭りが行われる。

芸術の技術は、その芸術の行為において無尽蔵に進化して光る。制作の中に光って来るのです。

演奏のさなかに神が降りる。執筆の詩作に神の世界を見ている。塗り込める。無心に神を塗り込める。神がかる演奏をする。詩作は筆が勝手に動く。芸術の行為は、天上の天使たちとその芸術を表現している。

芸術の炎は、炸裂した情熱と、鑑賞者を感動させたいという愛。稲妻を落とすようなきらめき。こういうのが美学における芸術の技術が光るのです。芸術家は技術があるが、芸術の制作行為の中に光るのです。

普段は放心しているが、演奏や制作、執筆の時は、彼に神々や天使たちと共作をしているのです。その状態にするには、素直な心、素直な気持ち、澄んだ水面のようにして神を信じ受け入れる。そこから、芸術はできるのです。それは預言者のような態度であります。

まずは、心を清める事が大事です。

まっすぐに生きるべきです。

そこに、欲は無い。

自分の心を開放する。

そのためには、日々、清い生活、穏やかな心、人に対しては愛の想いを忘れない事です。

そして、笑顔と笑いを大事にして、日々の生活を生きる。

しかし、制作、演奏、詩作のときは、本気で芸術行為をしていくのです。

普段は放心してもいい。

やるべき時は、やるのであります。

つまり、芸術の技術は、基本的な修練が基本ですが、その上の創作という方向になると本気の想いと、神への絶対的な信仰心の制作態度が必要です。

基本的な技術を学ぶことも大事です。その基本を学ぶ時ですら、自由な情熱が必要なのです。

一瞬一瞬の制作を大事にすることです。

一瞬一瞬の演奏に無心になる。

一瞬一瞬の詩作にイデアのイメージを具現化していくのです。

それは、神に一直線に向かって上昇しようとする飛翔と情熱であります。

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