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何がビジネスになるんだろうって、未だに考えます。移住者の中でも有名な人の素朴な迷い

物腰の柔らかさから交友関係が広く、繋ぎ役のプロフェッショナルな吉田さん。現在は企画サポート会社「ヨシダキカク」代表、そして萩市インキュベーションセンターの管理人として、「何かやりたいけど動けない人たちを支援する」という、まさに“繋ぐ力”を活かした活動。何事も柔軟に対応できそうな彼も、移住初期は素朴な迷いを抱えながら、独立に向けて活動していたそうです。

地域では、誰を通すかが大事

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ー今日はよろしくお願いします!今日は3つのことについてお聞きします。少し突っ込んだ質問になっていますので、答えられる範囲で話してください(笑)

吉田 はい(笑)よろしくお願いします。

ー早速ですが、移住後は地域おこし協力隊として3年間活動しましたが、大変だったことなんでしたか?

【地域おこし協力隊】
総務省の取り組みで、都市地域から過疎地域などに移住して、"地域協力活動"を1~3年しながら、起業等によって地域への定住を図る。自治体の職員として雇われることが多い。

吉田 イベント企画が多かったのですが、協力隊は微妙な立場で、行政だけど個人活動みたいなところもあって、地域の人から「行政の人なのに、なんで特定の人を呼ぶん?」とか言われたりすることがありました。反対に行政の人たちは自由にやらせてくれたかな。最初の頃からずっとコミュニケーションをとっていて、やる前は先に声をかけて動いていたので、スムーズでしたね。ただ、気を使いましたね。

ー気を使ったんですか!

吉田 めっちゃ気を使ったよ!最初にイベントやった時も「勝手に協力隊がなんかやっとる」って思われとるやろうなって。だから、観光課に相談に行きました。相談に行く前も、まず誰に相談したらいいかを、当時の所属していた農林振興課の仲が良い人に聞いてから、観光課に行きました。

ーワンステップ挟んでから行動していたんですね。

吉田 そうそう。それが大変ちゃ大変だけど、楽しい。「誰に相談したらいいですかね?」って聞くだけで、相手は喜ぶし「よし、繋いでやろう」って返事をしてくました。その流れだと、スムーズでしたね。その繋がりを経て相談すると「それは全然ええよ」とか、「ゆくゆくは、こうなったらいいね」っていう提案もくれたりしましたね。

ーステップが多くなるけど、結果的にはスムーズになったということでしょうか?

吉田 あ、そうそう。そういうの多いと思う!誰を通すか、がすごい大事。「あの人が言ってるならええよ」とか。あいだを繋いでくれた人が、築いた関係性のおかげでスムーズになりますね。だから、絶対に繋いでくれた人に対しては、その人が費やした時間とか苦労があるので、それを忘れずに接したり、お礼を言ったりしますね。協力隊はそれが楽しめないと厳しいし、しんどいと思いますね。

どうにもならないこともあったけど、関係性は続く

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ーありがとうございます。では次の質問ですが、地域活動でしくじったことはありますか?

吉田 提案するが早すぎたことですかね。最初は血気盛んだったので、「なんでもできます」って思ってました。あれやったらいい、これやったらいいっていうのがどんどんあって、言ってしまいました。最初の活動地の施設に、商品開発とか販路開拓を夢見て行ったけど、施設の人に「うーん、そういうのは求めない」と言われてしまいました。よくありますよね。

ーありますね〜

吉田 「まずは作業を手伝ってほしい」と言われたんだけど、行政側としては「作業させるために協力隊をいれたわけではなない」っていう感じで、間に挟まれてしまいましたね。ただ、施設側には「作業が分かっていないのに、いきなり提案とか販路とか言われてもどうしようもない」と言われて、確かにそうやね、と思って半年は手伝いました。草刈りとか、びっくりするくらいの草の中につっこんでいきましたよ(笑)

ー草刈り結構大変ですよね。その半年後はどうなりましたか?

吉田 同時に他の施設や、それらに関わる六次産業化のセミナーとか地域づくりや農泊系のセミナーに数多く出張行ってたりしながらだったので1年くらい活動していましたね。そういえば一度鹿児島まで車で行ったこともありますね(笑)朝2時出発で。

ーそれも血気盛んですね(笑)1年活動したあと施設に対して何か提案はできましたか?

