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嵯峨野綺譚 ~白蛇~

 京都盆地の西北の端にある愛宕山は古い修験の山だ。盆地を挟んで対峙する比叡山より高く、標高は1000メートルに少し足りない。

 山頂には千数百年の歴史を持つ愛宕神社があるが、山腹にも月輪寺や空也の滝といった古跡を抱いている。

 その日いつものように表参道から愛宕神社に詣で、下りは月輪寺経由の別ルートを辿った。けっこう険しくて整備の行き届いていない未舗装の登山道を降りきって林道に出るところから、小さな沢沿いにもう一本道が出ている。空也の滝への登り口だ。

 麓の登山口から山頂を経てここまで3時間足らず。疲れていることが多いので大抵は寄り道せずにこのまま林道を清滝まで降りるのだが、その日は何故か久々に滝に登ろうと思った。

 滝への道はセメントで粗く固められていて、ところどころ不規則にでこぼこしている。道は滝から流れ出る小さな沢と絡み合うように交差しながら登っていく。沢からの飛沫と頭上を覆う木立から降りてくる湿気で道のほとんどは濡れている。

 5分余り登ると比較的新しい朱塗りの鳥居があって、左右にはこれも新しい狛犬が二体、こちらを睨んでいる。脇を通ると昭和52年の建立と書かれていた。

 鳥居を過ぎると何棟かの建物が道の両脇に並んでいる。比較的新しい棟もあれば色褪せた黄緑色のトタン屋根が半ば崩れ落ちている棟もある。沢に張り出したベランダには物干し竿がかかっている。建物のいくつかは明らかに廃屋で、いくつかには人が出入りしている気配がある。空也の滝を守る信者たちが寝泊まりするところだが、人が常住しているかどうかはわからない。

 人影のない建物の間を抜けると目の前に滝が現れる。空也の滝だ。空也上人は平安時代、南無阿弥陀仏を唱えながら全国を歩き、道や橋をかけたという。この滝もその空也が開いたとされる。薄暗い沢の突き当たりに垂直の岩肌が聳え立ち滝が流れ落ちている。2階建ての民家よりは高い。3-4階分はあるかもしれない。滝の左側には石造りの鳥居が立ち、右側には灯明台がある。左右の岩肌を穿って窪みが作られていて、そこには仏像とも邪宗の鬼とも呼べそうな石像が何体か鎮座している。精緻なつくりのものもあれば、稚拙な造形もある。ただ、稚拙なそれの方が鬼ともつかず仏ともつかず、むしろ妙なリアリティーを帯びて見下ろしている。

 滝の前では時として信者の男性が褌ひとつになって印を結び、やがて滝の下に入っていくのをみることができる。が、今日は誰もいなかった。滝の脇の灯明台では蝋燭が燃えている。

 滝に向かって手を合わせて数瞬。やがて踵を返して滝の前から離れた。滝の脇から鬼がじっとこちらを見下ろしているような気がした。

 建物の間を下ると、朱塗りの鳥居までの間に枇杷の樹が茂っている。左手に太い幹があってそこから枝が頭上に張り出している。枝から白い縄のようなものが下がっていて、ゆらゆら揺れているのが見えた。縄の先端は卵形をしていて少し太くなっている。近づくとその先端がぬっと持ち上がった。

 胃袋が収縮して息がつまり、オッ と声ともつかぬ息が漏れて立ち止まった。枇杷の枝からは白蛇がぶら下がり、揺れながら卵形の頭をもたげてこちらをみていた。

 白蛇と睨み合ったまま、僕は金縛りにあったかのように立ち尽くしていた。ゆらゆら揺れる白蛇の頭についた黒いビーズのような眼は無表情で、こちらが見えているかどうかもわからない。赤とも黒ともつかない色の舌がチラリと虚空を舐めて、すぐに引っ込んだ。

 「脅かさないで。その子も戸惑ってるの」

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