ディレクターになりたいライターに「ジェネラリスト視点」が欠かせないワケ
ディレクターには専門性が必要なのではないか?
そんな風に誤解されている方、実は多いのかなと思っています。
結論、個人的にはそうではない。むしろ、スペシャリストな視点よりもジェネラリストの視点の方が大切ではないか?最近はそう思っているんです。
ディレクターの仕事とは何か?
まずは、ディレクターとは何か?を定義しておきましょう。私個人の経験にはなりますが、ディレクターとして下記の仕事をしてきました。
ライターへのフィードバック・編集業務
ライターへの企画内容の説明及び企画書の作成
SEO視点での構成作成(or フィードバック)
スケジュールの構築
先方(顧客)との打ち合わせ
ご覧の通り、SEO視点などのスペシャリストとしての項目は確かに含まれています。その一方、多くの場合は「コミュニケーション」がベースになっていることが分かることでしょう。
辛辣ですが、ディレクターは「最終的な成果物を作成するためにライターとエンドクライアントとのコミュニケーションコストを下げる」ための一つのポジションでしかありません。
このため、ディレクターが目指すべきは「エンドクライアントがより楽にコンテンツを作れる状態」を作り出すこと。この一点に尽きると言っても差し支えありません。
ディレクターは多くの場合「代替が効かない」
結論、ディレクターは必須ポジションではないんです。
顧客に工数があるのであれば、ディレクターなんていらない。だって、ディレクション料ってまあまあするんですよね。
僕の場合で言うと、1記事作成するのに5,000円〜10,000円ほどもらっています。より有能な人、あるいは案件を見つけるのが上手である人であれば、10,000円以上もらっていてもおかしくはありません。
それでも「代替が効かない」と表現するのは、ジェネラリスト視点を持ったライターが少ないからです。残念ながら。
ではジェネラリスト視点とは何か、僕の見解を説明したいと思います。
ディレクターに必要とされる3つのジェネラリスト的視点
僕の考える「ジェネラリスト能力」とは下記3点です。
コミュニケーションコストを下げる「言語化力」
目標から逆算できる「マネジメント力」
責任転嫁を耐えられる「忍耐力」
僕は現在マネジメント会社に勤務していますが、上記は管理職にも共通して当てはまる内容です。
コミュニケーションコストを下げる「言語化力」
在宅勤務がもてはやされる現在。「コミュニケーションコストの低減」というのは大きなスキルになっています。
業務委託を受けているディレクター・ライターはおそらく対面で記事を書くことはないでしょうから、特に重要なスキルになるでしょう。
では、コミュニケーションコストを下げるとは具体的に何を意味するのか?ディレクターの場合はVS顧客、VSライターの2方向的な視点から考える必要があります。
<VS顧客的な視点>
SLACKなどで相手に該当箇所を探させない(URL/引用などで対処)
相手の言いたいことをなるべく数値化してあげる(PV/CV数/順位などで対処)
<VSライター的な視点>
何をどう直したらいいのかを提示する(例文を作る)
期日は細分化する(◯月◯日◯時までに提出など)
詰まるところ、コミュニケーションコストがかかるのは双方の認識がズレる、あるいは理解し難い時です。
相手に該当箇所を探させるなどの無駄な時間を生まないようにさせる。そうした配慮が必要です。
目標から逆算できる「マネジメント力」
ライターをマネジメントする能力も必要です。それでは、マネジメントとはどういう意味でしょうか?
一言で言えば「管理」です。
具体的には「期限」と「求めるもの」を明確に提示できるのがマネジメント能力と言って差し支えないでしょう。
例えば、文章がクライアントが求めるものに対し、あまりにも劣るのであればそれとなく修正をかける。何が足りていないのかを伝える。
期日は余裕を持って立てておく。それぞれの業務を細分化し、◯月◯日◯時までに提出してもらえれば、必ずクライアントに遅れずに提出できる、といった状態を構築する。
これらが管理に必要な基本的な能力です。
ただし注意も必要です。
ディレクターのマネジメント能力とはあくまでも『ライターを「あたかも同等であるかのように見せながら管理する」能力』のことを指しています。
上記のように表現したのは、あまりにも管理感を出してしまうと、ライターが離脱するからです。
この人に任せるとライターが離脱する。そう顧客に思わせてしまってはいけないので、文面上は「いいものを一緒に作ってきたいので…」みたいな感じを出す。絵文字を使う。
そうしたテキストメッセージを僕は活用しています。
責任転嫁を耐えられる「忍耐力」
ライターに特に欠けているのは「責任転嫁」への抵抗力です。
ただし、単価とその職務上、「責任感」が欠如してしまうのはしょうがないことだと認識しておきましょう。
ライターとディレクターの具体的な職務は下記のようになると考えています。
ライター:ディレクターが求める記事を書く
ディレクター:顧客が求める状態を作る
ライターは文章を書くのが仕事です。そこには「修正」は有りきです。そのため、誤字脱字は発生しますし、クライアントの求めるクオリティとの乖離は十分に発生する恐れがあります。
一方で、ディレクターが背負うのは「顧客が求める状態」すなわち、結果です。ディレクターがPV目標を背負うと言ったことは少ないですが、少なくとも顧客の求めるクオリティまで到達させるのは職務になるでしょう。
ライターは誤字脱字が許されます。そして、構成作成のミスが許されています。(本来は許されないべきですが、そう考えている人は多い。)
しかし、ディレクターには許されません。なぜなら、基本的には顧客が求める状態を作るのがディレクターの仕事だからです。
そして、ディレクターがOKを出した場合は、ライターの責任がディレクターに転嫁されるもの。僕はそのように考えています。
(実務上、その後クライアントから指摘が入った場合、再度ライターに戻すと言ったディレクターが見受けられますが、個人的にはディレクターの責任だと考えます。「顧客の求める状態」と「ライターへの指示」を誤ったディレの責任だと僕は思います。)
責任の転嫁を理解し、何かあったときにはディレクターが責任を取る。(=ライターのせいにしない)
これは、スペシャリストよりかはジェネラリスト寄りの発想と言っても過言ではないでしょう。
代替が効くのはどちらだろうか
ディレクターって仕事。大変だなって思いましたよね。
でもね、同時に思うわけなんです。フリーランスに足りないのは安定です。
そして安定を脅かす「悪魔」が「代替」というキーワードです。
今までメディア運営をしてきた都合上、ライターは残念ながら代替が効きます。フリーランス大航海時代、正直「あなたじゃないとダメ」なことはほとんどありません。
僕は元銀行員です。パッと見金融に明るそうに見えますが、実務経験豊富なFXトレーダーなどにはFXの知識では勝てませんし、金融の知識も〇〇大学の教授には確実に劣ります。
だから自身に課せられた責任を正しく理解し、ジェネラリスト視点を持つ。
外注化が一般化したフリーランス界隈で求められているのは、そんな能力ではないかなと思ったりした次第です。
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