吉田 結局、施設側にその思いがなくて、どうにもなりませんでしたね。ただ、後々別のプロジェクトで一緒に活動することはありました。関係性は続いていて、たまに手伝いにも行ってたこともありましたので。

不安と迷いが続いた最後の3年目

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ーそれは、良い機会でしたね。では最後の質問で、協力隊退任後の4年目に向けて動き出したタイミングと、進路が確定した決め手を教えてください。

吉田 動き出したタイミングは、協力隊に着任して1年半経った時に、ソーシャルビジネスのビジコンに参加したことですね。ふわっといろんなことがやりたくて、段々絞っていって、最後に発表したことで、自分がやりたいことが分かりました。ちなみにヨシダキカクという名前はそこでできました。

ーそのビジコンでギュッとやりたいことがしぼられた感じでしょうか?

吉田 そうそう。やりたいことが、だいぶはっきりしてきたかなって感じです。その時点でイベントの企画は何個かしていました。ただ、企画業で食っていくのは難しいよなっていうのはありましたね。

ー難しそうですね。

吉田 ソーシャルビジネスで取り扱う課題はいろいろあるけど、全ての社会課題は“動けてない自分たち”なんじゃないかなと思います。何も思っていなくて興味ない人を動かすのは無理だけど、本当はなにかやりたいけど動けない人たちが一歩動いて、それぞれが社会課題を解決すればもっと動きが早いって考えてました。ただ、それがビジネスになるかが難しかったですね。何がビジネスになるんだろうって、未だに考えていますね。

ーではインキュベーションセンターへ応募する以前に退任後どうするか、などの方向性は決まっていましたか?

吉田 迷いまくってましたね。コーヒーショップなら人と話しながら相談にも乗って、後押しできそうかなとか。ただ、「不安定すぎるよな」と思いましたね(笑)バーとかスナックも考えました。人が集まる場所があればイベントを打ち出しやすいし、来た人同士を繋いであげたりもできます。ドラクエのルイーダの酒場が衝撃的だったんですけど、あんな感じで、その酒場に行けば仲間を見つけれるみたいなイメージですね。ヨシダの酒場みたいな(笑)

ーぜひ、行ってみたいですね!その後、どのタイミングでインキュベーションセンターに定まったのでしょうか?

吉田 施設については市役所の中で以前から聞いていて、インキュベーションセンターの募集を知った時に「やりたかったことを、ここにはめれる」って思って応募しました。それが、退任の7~8ヶ月前のことでしたね。

ー最終的にこちらに応募することになりましたが、その決め手はなんでしたか?

吉田 ここは自分が入らないとだめだだろう、と偉そうに心の中で思っていました(笑)ただのハコにするのはもったいなし、いろんな人と関わってきた自負はあるので繋ぐことはできるし、話を聞くのは好きだから相談に乗ることもできます。相談に乗って次に、また人を紹介したり案内したりもできます。あと協力隊で行政にいた経験も活かせますね。

ーでは、働くことが決まってから退任までの期間、「ここでこれから働くのは大丈夫だろうか」といった不安はありましたか?

吉田 ありましたね。当時は、協力隊の業務もあって、あまりセンターにいられない時期があって、不安というか、もっと集中したいと言う感じでした。スタッフに対しても毎日指示を出さないといけない状況だったのはきつかったですね。退任後は専念できたので、今はあまりないです。

- 不安がなくなっているみたいで安心しました。インタビューはこれで終わりたいと思います。ありがとうございました。

吉田 ありがとうございました。

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<文字数の関係でカットしましたが、印象的だった言葉を最後に紹介!>

「大事なことは、直接話しにいくこと。都会から来ると窮屈さを感じるかもしれないけど、噂話とか陰口は言わないようにする。モヤモヤすることは会って話してみると意外にすんなりいくこともある」

「『地域のため』が本当に地域の人たちがやりたいと思うことか。自分がやりたいことになっていないか」

「ビジコンで、地元の店長さんとかがわざわざ山口市まで聞きに来てくれてて、終わったあと挨拶してくれました。『吉田さん!めっちゃ良かったですよ!!ただ、あれどういうことですか?』って(笑)「思いは伝わるけど、何がやりたいんかが分からん」とか他の人からも結構言われてましたね。」

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