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音楽論5・6 (芸術の書 断片) 

5、楽器演奏


楽器演奏は、音楽の中でも具体的である。演奏者の心の状態が100%表出することでしょう。心の状態が出てしまいます。なので、演奏者は、楽器の調律が大事ですが、心の調律も大事になって行きます。楽器演奏者の悟りが出てしまいます。ゆえに、精神的の修養も大事になってきます。演奏に必要なのは、鑑賞者に感動、感激を伝えていくんだという究極的な愛が重要なポイントになって行くでしょう。演奏者は、その意識のかなでは、楽譜を見る事も大事です。指揮を見るのも大事です。もっと大事なのは、天上に向かう信仰心の開放が演奏家の可能性を無限に高めてくれるのです。芸術家の基本はその信仰心のあること、絶対的な信仰心の内在している可能性によって作品や演奏の質が違ってくるし、表現の幅も力も究極にいたるでしょう。神の真にぶち当たってく姿、神に真に燃え信仰心を燃やした経験のある者は芸術の情熱もまた、激しいものとなって行くでしょう。表現においても天上から啓示が降ってきますので、それを再現することも可能となっていくでしょう。愛の強さは、信仰の強さとなって行くでしょう。愛がすべてを善くしていくが、そこには信仰心の激しいものがあればあるほど、芸術において、演奏に神を表現するのに無心になって、その自らの存在を神に開いて、演奏中はそのエクスタシー状態の中で神を表現していく、天上の美を再現していく、流して行く。音楽として、流して行く。それは、詩である。音による詩である。それが、楽器演奏の感激となっていくでしょう。演奏の美しい調べは天上から降って、それを素直に受け入れて表現していく。





6、まとめ(音楽)


 音楽の章の終わりとして、まとめに入りたいと思います。音楽とはやはり、他の芸術同様に天上の美を受けて、それを表現する事にあります。演奏家、作曲によって、その音楽家が基本になって、その音楽家の器、悟りの度合いによって、天上の美の表現の仕方も個性あるものになって行くということです。音楽は表現である。表現は愛である。愛は光りであり、多くの人を照らす輝きである。光りは表現あるということ。光りの強度が、芸術の光りを押し出す情熱になって行く。慈悲の存在そのものが芸術家には、なんとも大切なのです。愛深き者に芸術が宿り、愛深き者に神が降りるのです。音楽もまた、そうであり、心にある実在である神の意識を表現していく事、楽器や歌、作曲などで表現するものが、その光りであります。なので、各々の芸術家諸君よ、自らに愛の表現に深みにあれ、たとえば、日々の生活の中でも、表現することは愛です。自分以外の存在に対するかぎりない関心となって行く。禅寺のごとく瞑想状態も必要であろうが、外に関心を持つことで他の人にも愛を与える機会が多いはずであります。それは、音楽で言うと、音楽によって天上の美を表現、または演奏するのでありますが、そこに、想いを乗せて、神の世界を奏で、表現するのであります。愛に無限の可能性があります。それは宇宙に広がってく愛の情熱であります。音楽家ならび芸術家を志す者は、愛の想いを表現する事を忘れてはいけない。すべての根源は愛であること。愛は表現であることです。表現は、あの太陽の光輝くような光を与えて無限に与えていく光であり、愛であることです。光りは表現です。表現は芸術であり、音楽は演奏による光りであります。愛は表現であり、光りである事です。

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