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多様性を認める事で広がる差別

どうも梟です。

昨今何かと耳にする「多様性」
Wikipediaでは以下の様に解説されています。

多様性(たようせい)とは、
幅広く性質の異なる群が存在すること。
性質に類似性のある群が形成される点が特徴で、
単純に「いろいろある」こととは異なる。

ちょっと難しい言い回しですね。

おおよそ簡単に表すと、
『あるグループの中で異なる性質が存在する事』
と言ったところでしょうか。

もう少しわかりやすく例を挙げると、

人間というグループに
様々な年齢/人種/性別などの性質を持つ人がいる事
というグループに
三毛/ブチ/マンチカン/アメショなどの性質の個体がいる事

と言った感じでしょうか。
おおよそ間違ってはいないと思います。

まぁそれを前提としまして・・・
最近は様々な性質の、特に「人間の多様性」を認めろ
という吹聴があちらこちら。
まぁ、私としても全部を否定するつもりはありませんが、
表題の通り、引っかかる部分がある訳です。

①多様性からくる矛盾

という事でして。
いや、どういう事なんだ、という方にご説明しますと・・・

「多様性を認める」という事は
「様々な性質を受け入れる」という事に繋がります。

つまり、良くも悪くも肯定しなくてはいけない。
という事にも言い換える事が出来るのです。

勿論、「目に見える悪」的な部分は否定できますが、
それ以外は如何に自分が嫌でも許容しなくてはなりません。

例えば、貴方が男性恐怖症であっても、
男性を拒絶する事は「多様性を認めていない」
訳です。
しかし、逆に男性恐怖症である貴方を考慮しない社会は、
それもそれで「多様性を認めていない」
事になります。

ここに矛盾が生じていますね?

そう、全てにおいて「多様性を認める」と言うのは
そもそも現実的ではないのです。

その為、この考え方には矛盾が生じ、
場合によっては円滑さを失う事に繋がる訳です。

②多様性という尊重の罠

また、社会における多様性いわゆるダイバーシティなどでは、
その人の国籍、性別、障害の有無などに優劣をつけない。
という考え方で推進されています。

これが兎に角良くない。

ビジネスや、何か計画を成すといった際、
重要な要素の一つとして「適材適所」というモノがあります。

例えば、「英語圏の顧客対応100%の企業」で
英語が喋れない人を採用するより
英語が喋れる、読み書きできる人を雇用する方が適している。
これは皆さん考えればわかると思います。

また、「引っ越し作業員を募集」という際に、
手腕欠損で義手等無しの方と、両手両腕健在の人、
どちらを採用するか、と言うのも
勿論皆さんどちらを選ぶかわかると思います。

しかし、「多様性を認める」を掲げた瞬間
これは両者を同格に考えなければいけません。

日本の求人背景において、
未だこの点は「多様性を認める」という方向には遠く感じますが、
徐々に「認める」という気配は私にも感じられております。

しかし、それは「多様性を認める」という世間の流れに対して、
『あくまでもそれに追従しているフリをしている』という状態です。

例えば、求人で「男女の指定」というのは基本されませんよね?
これは多様性の概念が広まるよりだいぶ前からある、
「男女雇用機会均等法」の第五条

事業主は、労働者の募集及び採用について、その性別にかかわりなく均等な機会を与えなければならない。

これに基づいて考えられています。
その為、よくある事務職など女性労働者が多い職種の募集でも、
基本的に「女性限定」など指定して書かれることはないのです。
しかし、現場としては女性の労働者が欲しい。その場合どうするか。

実はコレやり方がいくつかありまして、
多くみられる2つの方法を、余談ですがご紹介します。

【その1】問い合わせ、応募の時点で落とす。
これは簡単な話で、選考の時点で落とす、という事です。
表面上は「女性がいい」と言った指定はせず、
男性が応募してきても無条件で落とす。という事ですね。
応募する側は何故落とされたかと言うのは基本わかりませんから。
うやむやにできる方法です。その代わり選考自体には男性が食い込みます。

【その2】求人に「女性活躍中!」と言った文言を設ける。
これは実際に求人屋さんから教えてもらった話です。
求人屋さんとしても男女雇用機会均等法は目の上のたんこぶの様で、
苦しいながら生み出した方法がコレという事らしいです。
「うちは女性活躍中!女性が働く職場だよ!」というイメージを掲げ、
だから応募するのも女性が来てね、というニュアンスだそうです。
同様に、力仕事の募集だと「20~30代の男性活躍中」と言ったように、
募集したい条件を「~活躍中!」でステルス指定するという方法です。

