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イデアの考察 断片 アテレーの章    本多裕樹による

イデアの考察 断片 アテレーの章    本多裕樹による

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 徳は存在からにじみ出る光である。光は神のようなそういう波動のオーラとでも言おうか。波動は精妙で、そして次元が高くあり、かえって悪いものを寄せ付けなくなる。そういう意味で徳はお守りのような特性をもっている。神徳のある者はどこかで守られるだろう。危険から守られ、不利益な条件からも回避される。徳のある者は人災からも危険からも守られるという可能性がある。それでも危険な目に遭うこともあるが、それは成長の機会であるゆえ、神が徳のある者を鍛えて神近くなるように育てているのだ。
         

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 徳はその人の光だ。徳を積む、それは善いことをすることで徳をためる事ができる。どんなにささいな小さなことでも徳をためることが可能だ。いわば貯金のようなものである。徳はその人を救うだろう。災難からなんとなく救われることもある、絶体絶命の危機になんとなく助かることもある。徳を運と呼んでもいいかもしれないが、徳はその人を立派にしてくれる。人間として立派にしてくれる。精神を鍛え上げられる。徳を積むとき、それは災難に出会うこともある。それは徳がその人にふさわしいかをテストする。様々なテストを通し、試験を与え、訓練をして試すだろう。不幸に遭うこともある。徳の最終的な目的は人が神に進化していくための導きであるからである。あなたは神であるからもとの神に戻そうと天があの手この手で導き、気高い神にさせるだろう。それをもって神徳を得させる。

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 徳を作るには、徳を積む方法は、結婚して子をつくり家庭生活をおくることだ。家庭生活は独身の者にとってはナンセンスに思うかもしれない。しかし、家庭生活はどろどろしたものでまたストレスも多い、もしかしたら子供が障害を持つかもしれない。奥さんが病気になるかもしれない。旦那様が仕事を失い堕落するかもしれない。でも、そうであっても家族は支えあって生きて行かなくてはならない。それは家庭そのものに全然メリットが無いしかし、そこには愛が無くては続かない、家庭は愛によってつながっている。愛が接着剤になってしかしも生命の供給のパイプでもある。家庭は愛を製造するためにある。ゆえの徳は投資信託のように増えて行く。メリットがないし、愛も大変だし、あまりにもリスクが大きい、もしかしたら貧困を味わってしまうかもしれない。子どももいじめを受けるかもしれない。そういう一大ストーリーだ。そして、苦しみながらも家族は成長し、幸福を見出す。家庭とは徳の製造工場みたいなもの、もしくは投資信託みたいなもので、どんどん愛を創造しつづける関係なのだ。家庭を持つことで濃い人生を生きる事になるでしょう。そして、徳も積もってくるだろう。当然、リスクはあるが、そしてメリットもない。貧乏になっていくのが目に見える。そして時間もなくなる。しかし、徳と愛は身に付くことでありましょう。結婚はそういう意味で意味があると言えるでしょう。そうして徳を積むことになるでありましょう。

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