話が若干それましたが・・・こういった手法をとるように、
企業はどちらかと言うと「多様性は認めない」方針が多いです。
しかし、世間的な「認めろ」圧力、世間的イメージ保守の為、
「多様性に理解ある企業」という仮面をかぶっている訳です。
勿論、本当に理解のある企業もいますが、大体は仮面企業です。

性別の件は「法律」がある為、他の性質よりも固く管理されていますが、
その他はまだ「企業イメージの為」程度でしか考慮されていません。
勿論、障碍者雇用など制度が設けられているモノもありますが、
ペナルティ、もしくは助成金等のプラスが無い限りは、
基本、企業的にはポーズと考えて差し支えないでしょう。

つまり、社会的な多様性とはその程度の価値しかないのです。
この「多様性を認める」という綺麗事は、
「イメージ戦略」の一つ程度でしかない。
もしくは、「当事者が認めてほしいから掲げている」に過ぎず、
心から「多様性を認める」とみんなが掲げる事はほぼありえないのです。

③多様性からの差別

さて、ここまで説明してきましたが、
では表題の「多様性を認める事で広がる差別」とはどういう事か

今まで解りやすいように「雇用」を例に説明しましたが、
ここでも「雇用」で例を挙げさせていただきます。

例えば、「多様性を認めない」というよりは、
「多様性を気にしない(考慮しない)」という考え方の場合。

前述にもある「適材適所」という考え方が柔軟に行えます。

女性の事務職が欲しい企業は女性を指定し、
男性の現場作業員が欲しい企業は男性を指定し、
英語が使える人材が欲しい企業は英語に親しみのある人材、
中国人との折衝ができる人材が欲しい企業はそれが可能な人材、

など、本当に求める人材をピンポイントに指定して募集でき、
企業としては効率を高める事が可能になります。

この様に「多様性を認める」という枷を外すことが、
企業としてはプラスに生きる訳です。

そして、最初から「条件不適合者は選考除外」という分別がある事で、
その企業、その団体に無駄に関わる必要がなくなり、
突き放されたように感じるかもしれませんが、
貴重な時間を無駄に消費する必要がなくなったのです。

これは人間の短い寿命で考えると、非常にポジティブな事です。

逆に「多様性を認める」という方針が広がるとどうなるか、
最初の方にも書いてありますが、
『良くも悪くも肯定しなくてはいけない。』という訳です。

自分の企業にとって「不適合」とわかっていても、
表立って「不適合」とは言えないので、募集は受ける。
しかしその実「不適合」な訳ですから。
他の選考者と「差を設けて選考をする」必要が出ます。

これが「差別」です。

元々の条件提示ではなく、
内内で特定の差を設けて選考するというのは、
「あいつ気にいらねぇからハブろうぜ」的なモノと同義です。

なら最初から「こういった条件で不適合です」と説明した方が、
大分良心的であると私は思います。
まぁ、そもそも受け入れられないなら選考対象から除外しとけ、
ともいえる話な訳です。

大人の世界においても
「陰口を言って人を悪者(忌むべきモノ)とする」そんな人間もいます。
それは単純に「悪しき差別」であり、これこそ無くすべきものです。
そんな人間に限って多様性の肯定や差別の否定をして見せますが、
そんな人間の方が人を悪く言っているモノです。

話がまた少しそれましたが・・・

つまり「多様性を認めろ」という吹聴が続くことは、
「差別を助長させる事」に繋がる訳です。

合わないグループに無理やり押し込められた時を想像してください、
大体、そのグループの人間からは「なんでこいつがいるんだ」と、
裏で思われている事は珍しくもないでしょう。
最初からそのグループに触れなければ、不和は起きていないのです。

「多様性を認め、一つのグループに様々な性質を押し込める」
そんな事を声高に掲げる必要はないんです。
「必要な性質を、求めるグループが欲する」という事で、
円満に事が済むんです。

「どんな人とでも仲良くなれ」なんて綺麗事言っても、
出来る訳がないんです。
人間と言うのは好き嫌いがあり、
「個人的な適材適所」がある訳ですから。

「多様性を認める」という人が居てもいいですが。
それを他者に強要する事は推奨できることではない。

という事です。

解らない人は放課後、先生の所まで聞きに来てください。
以上で今日の授業を終わります。

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